… 日本主義といへばすぐに反動的であるとかファッショ的であるとか、非文化的であるかのやうにとられ勝ちである。だが凡てこれ程大きな誤解はない。勿論、これはこの言葉を用ひる人の理論と実践に、少くとも今までには、このやうな傾向のあつたことは否まれない事実であるけれども、同時に、かういつて鼻先で笑つてのける人達が未だに自由主義的な思想と西洋的、翻訳的教養の精算しきれないためであるともいへるのである。 日本主義…といふ言葉は中々に複雑した概念であるて容易く説明し難いが、簡単にいふと、日本民族を根幹とし、日本国家を基調とし、それを無上唯一の最高倫理として、その伸展のためにあらゆるイデオロギーの理論活動、実践活動を行ふ主義を指すのである。換言すれば日本主義は日本民族、日本国家を最高無二のゲマインシャフトとする全体主義であるといへる。しかし、それは決して固定した概念ではない。日本的といふ言葉が常に流動するやうに(人々は往々にしてこれを固定したものゝのやうに考へるが)日本主義にも、具体的、実践的の過程に於ては流動する概念である。だから万葉の精神にかへることや、徳川末期の国学の精神に就くことが、必ずしも日本主義であるとはいへない。日本主義は時代の流転に従ひ、歴史の必然につれて流動し、変貌する。日本民族、日本国家の進み方が、過去に於てもさうであり、現在に於てもさうであるのと同じ理論の構造を持つてゐる。 … 今日私たちは演劇に於ける日本主義を高調している。それは演劇そして日本民族、日本国家の伸展への一翼たらしめようとする運動に外ならない。(私たちはそれを国民演劇運動と名づけてゐる)演劇といふものが、文学、絵画、音楽、映画等と異なり、最も直接的に、最も具象的に最もダイナミツクに国民大衆の思想、感情を陶冶し組織する力をもつてゐることは今更こゝに【ルビ開始(てふてふ)】喋々【ルビ終了】するの必要はない。私達はこゝに更めてその力(社会的効用性)を再認識し、これをもつて日本民族、日本国家の伸展の線に沿はうとするものである。これこそこの聖土に生をうけた私達演劇インテリゲンチヤの大きな歴史的使命をいはなければならない。 翻つて思ふに、今日わが演劇はどういふ状態におかれてゐるであらうか。そこには歌舞伎あり、新派あり、新劇あり、軽演劇等々あり、百花爛漫の光景を呈してゐるが、はたしてそれらが国民大衆に健康な娯楽と文化を供給し、真にその民族的モラルを陶冶し、国民的良識を組織してゐるといへるであらうか。否、否である。それらは余りにも封建的な、自由主義的な観念にわづらはされ、資本主義下のコンマーシャリズム【ママ】に毒されて、国民大衆への不健康な退廃的な娯楽と文化を供給し、その思想感情を低劣卑俗の世界へ堕さしてめてゐる場合が多いのである。或ひはまたこれらのえんげきは単に大都会の有産階級の幇間的玩弄物としてのみ存在理由をもつてゐて、国民大衆の大部分を占めてゐる地方農村漁村等の人達や、勤労階級の人達はまさに演劇文化の極度の貧困におかれてゐるのである。この現状に対して私達演劇人は一つの宿命と見做して黙過してよいであらうか。 然らばこの現状をそうして革新するか。それは単に演劇人ばかりの力ではどうにもならないのである。(私達はこのにがい経験をこれ以上嘗めたくない)どうしても演劇人と国家当局との完全な握手によつてのみはじめてなし遂げられるのである。しかし今この問題にここでくはしく触れることは避け、与へられた問題に就いて若干の私見をのべる。 … 水野越前守による芝居道への天保の改革は今日私達の運動へも大きな示唆を与へてくれる。爛熟を通りこして放縦退廃の極に達した当時の歌舞伎は必然的に革新されなければならなかつたのであるが、その改革には官僚独善の傾向が強かつたやうに思はれる。水野のとつた演劇統制の精神は十分に讃意を表すべきものであるに拘わらず、その統制の方法に遺憾な点はなかつたか、史実にくらい私にはこれに就いて自信のある論は出来ないが、あの改革は純粋に保安乃至風俗警察の立場からの消極的な政治統制にすぎなかつたやうに思はれる。歌舞伎の芸術性といふものに就いての考慮もなされなければ、況やその社会的効用性による積極的な政治統制ではなかつたのだ。かういふ点この改革は私達へよき教訓を与へてくれる。 明治維新の社会革新による歌舞伎劇の変動も、また歴史の必然である。