小川昇(赤坂治績聞き書き)『生涯現役 舞台照明家の一世紀』

第二幕 邦楽座時代

第5場 戦前の観客—曽我廼家五郎と村山知義の「事件」

 僕が芝居の世界に入った頃には、現代の観客では考えられない、色々な出来事が起こりました。

 題名は忘れてしまいましたが、昭和のはじめ、邦楽座で、曾我廼家五郎が銀行を舞台にした【ルビ開始(ファルス)】笑劇【ルビ終了】を上演しました。そのときの話です。お客さんが、舞台に「飛び入り出演」してしまったのです。

 その芝居は次のようなあらすじです。

 ある銀行の支店が舞台。閉店間際に大金が持ち込まれます。その支店では毎日、夕方になると現金を本店に送り、夜は店内に現金を置かないことになっているのですが、そのときはすでにお金を本店に運んだあとだったので、やむなく一晩そのお金を支店の金庫に保管することになって、支店長(曽我廼家五郎)が自ら泊まり込んで警戒にあたります。

 夜が更けて、大きな金庫の前に支店長が坐っていると、強盗が入ってきて、支店長にピストルを突きつけ、「金庫を開けろ」と言います。支店長が金庫をあけると、強盗は金庫に入って現金を盗ろうとします。そのとき支店長は、盗賊の隙を見て金庫に閉じこめようとするのですが、強盗は中から扉を押し返して、押し合いになります。

 その時です。客席で突然、「やったあ」という声がしたかと思うと、一人の男が舞台に上がり、強盗を金庫に中に閉じ込めてしまったのです。今なら客席から役者が飛び出すという演出もあるでしょうが、そのとき飛び出したのは間違いなく観客でした。

 この芝居は笑う為にだけ書かれた単純な笑劇です。そういう芝居でも、観客は自分も劇中の人物になってしまったのです。

 曽我廼家五郎は芝居がハネてから蟠桃さんに手拭いを持たせ、その人のところへお礼に行かせました。僕は、これほど芝居に夢中になれる人は幸せだ、と思ったことでした。

小川昇著、赤坂治績編『生涯現役 舞台照明家の一世紀』七三〜七四頁(一九九七年、小川舞台照明研究所)

上演されたのは『喜劇全集』下之巻(大日本雄弁会講談社、一九三一年)に収録されている「当直の夜」であると思われる。

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