『エレファント・バニッシュ』

 小説を舞台化するとたいてい小説より面白くなくなるが、私が出会ったその数少ない例外の一つがコンプリシテの『ルーシー・キャブロルの三つの人生』だった。ただ素朴に「物語を語る」ことがいかに観客の想像力を刺激するか、あるいは俳優の身体表現によって、原作にはなかった深みを付け加えてくれるか、ということをまざまざと示してくれたという点で、私がこれまで見た舞台の中で最上の部類に属するものだった。マクバーニー演出の『ストリート・オブ・クロコダイル』やイオネスコの『椅子』もまた、そこまではいかなかったが、やはり素晴らしいものだった。

 しかしどうしたことか。『エレファント・バニッシュ』はきわめてひどい出来だった。

 最初に断っておかなければならないが、この出来の悪さは俳優の責任ではない。吹越満も高泉淳子もおそらくは村上春樹のよい読者ではないだろうが、だからといって俳優として彼らがやるべきことをやっていなかったわけではない。しかし残念ながら、他の作品で見た彼らのほうがずっと輝いていた。

 あくまでも責めを負うべきは演出のマクバーニーである。理由を順番にあげていこう。まず、ルコックのもとで学んだマクバーニーの売りは、身体表現がいかに無限の可能性を持っているかを示すことにあったはずだが、今回はほとんどそれが見られなかった。代わりに見られたのは、ビデオを使い、蛍光灯や目眩ましのパー管などライティングに自己主張させ、無機的な機械音を多用する、きわめて凡庸な「マルチメディアシアター」、ロバート・ウィルソンやロベール・ルパージュやウースター・グループのエリザベス・ルコンテの二番煎じ的な舞台だった。

 身体表現の欠落はたとえば「パン屋再襲撃」のエピソードに端的に見られるだろう。主人公夫婦が夜中に突然空腹を覚える、という件りで、原作を読んだことがある人間は、空腹が主人公たちのある種の精神的な飢餓を象徴的に表しているのだということは理解しつつ、単なる象徴性をこえて迫ってくる、物質的な条件としての空腹が描かれていることを知っている。そしてマクバーニーであれば、その空腹を小説とは違ったかたちで身体表現にするはずだと予期してもいいはずだ。しかしあにはからんや、空腹という状態はただ言葉で説明されるだけで、全くリアリティを持っていなかった。本当に腹が減っているのだ、ということが観客に言葉を超えて伝わってくる、ということがまったくなかった。

 論点を一部先取りしてしまったが、もう一つ今回の演出で問題だったのは、マクバーニーが村上春樹を(少なくとも日本で受け入れられているようなかたちでは)理解していなかったことである。三つの短編の粗筋を知ればすぐわかるように、村上文学の核は、最終的に不合理なもの、理性を超えたものが人間を動かしている、世界の中心にある、という信仰にある。しかし今回この不合理性への信仰は、笑いをとれる奇妙なエピソードの羅列に翻訳されてしまった。ビックマック三十個を奪った二人がコーラの代金を払う、という件りは決して「ちょっと面白い」話ではない。パン屋からかけられた「呪い」を解く儀式としてのマクドナルド襲撃は、手順に則って厳格に行われる必要があるゆえに、妻はコーラの代金を払うことを主張するのだ。

 最後に、村上文学の翻訳という、もっと一般的な問題がある。「バタ臭い」村上文学が英語に翻訳されることで、そのバタ臭さは英語圏の小説の白々しさ、作り物臭さにとってかわってしまう。それらは似ていても、別のものだ。今回の舞台ではそれがさらにもう一度翻訳される—マクバーニーは英訳を読んで、演出の指示を行い、日本人俳優およびスタッフはそれをもう一度原作に照らし合わせるという作業を行っているはずだ—ことで、翻訳物の舞台の白々しさを想起させるものになってしまった。舞台幕切れ近く、再び「象の消滅」からのエピソードが語られるときの、バーのシーンの白々しさは、まるで80年代のテレビでよく見られた、安物のトレンディドラマのようだった。よく読めばわかるが、原作の男女は決してあんな振る舞いをしていない。村上春樹の登場人物たちは「気障」ではあるが、トレンディドラマの登場人物たちのように格好ばかりつけているわけではない。もっと他者の存在を身近に感じて行動している。

 今回の舞台に描かれた日本人が自分たちであり、描かれた社会が日本の現代社会だと錯覚するのは、相当鈍感な神経の持ち主ではないか。テクノロジーが発達しているかわりに、空虚な人間関係が取り結ばれている、というステレオタイプな現代日本のイメージをマクバーニーが提示しようとしているのだとしたら、それはまた新たなオリエンタリズムなのである。ロンドン公演で「現代の日本人が示されている」というような凡庸な劇評が出てこないことを切に祈るばかりである。

 

 

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