Category Archives: 日本近代演劇

飯塚友一郎『国民演劇と農村演劇』

こうした国民的祭典に最もふさわしい形式は放送国民演劇でなければならない。何となれば、古来、故人を記念し追憶し供養するに最もふさわしい形式は、故人の生前の事蹟をさながらに演出して見せることだと信ぜられていたからだ。(九九頁 […]
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塩谷国四郎「戦争と演劇」『東宝』第六十号(昭和十三年十二月)

 多くの従軍作家が現地に赴いて、沢山のお土産を持つて帰つて来ることは喜ばしいことである。これからの劇壇もさらに戦争演劇が多くなるだらうと思はれる。国民は、まだ、まだ現地の事情を知りたいだらうし、そういふものを演劇を通じて […]
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杉山誠「演劇の再編成」『東宝』第八十二号(昭和十五年十月)

演劇人の一部には、国家による「積極的」統制を望んでいた者もいた。 ……われわれが与へられた目標に到達する上に、最も強く重点を指向すべき演劇はなんであらうか。演劇全体として今こそ真剣にそれは考へられるべきである。私はそれを […]
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長田秀雄「新劇はどうなるか」『東宝』第八十五号(昭和十六年二月)

 一月十三日の都新聞は、国民演劇としての新劇の再編成を、内閣情報局と、大政翼賛会が両者の合作に於て、いよいよ着手すると報じてゐる。  同紙の報道の内容は、略、次のとほりである。即ち、情報局は、まづ昨年解散の悲運に接した新 […]
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舟橋聖一「演劇上の雑感」『東宝』第三十七号(昭和十二年一月)

一九三七年(昭和十二)前後の新劇の行き詰まりについての証言。  私が、所謂演劇運動の実際から身をひいて既に大分になる。実際からは身を引いたが、その間にも、私の関心が演劇からはなれてゐたわけではない。…  しかし仕事を中途 […]
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大山功「演劇に於る日本主義」『演藝畫報』第33年第1号(昭和14年1月)

…  日本主義といへばすぐに反動的であるとかファッショ的であるとか、非文化的であるかのやうにとられ勝ちである。だが凡てこれ程大きな誤解はない。勿論、これはこの言葉を用ひる人の理論と実践に、少くとも今までには、このやうな傾 […]
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大忠臣蔵

早野勘平役の高田浩吉はよくない。 加古川本蔵役の坂東簑助(三津五郎)はよい。世話物の演技となるとこの人は引き立つ。 大石内蔵助役の市川猿之助(猿翁)は可もなく不可もなし。 現幸四郎の市川染五郎が矢頭右衛門七を演じているが […]
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『歌麿をめぐる五人の女』(1946)

特典映像で新藤兼人は「間に合わせで作った」「溝口さんの悩みがよく出ている」と評しているが、要するに駄作だということだ。戦後間もなくだから民主主義も単純に受け入れられない、女優も田中絹代以外大物を集められないという言い訳を […]
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平民労知組合

『曽我廼家五郎新聞切抜帳』には、出典は不詳であるものの、[一九二一年]拾月拾五日と肉筆で書き込みがある記事があり、その見出しには「曽我廼家五郎が 仮舞台の上で 義侠的演劇 村芝居の如なザツな舞台装置も檜舞台以上の感銘 平 […]
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博論第一章の粗筋

「喜劇王」曾我廼家五郎(一八七七〜一九四八)の虚実とりまぜた挿話の多くは、五郎の二つの「自伝」である、『十五年の足跡』(双雅房、一九三九年)『喜劇一代男』(大毎書房、一九四八年)をもとにしている。後者は編者の上田芝有が三 […]
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