「たが屋」のサゲ

NHK落語名人選15三代目桂三木助には「たがや」が収録されているが、解説の飯島友治は以下のように書いている。

昔は、侍にきられた【傍点開始】たが【傍点終了】屋の首が宙に飛んで、涙声に「たがやァ」とサゲていた。それが安政の大地震によって、それまでその日暮らしの職人たちに、復興のための仕事が降ってわき、手間賃が上がって金回りがよくなった職人たちは、仕事を終えると遊郭や寄席に押し寄せた。彼らを迎えて、そこは、頭の回転が人一倍速い噺家、職人たちの溜飲が下がる話に作り変えたというわけだ。

一方、小谷野敦はそのブログで以下のように書いている。

CDボックス「談志百席」で「たが屋」を聴いた。最後は、侍にたが屋が首を斬られて中天高く舞い上がる。これが本来の型である。明治になって、侍が斬られるように変わった。確かにそうである。供侍二人をやっつけるのはまぐれとして、一介のたが屋がその上主人の侍まで斬るなどありえない。落語はそういう「勧善懲悪」の絵空事をやらないはずの世界だが、明治「たが屋」だけはそれをやってきた。しかしこの型なら、その後たが屋は重罪に問われる。いずれにせよ打ち首であろう。そして、たが屋の首が飛ぶからこそ「たが屋ー」というサゲがあるわけだ。さすが談志師匠である。

どちらが正しいのか、今の私には判断できる材料はないが、落語が「勧善懲悪」の絵空事をやらない、というのは首肯しかねる。勧善懲悪という言葉をどう捉えるかにもよるが、たとえば「一文惜しみ」などは勧善懲悪といえるのではないだろうか。

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