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ハイポリアルな背景からハイパーリアルな背景へ:ミュージカル映画の「革命」と『レ・ミゼラブル』

掲載時の題名は「不自然の自然、ミュージカルの革命」。

一九二〇年代後半にトーキーが実用化された頃、映画会社が目をつけたのはミュージカルだった。『ブロードウェイ・メロディ』(一九二九)の有名な宣伝文句、”ALL TALKING ALL SINGING ALL DANCING” が示しているように、無声映画では味わえないトーキーの「臨場感」を観客に印象づけるには、俳優たちが歌って踊るのがもっとも効果的だったからだ。

もっとも、ミュージカルは映画向きのジャンルとは言えなかった。なぜなら、映画はメディアの性質上被写体を「リアルに」見せてしまうが、ミュージカルの本質は、オペラや歌舞伎をはじめとする多くの舞台芸術と同様、「様式」だからだ。とりわけ、舞台中継のように長廻しと俯瞰でナンバーを撮影した初期のミュージカル映画は、映画としてもミュージカルとしても魅力を欠いたものだった。コーラスガールの頭上にカメラを設置し、対称性を保った振付で万華鏡のような視覚効果を見せたバスビー・バークレーは、舞台のミュージカルにないミュージカル映画の新しい様式を発明したが、そのバークレーですら、主役たちのナンバーを撮影する際にはクローズアップやカットを多用することはなく、「リアルに」つまり歌って踊る俳優たちの身体全体を見せることに終始した。

日常生活で私たちはどんなに感情が昂揚しても歌い出したり踊り出したりすることはないのに、ミュージカルで俳優が歌い出したり踊り出したりしても不自然に思わないのは私たちがそれを「そういうもの」=「様式」として理解しているからだ。だがこの「様式」は舞台の黒幕という「リアルでないもの」が背景になっているからこそ成立する。ミュージカル映画のようにリアルな現実の風景が背景に映り込むと、俳優たちが歌い出したり踊り出したりするのがいかにも嘘くさく見えてしまう。

一九四〇年代から五〇年代にかけられて作られたMGMミュージカルの殆どはセット撮影だった。それはスタジオシステムでの量産という当時の映画作りの常識からいっても当然だったが、ミュージカルの様式性を大きく損なわない、という利点もあった。セットの「作り物」感、合成撮影だとすぐにわかる杜撰な編集は、映画に期待される「リアルさ」とは正反対のものだったが、ミュージカルの不自然さには見合っていた。

しかしアメリカン・ミュージカル黄金期の立役者だった作曲家リチャード・ロジャースと作詞家オスカー・ハマースタイン二世は、MGMの_^手法【フォーミュラ】^_に飽き足らなかった。一九五五年、コンビが初めて組んだ記念碑的作品『オクラホマ!』を映画化するにあたり、二人は七〇ミリ・ワイドスクリーンの新方式を開発したTodd-AOを配給会社に選んだ(約一年後に二〇世紀フォックスによるシネスコ版が公開)。二人が発見したのは、背景として映し出されるのがリアルな現実の風景であっても、それが日常生活では体験できない圧倒的な量の視覚情報をもたらせば、その「不自然さ」がミュージカルの様式がもたらす快楽をいや増す、という法則だった。

この「革命」によってミュージカル映画の作り方は根本的に変わる。安っぽい「ハイポリアルな」(=現実以下の)セットの背景から、ハイパーリアルな背景へ。ワイドスクリーンだけではない。ロバート・ワイズが監督した二本のミュージカル映画『ウェストサイド物語』(一九六一)『サウンド・オブ・ミュージック』(一九六伍)では空撮が効果的に使われているが、これもまた背景が与える視覚情報を増大させるためのものだった。テクノロジーを使わずに、背景を絢爛豪華に作り込むという手もあった。セシル・ビートンが衣装と装置を担当した『マイ・フェア・レディ』(一九六四)がそうだ。現実を「異化」して一つの様式にしてしまう魔術をミュージカル映画は手に入れたのだ。

『レ・ミゼラブル』の魔法は、基本的にはこのミュージカル映画革命の延長線上にある。とはいえこの映画の魅力が、テクノロジーを駆使し、時間と費用を贅沢にかけ、背景となる現実の「異化」を徹底的に推し進めたことにあるのは見ればすぐにわかる。オープニングナンバーの「囚人の歌」は、沈没した船を何百人もの囚人が体に綱を巻きつけて引っ張り、ドックに引き揚げようとするという壮大な場面を背景に歌われる。ファンテーヌが「夢やぶれて」を歌う場面で映し出される貧民街や、テナルディエ夫妻が「裏切りのワルツ」を歌う場面で映し出される彼らの宿屋は、細部に至るまで作り込まれているゆえに、単なる背景に見えない。セットそのものが生きて呼吸しているような奇妙な存在感は、リアルを超えてハイパーリアルに映る。ジャン・バルジャンの数奇な半生を三時間足らずの舞台として成立させるために必要とされた『レ・ミゼラブル』の強固な様式性は、背景のハイパーリアリティによって支えられているのだ。

『キネマ旬報』第1627号(2012年12月20日)