内面的には徳川封建制度の崩壊と外面的には西洋自由主義思潮の輸入によつて劇場の機構が改まり、脚本がルアリズム【ママ】の洗礼をうけ、別世界をなしてゐた俳優の生活までも漸く変化を示しはじめねばならなかつた。歌舞伎劇を構成するあらゆる部門の日本的なものが崩れはじめ、総ては西洋化への傾向をとりはじめた。だがこの現象を私達は直ちに日本的なものゝ崩壊、西洋的なるものへの屈辱だと考へてはならない。明治維新以後の社会革新が新らしい世界的日本への躍進への第一歩であると同じく、歌舞伎の変動もまた新しい日本演劇創造の第一歩である。さういふ意味で、それは歌舞伎の封建性の崩壊であつても、日本的なものゝ崩壊だなどと単純に考へてはならない。日本的なものは常に歴史の流れにつれて変化する。歌舞伎劇もまたあゝした過程を経てはじめて真の日本演劇へと生れ変るのだ。さういふ意味で演劇史の示すあの過程は日本主義の発露だと考へても差支へない。 …
・封建主義、自由主義、資本主義という言葉は反動、ファッショとともに否定的な意味を与えられている一方で、全体主義という言葉は日本主義とともに肯定的な意味を与えられている。一九三九年(昭和十四)において、(1)前近代的・反動的な封建主義を克服しつつ、(2)ヨーロッパ近代の所産である自由主義および資本主義を否定し、(3)国家の強力な指導のもと、勤労大衆のための全体主義(=国家社会主義)を目指す、という言説が支配的であったことを示す好例である。二・二六事件で「昭和維新」を唱えた青年将校たちの精神はこのような言説を経由して近衛新体制で具現化する。
・保安乃至風俗警察の立場からの消極的な政治統制から歌舞伎の芸術性および社会的効用性を高めるための積極的な政治統制が必要だと演劇法の議論がはじまる以前から大山が考えていたことは注目に値する。
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大山功「演劇に於る日本主義」『演藝畫報』第33年第1号(昭和14年1月)
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日本主義といへばすぐに反動的であるとかファッショ的であるとか、非文化的であるかのやうにとられ勝ちである。だが凡てこれ程大きな誤解はない。勿論、これはこの言葉を用ひる人の理論と実践に、少くとも今までには、このやうな傾向のあつたことは否まれない事実であるけれども、同時に、かういつて鼻先で笑つてのける人達が未だに自由主義的な思想と西洋的、翻訳的教養の精算しきれないためであるともいへるのである。
日本主義…といふ言葉は中々に複雑した概念であるて容易く説明し難いが、簡単にいふと、日本民族を根幹とし、日本国家を基調とし、それを無上唯一の最高倫理として、その伸展のためにあらゆるイデオロギーの理論活動、実践活動を行ふ主義を指すのである。換言すれば日本主義は日本民族、日本国家を最高無二のゲマインシャフトとする全体主義であるといへる。しかし、それは決して固定した概念ではない。日本的といふ言葉が常に流動するやうに(人々は往々にしてこれを固定したものゝのやうに考へるが)日本主義にも、具体的、実践的の過程に於ては流動する概念である。だから万葉の精神にかへることや、徳川末期の国学の精神に就くことが、必ずしも日本主義であるとはいへない。日本主義は時代の流転に従ひ、歴史の必然につれて流動し、変貌する。日本民族、日本国家の進み方が、過去に於てもさうであり、現在に於てもさうであるのと同じ理論の構造を持つてゐる。
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今日私たちは演劇に於ける日本主義を高調している。それは演劇そして日本民族、日本国家の伸展への一翼たらしめようとする運動に外ならない。(私たちはそれを国民演劇運動と名づけてゐる)演劇といふものが、文学、絵画、音楽、映画等と異なり、最も直接的に、最も具象的に最もダイナミツクに国民大衆の思想、感情を陶冶し組織する力をもつてゐることは今更こゝに【ルビ開始(てふてふ)】喋々【ルビ終了】するの必要はない。私達はこゝに更めてその力(社会的効用性)を再認識し、これをもつて日本民族、日本国家の伸展の線に沿はうとするものである。これこそこの聖土に生をうけた私達演劇インテリゲンチヤの大きな歴史的使命をいはなければならない。
