「芸人が若い自分からあわてて売り出すなんぞは、あまりいいことじゃァない。はじめは威勢がいいが、くたびれるのも早いんです。若いころはえらく陽気だった芸が、年ィとるてえと、えらく地味になったりするものですよ。力がつくにつれて、だんだんと売れてくるってえことでないと、決して長続きしません。だから、あたしゃァ、ウチの志ん朝なんぞに、『線香花火になるな』って、いつも注意してやってますよ」古今亭志ん生『びんぼう自慢』二九九頁(ちくま文庫)
志ん朝の録音として現在残っているものは、その全盛期の頃であって、私がもっとも記憶に残っている90年代の最後の十年ぐらいではない。志ん朝は死ぬ前に疲れていた、と思う。父親が危惧したような地味な芸になったわけではないが、人生を味わい尽くした人間だけが知るある種の味気なさのようなものを噺全体に漂わせていた。
巷間言われているほど志ん朝の芸は伝統にもとづくものではない。もちろん父親とも違う。もっとモダンなものだ。そのモダンさ、あるいは衒気といってもよいが、を最後まで持ち続けるエネルギーを持ち合わせていなかった一方で、あるのだかわからない「伝統」にすがって、こちとら大家でござい、という姿も見せなかった。そこの一線を越えないのが志ん朝の美学だった。
しかし中年以降、人は死が近いことを自覚して急速に老いる。自分はもっと大きなもののために生かされているのであり、自分の人生はその大きなもののための捨て石だということを悟るようになって、人はある種の虚無を生きるようになる。志ん朝の噺にまとわりつくその虚無感が私は昔好きではなかった。
今自分が中年になって、同じく死を意識するようになると、志ん朝がその中で生きていた虚無感が痛いほどわかる。だが奇妙なもので、だからこそ志ん朝の噺はますます聞きたくなくなる。CDに録音されている、若いときの、声の張った、いかにも世界は自分のものだという自信に満ちあふれた態度も、その後の志ん朝のことを考えると空しく思うだけだ。
人はこうして生き、死んでいくのだということ。なぜそんなことをたかが落語で学ばなければならないのだろうか。そんなことは現実に生きていくなかでわかることじゃないか。落語でそんなことを教わりたくないよ。
要するに、志ん朝も志ん生や文楽と同様、芸人ではなく芸術家だったということだ。生きざまが噺に現れる噺家は芸人ではない。
小林信彦『名人—志ん生、そして志ん朝』はひどい本である。最近の小林の本によくある、調べかたの雑さが出ているだけでなく、志ん朝のこうした側面についてまるで想像もせずに、ただ同時代人であるということだけを特権的にふりかざして自分の志ん朝への思いを語る。こういうはた迷惑なファンに囲まれて志ん朝はますます孤立感を感じ、それでも落語界発展のためになんとか自分の余命をつなぎながらやっていきたかったのだ。
だが運命はそんな志ん朝を見捨てた。死にたかったら死んでもいいんだよ、と言ってしまった。
大友浩『花は志ん朝 』はすばらしい本だが、しかし意図的に全盛期の志ん朝のみを語っている。それは大友が最後の志ん朝の疲れかたをわかっていたからだと思う。それもまた酷いことである。
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志ん朝とは何だったのか
「芸人が若い自分からあわてて売り出すなんぞは、あまりいいことじゃァない。はじめは威勢がいいが、くたびれるのも早いんです。若いころはえらく陽気だった芸が、年ィとるてえと、えらく地味になったりするものですよ。力がつくにつれて、だんだんと売れてくるってえことでないと、決して長続きしません。だから、あたしゃァ、ウチの志ん朝なんぞに、『線香花火になるな』って、いつも注意してやってますよ」古今亭志ん生『びんぼう自慢』二九九頁(ちくま文庫)
志ん朝の録音として現在残っているものは、その全盛期の頃であって、私がもっとも記憶に残っている90年代の最後の十年ぐらいではない。志ん朝は死ぬ前に疲れていた、と思う。父親が危惧したような地味な芸になったわけではないが、人生を味わい尽くした人間だけが知るある種の味気なさのようなものを噺全体に漂わせていた。
巷間言われているほど志ん朝の芸は伝統にもとづくものではない。もちろん父親とも違う。もっとモダンなものだ。そのモダンさ、あるいは衒気といってもよいが、を最後まで持ち続けるエネルギーを持ち合わせていなかった一方で、あるのだかわからない「伝統」にすがって、こちとら大家でござい、という姿も見せなかった。そこの一線を越えないのが志ん朝の美学だった。
しかし中年以降、人は死が近いことを自覚して急速に老いる。自分はもっと大きなもののために生かされているのであり、自分の人生はその大きなもののための捨て石だということを悟るようになって、人はある種の虚無を生きるようになる。志ん朝の噺にまとわりつくその虚無感が私は昔好きではなかった。
今自分が中年になって、同じく死を意識するようになると、志ん朝がその中で生きていた虚無感が痛いほどわかる。だが奇妙なもので、だからこそ志ん朝の噺はますます聞きたくなくなる。CDに録音されている、若いときの、声の張った、いかにも世界は自分のものだという自信に満ちあふれた態度も、その後の志ん朝のことを考えると空しく思うだけだ。
人はこうして生き、死んでいくのだということ。なぜそんなことをたかが落語で学ばなければならないのだろうか。そんなことは現実に生きていくなかでわかることじゃないか。落語でそんなことを教わりたくないよ。
要するに、志ん朝も志ん生や文楽と同様、芸人ではなく芸術家だったということだ。生きざまが噺に現れる噺家は芸人ではない。
小林信彦『名人—志ん生、そして志ん朝』はひどい本である。最近の小林の本によくある、調べかたの雑さが出ているだけでなく、志ん朝のこうした側面についてまるで想像もせずに、ただ同時代人であるということだけを特権的にふりかざして自分の志ん朝への思いを語る。こういうはた迷惑なファンに囲まれて志ん朝はますます孤立感を感じ、それでも落語界発展のためになんとか自分の余命をつなぎながらやっていきたかったのだ。
だが運命はそんな志ん朝を見捨てた。死にたかったら死んでもいいんだよ、と言ってしまった。
大友浩『花は志ん朝 』はすばらしい本だが、しかし意図的に全盛期の志ん朝のみを語っている。それは大友が最後の志ん朝の疲れかたをわかっていたからだと思う。それもまた酷いことである。