Category Archives: 日本近代演劇

神保喜利彦『東京漫才全史』の(数少ない)誤りについて

神保喜利彦『東京漫才全史』は大変な労作で、これだけのものを二十代の著者がまとめたことだけで賞賛に値する。 一方、大著なだけに、若干ながら誤りも見受けられる。とくに戦時中の記述では気になった箇所があったので、以下にまとめた […]
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二代目曾我廼家五郎を襲名 “親父は懐かしい”後見には総支配人の大磯

こちらの記事も喜利彦山人氏(twitter: @kirihiko_)のご教示によるもの。ありがたく思う。 初代曾我廼家五郎ゆいて三年その持ち味をようやく身につけて二代目曾我廼家五郎の襲命【ママ】披露公演は三越劇場で華々し […]
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二代目をめぐる醜争“本家はこちらでござる”。東西二人出来た曾我廼家五郎

以下の記事は喜利彦山人氏(twitter: @kirihiko_)のご教示によった。多謝。 堺市に生まれ、昭和二十三年十月七十二歳でこの世を去るまで四十八年辛苦に辛苦を重ね、五郎劇という独自の藝風を開拓した曾我廼家五郎は […]
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菊田一夫戯曲選集・月報

菊田一夫戯曲選集 月報・第一集 はじめに 利倉幸一  この第一集には「花咲く港」が収められている。これは、菊田一夫の傑作の一つであり、画期的な作品であるとともに、日本の近代戯曲史にとっても画期的な作品と言える。  「花咲 […]
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改良俄は大阪、新聞俄は京都

伊藤友久『偲ぶ草 お芝居三代』(非売品[伊藤友久]、一九八二年)によれば、改良俄は大阪、新聞俄は京都だという。以下、国立劇場の久保田伸子との対談「新京極 読んだり聞いたり見たり」から引用する。 久保田 その後の常盤座、明 […]
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大城立裕「七〇年代以降の沖縄演劇」「現代日本戯曲大系 月報10」(一九九七年九月)

 沖縄の文化史で、一九八〇年代は近代一〇〇年来の画期だと私は解している。一八七九年の琉球処分で、琉球王国から日本へ政治と文化を切り換えたが、その後の一〇〇年年間はおもに文化摩擦に由来する劣等感と戸惑いの時代であったといっ […]
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澤田隆治「平成コメディアン史」タイトル一覧

『ちくま』第四三八号(二〇〇七年九月)から第四六二号(二〇〇九年九月)の全二十五回にわたり連載されていた澤田隆治「平成コメディアン史」。単行本化を願ってそのタイトル一覧を掲げておく。 (1)元吉本興業・木村政雄さんに聞く […]
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第一劇場の『マツ』(一九二九):逆輸入版の「寺子屋」

『菅原伝授手習鑑』(寺子屋)は忠義のために自分の息子を殺すというその内容ゆえにか、20世紀前半にドイツをはじめとする欧米各国で翻訳され、上演された。またM・C・マーカスによる英訳台本「マツ」は1929年9月に大阪・浪花座 […]
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渋谷天外の筆名について

大槻茂『喜劇の帝王 渋谷天外伝』(小学館文庫・一九九九年)は浩瀚な資料を渉猟し、遺族や松竹新喜劇・家庭劇関係者にも丹念に取材した労作だが、三代目天外に直接取材したとおぼしき箇所では三代目天外の誤解を鵜呑みにして書かれてい […]
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坪内逍遙の「アマチュアリズム」:「手仕事」としての学問

津野海太郎『滑稽な巨人 坪内逍遙の夢』(平凡社、二〇〇二年) は早稲田出身者によって祭り上げられてきた感のある坪内逍遙の偶像破壊に一役買った。これと、以下の戸板康二『対談日本新劇史』に収録されている秋田雨雀の評言、そして […]
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