三代目金馬の下手さについて

三代目金馬が下手だ、という評は圓生をはじめとしてたくさんあるが、納得しがたかった。「わかりやすい、初心者向きだ」という評もあって、こちらならわかる。だがそれを下手だというのは玄人ぶった気取りでしかないだろうとずうっと思っていた。

金馬という人間の向こう気の強さや貫禄、悪くいえば図々しさとかアクドさを嫌う人もいたということもわかる。だが人間性をいうなら志ん生や圓生はどうなる。あるいは内弟子にとっての文楽はどうなる。

『NHK DVD 落語名作選集』に収録されている「薮入り」を上手いけれどクサいよ、とけなすことはたしかにできる。けれどもそんなこといったら圓生の「妾馬」も上手いけれどクサいわけだ。志ん生の「妾馬」とどちらが好きか、と言われると困ってしまうのは、志ん生の巧まざる人情味と、圓生の計算され尽くした人情味とどちらも捨てがたいからだ。『NHK DVD 落語名作選集』の「薮入り」も、あるいは『NHK落語名人選』収録の「孝行糖」や「二十四孝」「唐茄子屋政談」も、計算が透けて見えるという点では「粋」ではないと思うが、しかし圓生のように「どうだ、泣いてみろ、俺はうまいんだ」と得意がっている顔が浮かぶということはなく、人生の浮き沈みを経験した大人が淡々と語るその実直さが伝わってきて、泣かされても圓生のときのようにそれを不快に感じるということはない。

だがずっと買ってあってほうっておいた『三代目三遊亭金馬全集』をある程度聞き込んでようやく、圓生の言っていることもまんざらでたらめというわけでもない、ということがわかった。一九五六年から二年半に渉って文化放送で放送された「金馬独演会」の録音だが、いずれも放送時間の関係からか十五分程度で噺が短く切り詰められていることもあって、薄味のものになってしまっている。後年の録音にある計算された滋味というものがない。

同梱の堀俊彦編著『三代目三遊亭金馬一代記』の解説によれば、「若い頃の高座は、わざとらしくてあざとく感じとられるムキもあったが、[昭和]二十年代後半、男盛りの五十代からの芸は歳月の重みと精進の成果を実らせ」(一一八頁)ていることになっているが、これはそのあざとさだけがなくなっているだけのように思われる。これが下手だ、というのならたしかに納得する。

圓生が対抗心を燃やしており、どちらかといえば金馬と仲のよかったあの正藏すらも以下のように言っている。

あの金馬(本名、加藤専太郎)が、晩年に他を圧倒するほどのいい職人になりきれなかったのは、……一つには、ものを書くことやなにかに進み出ちゃって、力を分断されたのかも知れないが、あのとおり頑固で、それを通しちゃったでしょう。

林家正蔵「三遊亭金馬のこと」麻生芳伸編『林家正蔵随談』(青蛙房、一九六七年)一七〇頁。

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