倉田喜弘は『近代劇のあけぼの』で『熊本九州日々新聞』において明治三十六年五月三十日から六月十二日まで十一回にわたって連載された「壮士演劇元祖 角藤定憲苦心談」という読み物を紹介し、その中に以下のような記述があると書いている(五三頁)。
本談は、過日角藤定憲が東雲座を打ち上げて長崎に赴く数時間前に、親く本社員に語りたる処なるが、同優が横浜に演ぜる際には、壮士演劇に熟通せる伊原青々園氏など態々東京より来りて其苦心談を聞かんとせしも、同優は其談話を謝絶せし由なり。されば壮士劇の原始談を掲載せしは、本紙を以て始めとすべし。(六月二日)
この記事をもとに倉田は、明治三十五年『新小説』二月号から十二月号に掲載された伊原青々園の壮士芝居についての記事のうち「壮士芝居の元祖」が「先ごろ横浜の喜楽座に角藤を訪ふて、彼が壮士芝居を始めて起した始末を尋ねたら、彼は斯う言った」(六月号)とあるのを難じて、伊原による虚言の可能性まで示唆している。
その根拠として倉田は長谷川伸による角藤評「苦い顔をするために生きている人間」を引き合いに出し、「そのような人物が三十二歳の一新聞記者伊原に対し、愛想よくペラペラとしゃべるものであろうか」(五二頁)というのだが、どうも信じがたい。伊原が田舎の新聞記者にお愛想のつもりで「これは伊原青々園なんかにも話していない話なんだが」という枕を振り、その新聞記者がいかにも田舎者らしくお愛想を信じてしまった、という可能性もあるのではないか。
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倉田喜弘『近代劇のあけぼの』
倉田喜弘は『近代劇のあけぼの』で『熊本九州日々新聞』において明治三十六年五月三十日から六月十二日まで十一回にわたって連載された「壮士演劇元祖 角藤定憲苦心談」という読み物を紹介し、その中に以下のような記述があると書いている(五三頁)。
本談は、過日角藤定憲が東雲座を打ち上げて長崎に赴く数時間前に、親く本社員に語りたる処なるが、同優が横浜に演ぜる際には、壮士演劇に熟通せる伊原青々園氏など態々東京より来りて其苦心談を聞かんとせしも、同優は其談話を謝絶せし由なり。されば壮士劇の原始談を掲載せしは、本紙を以て始めとすべし。(六月二日)
この記事をもとに倉田は、明治三十五年『新小説』二月号から十二月号に掲載された伊原青々園の壮士芝居についての記事のうち「壮士芝居の元祖」が「先ごろ横浜の喜楽座に角藤を訪ふて、彼が壮士芝居を始めて起した始末を尋ねたら、彼は斯う言った」(六月号)とあるのを難じて、伊原による虚言の可能性まで示唆している。
その根拠として倉田は長谷川伸による角藤評「苦い顔をするために生きている人間」を引き合いに出し、「そのような人物が三十二歳の一新聞記者伊原に対し、愛想よくペラペラとしゃべるものであろうか」(五二頁)というのだが、どうも信じがたい。伊原が田舎の新聞記者にお愛想のつもりで「これは伊原青々園なんかにも話していない話なんだが」という枕を振り、その新聞記者がいかにも田舎者らしくお愛想を信じてしまった、という可能性もあるのではないか。