毛皮族『脳みそぐちゃぐちゃ人間』

冒頭で導入される『娘道成寺』のイメジャリが途中で無惨に消え失せてしまい、前回と同様ラブ&ピースのメッセージに回帰してしまうのは明らかに脚本上の欠陥。とはいえ、宝塚ではなくて歌舞伎のパロディをやるというのは新しい試みで、しかもたんなる本歌取りになってない点では花組芝居の向こうを張れるかも、と途中までわくわくしたのは事実。
レビュー部分はとりあえず振り付けました、歌いました、踊りました、というのが目立つ。疲れてるんだろうな、パワーが足りないな、と思うのと同時に、もうレビューそのものには(限られている)リソースを割かない、というのは賢明な選択ではないかとも思う。70年代ディスコサウンドとファッション、そして反戦のメッセージはラブ&ピース一色になって展開する後半部を見事に縁取りしており、前回よりもうまく作り込めていたことも本当。
時折挟まれるニューヨークのイメージで、江本純子がニューヨークに行っていたことを思い出す。ニューヨークの演劇シーンに日本の演劇人が「啓発」されるとろくなことにはならいが、たくさんの大型犬を連れて散歩とか、英語の台詞ぐらいはいいのではないか。
横町慶子の使いかたはほぼ失敗。とくに最後の場面で、彼女が死体の肉を口に咥えて去る、というのは明らかに異質なイメージで、散逸していたイメージが収斂していくのを邪魔するだけ。ロマンチカは80年代を再現し、毛皮族は70年代を再現する、ちゃんと棲み分けができているんだからわざわざその境界を越えることはないのに。
町田マリー演ずるアッコちゃんが「ビバスローライフ」という刺青の文句を入れるのは、江本純子の本音だろう。今回はこれまで毛皮族の作品を特徴づけていたドライブ感を全く感じられず、それは手抜きとか疲労困憊という印象を与えることにも一役買っているのだが、意図的に物語の展開を遅くしているのもわかる。まあ、ラブ&ピースを気取るなら Sit back and Relax だからね。
昨日たまたまとある研究会で久しぶりにロバート・アルトマンの『マッシュ』(の一部)を見たので、そのせいもあるのだが、作品全体に伏流するこの Sit back and Relax というメタメッセージを受け取ると、アルトマン的な、狂騒と無秩序が妙にゆっくりした時間の流れで展開する世界が舞台で再現されているような錯覚も受ける。江本純子ははたしてアルトマンを意識していたのだろうか。

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