「戦前派田中絹代 戦後派島崎雪子 対談 映画の世界の裏表」という『讀賣新聞』一九五〇年十月十四日付朝刊四面の記事で、田中絹代がアメリカに行って得られたことは何かと記者に聞かれて「それはもう、大変な勉強になりました、しかし帰つてから何も彼も思つていることと違つて…このお話はよしましょう」と答えると、それを引き取ったかたちで久保田万太郎は以下のように言う。
そんなことはないよ。死んだ左団次が洋行した時なかなか西洋へゆくなど大変な時代だからヒイキなどの見送りも盛大なものだつた、向うへ行つて今まで見もしなかつたものにぶつかり大いに反省させられた、そんな心で帰つた時新橋駅が大変な歓迎団と聞き品川で降りたというんだ。どうしてもそんなお祭りさわぎをうける気持ちにならなかつたんだナ、ところがヒイキは“西洋へ行つて生意気になった”とおこり、明治座で茶屋も出方も廃した新興行をしたがこれがまるつきり不入り、その上幕があがると大変な怒声でとうとうこの新システムも三日間で打ち切つてしまつた、そして“人気”に対するうたがいをもつた。これが明治座を売つて自由劇場をはじめさせた原因だ。
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左団次が自由劇場をはじめた理由
「戦前派田中絹代 戦後派島崎雪子 対談 映画の世界の裏表」という『讀賣新聞』一九五〇年十月十四日付朝刊四面の記事で、田中絹代がアメリカに行って得られたことは何かと記者に聞かれて「それはもう、大変な勉強になりました、しかし帰つてから何も彼も思つていることと違つて…このお話はよしましょう」と答えると、それを引き取ったかたちで久保田万太郎は以下のように言う。
そんなことはないよ。死んだ左団次が洋行した時なかなか西洋へゆくなど大変な時代だからヒイキなどの見送りも盛大なものだつた、向うへ行つて今まで見もしなかつたものにぶつかり大いに反省させられた、そんな心で帰つた時新橋駅が大変な歓迎団と聞き品川で降りたというんだ。どうしてもそんなお祭りさわぎをうける気持ちにならなかつたんだナ、ところがヒイキは“西洋へ行つて生意気になった”とおこり、明治座で茶屋も出方も廃した新興行をしたがこれがまるつきり不入り、その上幕があがると大変な怒声でとうとうこの新システムも三日間で打ち切つてしまつた、そして“人気”に対するうたがいをもつた。これが明治座を売つて自由劇場をはじめさせた原因だ。