ここのところ影を潜めていたかつての80年代テイストがこの公演で再び全開になったように感じられたのは私だけだろうか。見ながら「不思議、大好き」((c)糸井重里)のコピーが脳裏を横切り、キノコと同様、80年代的な匂いを残しながらクオリティを落としていないいくつかのNHKの子供向け番組のことを考えてしまった。 ダンサーたちが語る思い出話に共通するのは、それが「反省のない反芻」行為である、ということだ。過去の記憶を一段高みにたって再構成しながら語る(=反省)のではなく、過去の事件をただ想起されるままに語る(=反芻)行為。そしてそれこそが私の考える80年代テイストのポイントである。戦後の日本を色濃く覆っていた「反省」の空気に対して、80年代(の若者たち)ははじめて「反省なんかしなくていいじゃない」「反芻していればいいじゃない」と異議申し立てを行った。当然それは当時の「良識ある」大人たちの猛反発を食ったわけで、それが「(とりわけアジアという)他者の存在を無視して」「ひたすら自閉的で、内向きで」「幼児的で」「ミーイズム」かつ「保守反動」だ、という80年代文化批判の言説を形作った。そうした批判はもちろん間違っていないのだが、しかし人間ときとして反省しないでただ反芻だけしていたい、というふうにも思うわけだよ。そうした「反芻モード」「ぼうっとしながら時がただ経過するモード」にきちんと表現としての形をあたえたのが80年代文化だったのだ。 たしかに、バブル時代の成金趣味は今となってはただ気恥ずかしいだけなのだが、同時に80年代とは日本がかつてない豊かさを享受するなかで文化(それがいくら「内向き」の文化であったにせよ)としての洗練を得たともいえるわけだ。1995年の阪神大震災および地下鉄サリン事件による「リアル」の回帰から10年を経て、ようやく日本も80年代リバイバルに耐えうるだけの「軽薄さ」を取り戻したということなのか。
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珍しいキノコ舞踊団『家まで歩いてく。』
ここのところ影を潜めていたかつての80年代テイストがこの公演で再び全開になったように感じられたのは私だけだろうか。見ながら「不思議、大好き」((c)糸井重里)のコピーが脳裏を横切り、キノコと同様、80年代的な匂いを残しながらクオリティを落としていないいくつかのNHKの子供向け番組のことを考えてしまった。
ダンサーたちが語る思い出話に共通するのは、それが「反省のない反芻」行為である、ということだ。過去の記憶を一段高みにたって再構成しながら語る(=反省)のではなく、過去の事件をただ想起されるままに語る(=反芻)行為。そしてそれこそが私の考える80年代テイストのポイントである。戦後の日本を色濃く覆っていた「反省」の空気に対して、80年代(の若者たち)ははじめて「反省なんかしなくていいじゃない」「反芻していればいいじゃない」と異議申し立てを行った。当然それは当時の「良識ある」大人たちの猛反発を食ったわけで、それが「(とりわけアジアという)他者の存在を無視して」「ひたすら自閉的で、内向きで」「幼児的で」「ミーイズム」かつ「保守反動」だ、という80年代文化批判の言説を形作った。そうした批判はもちろん間違っていないのだが、しかし人間ときとして反省しないでただ反芻だけしていたい、というふうにも思うわけだよ。そうした「反芻モード」「ぼうっとしながら時がただ経過するモード」にきちんと表現としての形をあたえたのが80年代文化だったのだ。
たしかに、バブル時代の成金趣味は今となってはただ気恥ずかしいだけなのだが、同時に80年代とは日本がかつてない豊かさを享受するなかで文化(それがいくら「内向き」の文化であったにせよ)としての洗練を得たともいえるわけだ。1995年の阪神大震災および地下鉄サリン事件による「リアル」の回帰から10年を経て、ようやく日本も80年代リバイバルに耐えうるだけの「軽薄さ」を取り戻したということなのか。