庭劇団ペニノ『黒いOL』

庭劇団ペニノの野外劇『黒いOL』は、主宰タニノクロウがこれまで追求してきた演劇の理想を一気に具現化した観があった。いや、これを演劇とはいってはいけないかもしれない。演劇とは舞台の上で存在の変容を、演者の「変身」を観客に提示する芸術であるとしたら、タニノの目指すものは、観客の側の五感および時間感覚の変容をうながすことにあるからだ。私たちは能を観るときにもまた、いま・ここで変容を遂げているのは舞台の上に立つ演者ではなくて見ている自分自身なのだ、気が遠くなるほど引き延ばされた時間感覚のうちに自らが投企されているというよりもむしろ、自らの時間感覚がひたすらに引き延ばされて行った結果、能曲が持つ時間感覚の間尺に合うようになるのだ、という印象を抱くことがある。『黒いOL』を見ることは、能を見ることとよく似ている。とはいえ、『黒いOL』の場合、時間感覚は引き延ばされるというより、畳み込まれたものが一気に広がっていくのであり、視覚や聴覚は歪められる、という違いはあるのだが。

ここに至ってようやくその全貌がわかってきたタニノの演劇を、私は「箱庭演劇」と名づけたい。それはただ、西新宿の再開発予定土地に文字通りウナギの寝床のような細長いテントを建て、十メートル以上奥行をとった舞台の、ある場所には小さな川を拵えてコケを植栽し、ある場所にはスチール製の武骨な事務机や椅子を置き、ある場所には電子ピアノとミキサーを置く、という造作が、箱に土を盛り、草木や石、あるいは模型の家などを置く箱庭を思わせたからだけではない。ユング派の精神分析からはじまった箱庭療法では、砂を盛った箱に人形やおもちゃを配置させることで患者の精神状態を知るとともに、自己表現として患者自身が自分のことを知ることに使われる。配置された物体同士の位置関係や距離から、私たちは物語が立ち上がってくるのを見てとることができる。その意味で、箱庭療法の箱庭は静止した時間に佇む美術のインスタレーションとは異なる。インスタレーションは時間を超越しているが、箱庭療法の箱庭では時間は畳み込まれており、それを凝視する者の眼前で広がっていくのだ。

タニノの箱庭演劇には、時間の経過とともに展開される、通常の意味での物語は存在しない。時間とともに物語は畳み込まれ、観客が「読み取る」に任せて自在に形を変える。「黒いOL」とは誰のことなのか、何の象徴なのか、タニノがその意味を明かすことは決してない。ある観客は現実社会に生息するOLの日常がデフォルメされて描かれているのだととるかもしれないし、別の観客は、『死の教室』のカントールよろしく終始舞台に張りついているタニノがマイクに向かって何か囁くとOLたちが動いていくのを見て、支配?被支配の関係、正体のわからない何者かにその運命を操られている人間たちの姿を映し出しているのだととるかもしれない。だが結局、そんなことはどうでもよいのだ。眼の前で起きている一つ一つの小さな「事件」を見つめていると、私たちの感覚は異状をきたしはじめる。観客一人一人に与えられた双眼鏡で見ても判然としない、舞台の奥で起きている「何か」の正体をどうにかして見極めようと目が痛くなるまで凝視しているうちに、私たちの視覚は双眼鏡と一体になってどこまでも延びていく。BGMとして流れるセロニアス・モンクの調子外れのピアノや、舞台で発せられるノイズは、私たちの聴覚に作用して、突然世界が広がってそれらの音がどこか遠くから聞こえてくるような印象を与える。

一時間足らずの上演中、語るべき出来事は実際にはほとんど何も起きていないにもかかわらず、上演終了後、観客は誘導されて舞台にあがり、奥まで連れていかれ、見ていたつもりで見ていなかったもの、何かの残骸のように見えるさまざまな物体、を目の当たりにしてテントから出ると、まるで向精神薬を投与されたあとのように自分の感覚が変貌を遂げ、何もかもが一新された、という感じを抱くようになる。暗闇のなか「OL」たちが手に持ったロウソクを次々とともし、また消していく幕切れは一種夢のようであったし、またそれを言えば全体が夢のようであったのだが、夢から醒めたあとの、あの「何も変わっていない」という感覚ではなく、知らない間に自分の脳細胞がすっかり入れ替わってしまったかのような感覚がいつまでもつきまとって離れない。タニノクロウの世界は遂にそこまで行ってしまったのである。

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