翻つて思ふに、今日わが演劇はどういふ状態におかれてゐるであらうか。そこには歌舞伎あり、新派あり、新劇あり、軽演劇等々あり、百花爛漫の光景を呈してゐるが、はたしてそれらが国民大衆に健康な娯楽と文化を供給し、真にその民族的モラルを陶冶し、国民的良識を組織してゐるといへるであらうか。否、否である。それらは余りにも封建的な、自由主義的な観念にわづらはされ、資本主義下のコンマーシャリズム【ママ】に毒されて、国民大衆への不健康な退廃的な娯楽と文化を供給し、その思想感情を低劣卑俗の世界へ堕さしてめてゐる場合が多いのである。或ひはまたこれらのえんげきは単に大都会の有産階級の幇間的玩弄物としてのみ存在理由をもつてゐて、国民大衆の大部分を占めてゐる地方農村漁村等の人達や、勤労階級の人達はまさに演劇文化の極度の貧困におかれてゐるのである。この現状に対して私達演劇人は一つの宿命と見做して黙過してよいであらうか。
然らばこの現状をそうして革新するか。それは単に演劇人ばかりの力ではどうにもならないのである。(私達はこのにがい経験をこれ以上嘗めたくない)どうしても演劇人と国家当局との完全な握手によつてのみはじめてなし遂げられるのである。しかし今この問題にここでくはしく触れることは避け、与へられた問題に就いて若干の私見をのべる。
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水野越前守による芝居道への天保の改革は今日私達の運動へも大きな示唆を与へてくれる。爛熟を通りこして放縦退廃の極に達した当時の歌舞伎は必然的に革新されなければならなかつたのであるが、その改革には官僚独善の傾向が強かつたやうに思はれる。水野のとつた演劇統制の精神は十分に讃意を表すべきものであるに拘わらず、その統制の方法に遺憾な点はなかつたか、史実にくらい私にはこれに就いて自信のある論は出来ないが、あの改革は純粋に保安乃至風俗警察の立場からの消極的な政治統制にすぎなかつたやうに思はれる。歌舞伎の芸術性といふものに就いての考慮もなされなければ、況やその社会的効用性による積極的な政治統制ではなかつたのだ。かういふ点この改革は私達へよき教訓を与へてくれる。
明治維新の社会革新による歌舞伎劇の変動も、また歴史の必然である。内面的には徳川封建制度の崩壊と外面的には西洋自由主義思潮の輸入によつて劇場の機構が改まり、脚本がルアリズム【ママ】の洗礼をうけ、別世界をなしてゐた俳優の生活までも漸く変化を示しはじめねばならなかつた。歌舞伎劇を構成するあらゆる部門の日本的なものが崩れはじめ、総ては西洋化への傾向をとりはじめた。だがこの現象を私達は直ちに日本的なものゝ崩壊、西洋的なるものへの屈辱だと考へてはならない。明治維新以後の社会革新が新らしい世界的日本への躍進への第一歩であると同じく、歌舞伎の変動もまた新しい日本演劇創造の第一歩である。さういふ意味で、それは歌舞伎の封建性の崩壊であつても、日本的なものゝ崩壊だなどと単純に考へてはならない。日本的なものは常に歴史の流れにつれて変化する。歌舞伎劇もまたあゝした過程を経てはじめて真の日本演劇へと生れ変るのだ。さういふ意味で演劇史の示すあの過程は日本主義の発露だと考へても差支へない。
…
・封建主義、自由主義、資本主義という言葉は反動、ファッショとともに否定的な意味を与えられている一方で、全体主義という言葉は日本主義とともに肯定的な意味を与えられている。一九三九年(昭和十四)において、(1)前近代的・反動的な封建主義を克服しつつ、(2)ヨーロッパ近代の所産である自由主義および資本主義を否定し、(3)国家の強力な指導のもと、勤労大衆のための全体主義(=国家社会主義)を目指す、という言説が支配的であったことを示す好例である。二・二六事件で「昭和維新」を唱えた青年将校たちの精神はこのような言説を経由して近衛新体制で具現化する。
・保安乃至風俗警察の立場からの消極的な政治統制から歌舞伎の芸術性および社会的効用性を高めるための積極的な政治統制が必要だと演劇法の議論がはじまる以前から大山が考えていたことは注目に値する。