一九三七年(昭和十二)前後の新劇の行き詰まりについての証言。
私が、所謂演劇運動の実際から身をひいて既に大分になる。実際からは身を引いたが、その間にも、私の関心が演劇からはなれてゐたわけではない。… しかし仕事を中途で投げ出したものが、仕事を続行している人に向つて、何か批判めいたことをいふのは、たしかに、をこの沙汰である。その点で、とにかく仕事を投げ出さずに続行してゐる人々に対しては、私は尊敬の念を禁じ能はぬ。 さういふ昔の友達の仕事に対する尊敬と感謝の意味で、私は時々、新劇の舞台を覗きにゆくのである。 しかし、私の充分な感謝の目にさへ、現在の新劇は淋しく、はかなく、貧しいのである。況や、一般の観客にとつては、どんなにか心細く、みすぼらしいものであるだらうか。 現在の新劇には、既に私達の目を奪ふ何ものもないのである。 … 仕事を棄てずに続行することは立派であるが、この新劇の敗北的な姿勢が、どうにかならぬうちは、新劇の魅力は決してあらはれない。私は別に理屈をいつてゐるのではない。 甚だ漠然とした言葉だが、目を奪ふものがない、という点を指摘してゐるのだ。しかしこれは、漠然とはしているが、内容は深いのである。新劇がその点に留意しない限りはいつまでも見透しがつかないだらう。 それにつけても思ふのだが、現在の新劇当事者が、いづれも理想がないのではないのである。 むしろ、それぞれに、高い理想をもつてゐる。抱負ももつてゐる。 それでゐて、実行力に乏しい。手段に乏しい。 いざとなると躊躇する。新劇から商業劇団に入つた人で、なかなかいい理想なり良識なりある筈の人が、一向にその抱負を実現してくれない。因習に打ちなかされてゐる。 新劇の盛んにならぬのは一にそのためだ。新劇から入つた人達が、もっと大胆に、抱負なり理想なりを、商業劇団の中で、やつてみるだけの度胸があったら、—たとへ、そのために、一、ニの犠牲があつたにしろ、新劇の勢力は高められていたに相違ない。そこがさううまくいかぬのが現実かもしれぬが、妥協も又多すぎるのではあるまいか。
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舟橋聖一「演劇上の雑感」『東宝』第三十七号(昭和十二年一月)
一九三七年(昭和十二)前後の新劇の行き詰まりについての証言。
私が、所謂演劇運動の実際から身をひいて既に大分になる。実際からは身を引いたが、その間にも、私の関心が演劇からはなれてゐたわけではない。…
しかし仕事を中途で投げ出したものが、仕事を続行している人に向つて、何か批判めいたことをいふのは、たしかに、をこの沙汰である。その点で、とにかく仕事を投げ出さずに続行してゐる人々に対しては、私は尊敬の念を禁じ能はぬ。
さういふ昔の友達の仕事に対する尊敬と感謝の意味で、私は時々、新劇の舞台を覗きにゆくのである。
しかし、私の充分な感謝の目にさへ、現在の新劇は淋しく、はかなく、貧しいのである。況や、一般の観客にとつては、どんなにか心細く、みすぼらしいものであるだらうか。
現在の新劇には、既に私達の目を奪ふ何ものもないのである。
…
仕事を棄てずに続行することは立派であるが、この新劇の敗北的な姿勢が、どうにかならぬうちは、新劇の魅力は決してあらはれない。私は別に理屈をいつてゐるのではない。
甚だ漠然とした言葉だが、目を奪ふものがない、という点を指摘してゐるのだ。しかしこれは、漠然とはしているが、内容は深いのである。新劇がその点に留意しない限りはいつまでも見透しがつかないだらう。
それにつけても思ふのだが、現在の新劇当事者が、いづれも理想がないのではないのである。
むしろ、それぞれに、高い理想をもつてゐる。抱負ももつてゐる。
それでゐて、実行力に乏しい。手段に乏しい。
いざとなると躊躇する。新劇から商業劇団に入つた人で、なかなかいい理想なり良識なりある筈の人が、一向にその抱負を実現してくれない。因習に打ちなかされてゐる。
新劇の盛んにならぬのは一にそのためだ。新劇から入つた人達が、もっと大胆に、抱負なり理想なりを、商業劇団の中で、やつてみるだけの度胸があったら、—たとへ、そのために、一、ニの犠牲があつたにしろ、新劇の勢力は高められていたに相違ない。そこがさううまくいかぬのが現実かもしれぬが、妥協も又多すぎるのではあるまいか。