イリーナ・ブルック演出『ガラスの動物園』

ガラスの動物園、学生と見に行ってきましたがひどいものでした。イリーナ・ブルックはお父さんの100分の1の才能もないですね。たしかに自分の知らない言葉で演出したのだから割り引いて考えなければいけないですが、そもそも中年のトムという設定も説得力を持っていなかった。あの作品の奇妙な味わいは、年齢の割に老成した青年のトムが自分の過去を振り返る、という設定があるからでしょう。それは当時のウィリアムズが、まだ若いのにもかかわらず、自分はすでに十分年を取っている、と思っていたことの反映で、そのことも含めて、この作品がウィリアムズの「若書き」である証拠なのに、それを無視して懐古にふけるにふさわしい中年男にしてしまうというのは、たんに戯曲を読めていないだけじゃないのか、と思いました。また、幕切れでトムの語りとともに舞台後方の壁にカメラでとらえられた中嶋朋子演じるローラの顔のクローズアップが映し出されるという、センスのかけらもないことをやってくれたりしていたので、酷評を受けてもしかたがないかもしれません。

それに何よりも、ご指摘の通り俳優達が自分たちのクセだけで演じているのがたまらなく退屈でした。

木内みどりは、かつて転位21という唐十郎の流れをくむアングラ劇団に出演し、その内なる狂気を存分に示すことができていたのに、年を取ったからか、わずかに一シーンでその片鱗を見せたぐらいで、アマンダの狂気を表現するにはいたっていませんでした。

木場勝巳も「俺ってどう?うまいだろ?」的なナルシスト演技が相変わらず鼻につき、たしかに十年一日全く進歩もないけれどそれなりに完成されている木場節で幕切れのトムの語りをやられると感動的でしたが、ほとんどの場面では自分の演技を一切崩さず、揺れ動くトムの心情を表面的になぞることすらしていませんでした。

いちばんひどいのは中嶋朋子で、歌舞伎ふうにいえば「ニン」がありそうだったから選ばれたのでしょうが、ローラのひたすら内向していく繊細さを外に向けて「表現」しようとするあまり、やりすぎになっていることに気づかず、結果として「やたらにコミュニケーション能力の高い引きこもり」という形容矛盾の存在になっていました。ようするに『北の国から』の蛍の役をなぞったにすぎないマンネリ演技、この人は結局何を演じさせても金太郎飴で、それでも一定の「表現力」はあるものだからうまい女優だということに世間の評価は定まり、いずれは大竹しのぶのような存在になっていくのだな、という予感を感じさせるのに十分でした。

そんなわけで、ご覧になる必要のないものだったと思います。まあ私は、時としてつまらないものを見て、この戯曲はこう演出されなければならない!という自分の中の妄想を研ぎ澄ますことも必要だと思うので、いってよかったと思います。

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