飯塚友一郎『国民演劇と農村演劇』

実際の演劇は必ずしも規範的演劇論によつては支配されない。現実の劇塲を支配する力は芸術論ではなくて、むしろ、政治と経済の二つの大きな力であつた。演劇学徒の説く演劇作法や演劇政策は、これまでの天下泰平時代には、僅かに教壇の講義か、実験室的小劇場の試みを出でなかつた。わが国の如き自由放任主義の劇壇においては、何よりも商業主義が勝利を占めて、商業劇場が現在までの劇壇の主権を握つていた。商業劇場には恐らく営利以外の芸術的理想といふものがない。経済力と並んで、実際の劇場を支配する力は政治力である。劇場は現実的には、この二大勢力の支配から免れることはできない。

しかるに、支那事変を契機として、政治的支配力が非常に強化されてきた。何となれば、戦争とは政治の最も強化された状態に他ならないのだ。そこで、これからは演劇を支配する力は、これまでのような経済第一ではなくて、政治第一となる。この転機はわが劇壇にとつて実に画期的なものとして注目されなければならないことだ。私はこの転機を演劇文化の為に率直に慶びたいと思ふ。何とならば、商業には利潤追求という以外に理想というものがないが、政治にはいつも文化的理想があるからだ。従来の演劇人は極めて心易く経済人と妥協してきた。いや、営利の為には理想も見得も何も捨てゝ奉仕してきた。わが国では、演劇は概ね商品になり下つて了つた。然るに、わが劇壇はどういうものか、為政者と提携することを敬遠した。為政者も亦、演劇のことは消極的な取締だけで、之を文化政策の一課題として積極的に顧ようとはしなかつた。これは何よりもわが劇壇、否、わが国民文化の不幸であつた。

国民総力戦を要求する今度の事変は、これまで無縁だつた政治と演劇とを結びつける機運を導こうとしてゐる。私は近頃、各省の少壮官吏諸君と演劇政策に就てしば/\懇談する機会を得たが、演劇人が考へてゐるほど当局者は演劇に対して無関心でも無理解でもない。むしろ、積極的な演劇政策について非常な熱意と抱負をもつてゐることだ。この時局下並に戦後の経営の為に、文化政策がいかに重要なるかを、よく認識してゐることだ。これは欧州の新興諸国家の文化政策を一寸でも顧るならば、当然そうなければならぬことだ。私はこの時局を契機として、その辺から、わが劇壇の長い間の懸案が解決されるのではないかと、ひそかなる希望を抱いてゐる。

劇壇の懸案とは、言ふまでもなく国民演劇の課題だ。これは演劇といふものゝの複雑な機構からして、国民音楽や、国民文学や、国民体操のように簡単には行かない。(「第一講 時局と演劇」二九—三〇頁、、一九三八年)

This entry was posted in 未分類. Bookmark the permalink. Trackbacks are closed, but you can post a comment.

Post a Comment

Your email is never published nor shared. Required fields are marked *

*
*

You may use these HTML tags and attributes: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>