ずしりと重い芸術家小説:前田司郎『濡れた太陽 高校演劇の話』

デビュー以来、前田司郎という人はその圧倒的な才能の上に胡座をかいているなあ、と思っていた。『濡れた太陽』はそんな私の思い込みをあっさりと打破してくれた。

前田が主宰する劇団「五反田団」の演劇はよく「脱力系」と言われる。書く小説も『ガムの起源~お姉さんとコロンタン』とか『恋愛の解体と北区の滅亡』とかふざけた題名のものばかりだ。だけど中身はそうでもない。設定はSFチックで、タチの悪い冗談のようなものが多いけれど、それにくだらないギャグもてんこ盛りなんだけど、妙にリアルな心情が描かれていて胸に迫ることがある。自意識過剰なだけと思っていた登場人物が、怖いほど透徹した意識の持ち主であることが判明して虚を突かれることがある。太宰治のように、へらへら笑いながら人の喉元に合口を突きつけるような不気味さや恐ろしさを前田司郎は持っている。

でも、これまでの前田司郎の作品はそれだけで終わることも多かった。確かに合口を突きつけられた瞬間ははっとする。顔色が変わる。だけど、前田は読者や観客に突きつけた合口を次の瞬間、すっと引いてしまうのだ。「冗談、冗談」とか何とか言って。こちらがビビッているのを見るだけで満足して、前田はそのまま歩き去ってしまう。ああびっくりした、とはその場では思うけれど、喉元過ぎれば何とやらで、私たちはその衝撃を忘れてしまう。出会った瞬間だけでなく、ずしりと重い感触を後々まで残す、ということは余りなかった。

それは前田が、自分の才能を当然視し、かつ、軽く見ていたからだ。「天才なんてそう珍しいものじゃない。実は三百人に一人くらいはいるのだと思う。その三百人に一人のうち自分の才能に適した行動をとる者がまあ百人、さらに、その百人のうち世間の目に触れるのは十人に一人とか」(下巻112頁)と『濡れた太陽』の語り手は主人公相原太陽の才能について説明する。高校に入学したばかりの太陽がはじめて書いた戯曲「犬は去ぬ」は抜群に面白く、彼が所属する御屋敷山高校演劇部の同級生はおろか先輩たちにも大受けするし、御屋敷山高校が演劇コンクールの地区大会で敗退したあとも、太陽は自分の戯曲が面白かったという評価を変えない。それどころか、「でも、僕は、ちょっと、多分、本当のことを、本当のことが判りました。結局、自分を評価できるのは自分だけなんだと思います」(下巻349頁)とみなに向かって宣言する。「自伝的(?)高校演劇部小説」という中途半端なオビの惹句がなくても太陽が前田の自画像であることはまるわかりなので(作品内で相当部分が台詞として引用される「犬は去ぬ」は、前田が高校一年生のときに実際に書いた戯曲だという)、この認識は前田が自分の才能について抱いているものであることは言うまでもない。自分に才能があることを疑わず、それでいてその才能はそれほど特別なものではない、と思っている芸術家は大抵才能を安売りする。売り渋らなくても自分の才能は枯渇しない、しないようにうまく自分の才能を制御できるコツを掴んでいる、と思っているからだ。

前田の書く小説の手応えがこれまで今ひとつだった理由はしかし、もう一つあったような気がする。演劇というマイナーな芸術を愛し深く関わっている自分を前田が小説の中でどう表現してよいかわからず、結果的に作品の中で自分を十分出さずに誤魔化していたことだ。『逆に十四歳』で演劇をやろうと老人の主人公に持ちかけ、オーディションを企画しておきながら「こんな、大勢の人の怨念を背負わなくきゃいけないものだっけ?」(85頁)と言って逃げ出す旧友白田と主人公の言動は、演劇に対する両面価値的な感情を作者が抱いていることをよく示していた。

ところが『濡れた太陽』では「演劇部はダサすぎた。演劇という響きがダサいのだ」(上巻254頁)と考える渡井も結局演劇部に入り、みんなで演劇を作り始める。前田はここに至り、演劇が大好きで演劇のことばかり考えているダサい自分のことを主人公に仕立て、自分の思いの丈を思い切りぶつけることに取り組んだのだ。

それができたのは、一つには「教育」という目標があったからだ。コミュニケーション教育の一環としてプロの若手演出家を招いて一緒に作品作りを行っている福島県立いわき総合高等学校での経験がこの作品のもとになっている。『濡れた太陽』は小説と銘打っておきながら、戯曲のように役名と台詞が書かれるだけで地の文がない会話が所々挿入され、スタニスラフスキー『俳優の仕事』と見紛うばかりの具体的な状況が与えられたうえでの演劇論が開陳される。「芝居するってことは、意識的なことのように見えて、それだけではない。…潜在意識がコントロールしている領域は、潜在意識に操縦させるべきなのだ」(下巻8頁)などはそのままスタニスラフスキーだが、「喜怒哀楽なんて伝えて何になるんですか?」(上巻242頁)のように平田オリザ以降の現代口語演劇の主流となっている考えを開陳するところもある。

かつて指導した高校生を念頭に置きながら、自分が考える演劇とは何かということを読者に伝えることに作者が腐心したゆえに、『濡れた太陽』にはこれまでの前田作品にはない「重み」が加わった。四六時中演劇のことばかり考えるダサい自分をうまく隠して才能だけで佳品をすらすらと書き飛ばしてきた作者が、本当に自分の書きたかったことを書くためには、高校生のためにという名目が必要だったのは興味深い。それは前田司郎の裡に潜む本質的な他者性と関わっているからだ。だがその詳細を論じるには紙面が足りない。これだけは確認しておきたい。高校生のための演劇入門であるとともに、『濡れた太陽』はジョイス『若き芸術家の肖像』のような、芸術家小説であることを。

『文學界』第66巻第8号(2012年7月6日)