見ているときは割と夢中になっていたが自転車で帰宅しながら醒めていった。形式的な実験としては一つの達成だと思う。演劇の観客でスチャダラパーを聞き込んでいる人はあまりいないはずだし。SDPによる日本語ラップの革命を演劇に持ち込んだのはコロンブスの卵の発想だった。
「歌うな語れ、踊るな動け」という小山内薫の言葉は新劇にとってばかりかアングラにとっても呪縛となった。アンチ新劇を唱えたアングラは歌い踊り、結果として、一つの様式に過ぎなくなったからだ。
平田オリザの現代口語演劇はなによりもリズムの実験であり、アングラのはまった袋小路から抜け出すために語りも歌いもせずにリズムを刻むというものだった。そして初期青年団の俳優たちは転位21の山崎哲のところで平田の思想を具現化する術を学んだ。転位21の俳優たちの台詞術はもちろんアングラの引力圏から抜け出ていなかったが、だが独特の息継ぎの仕方など、たしかに次世代の青年団による現代口語演劇を予感させるものはあった。そして、「わが星」は平田らの苦闘をいわば軽々と乗り越えた。日本語ラップという「飛び道具」を使って。
初演は見ていないから同じなのかはわからないが、わたし役の端田新菜の天才的なリズム感の良さが今回の上演の成功の決め手だろう。残念ながら、他の俳優たちは彼女ほどリズム感がよくない。とくに男性陣の殆どが「頑張って」いるところが見えて興ざめ。リズムは努力して追うと、微妙に遅れる。自分で刻むしかない。あと、小節の頭で合わそうとしてはだめ。というような、ある程度音楽をやったことのある人間なら常識的なことが俳優にはなかなかわからない。稽古では相当だめ出しをしたはずだし、頭ではわかっているのだろうが、リズム感だけは生まれもっての才能だからしかたない。しかし端田新菜は本当に素晴らしい。リズムが体に「生きて入って」いる。
戯曲としては佳作だとは思う。「わが町」には相当似ていない。「わが星」なんて題名つけなければよかったのに。戯曲を読んだだけではこの作品の魅力は半分以下だから仕方ないが、鴻上尚史の岸田戯曲賞の選評は的外れもいいところだ。反復とそのずらしをはじめとする音楽的な構造をこそ評価しなければ。
音楽=純粋な形式だからこそ、麻薬にも似て、その場では陶酔できるが、しばらくすると忘れてしまう。ずしんとくる内容はあまりない。それはもちろん「わが星」の欠陥ではない。そんなこと言ったら歌舞伎は全部ダメになるからね。ただ、「わが町」もまた形式上の実験として特筆すべきなのだが、内容が素晴らしいと思う人もいて、「わが町」と同じほど内容があるかというと、それには遙か遠く及ばない。
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ままごと「わが星」@三鷹市芸術文化センター 星のホール、2011年4月21日
見ているときは割と夢中になっていたが自転車で帰宅しながら醒めていった。形式的な実験としては一つの達成だと思う。演劇の観客でスチャダラパーを聞き込んでいる人はあまりいないはずだし。SDPによる日本語ラップの革命を演劇に持ち込んだのはコロンブスの卵の発想だった。
「歌うな語れ、踊るな動け」という小山内薫の言葉は新劇にとってばかりかアングラにとっても呪縛となった。アンチ新劇を唱えたアングラは歌い踊り、結果として、一つの様式に過ぎなくなったからだ。
平田オリザの現代口語演劇はなによりもリズムの実験であり、アングラのはまった袋小路から抜け出すために語りも歌いもせずにリズムを刻むというものだった。そして初期青年団の俳優たちは転位21の山崎哲のところで平田の思想を具現化する術を学んだ。転位21の俳優たちの台詞術はもちろんアングラの引力圏から抜け出ていなかったが、だが独特の息継ぎの仕方など、たしかに次世代の青年団による現代口語演劇を予感させるものはあった。そして、「わが星」は平田らの苦闘をいわば軽々と乗り越えた。日本語ラップという「飛び道具」を使って。
初演は見ていないから同じなのかはわからないが、わたし役の端田新菜の天才的なリズム感の良さが今回の上演の成功の決め手だろう。残念ながら、他の俳優たちは彼女ほどリズム感がよくない。とくに男性陣の殆どが「頑張って」いるところが見えて興ざめ。リズムは努力して追うと、微妙に遅れる。自分で刻むしかない。あと、小節の頭で合わそうとしてはだめ。というような、ある程度音楽をやったことのある人間なら常識的なことが俳優にはなかなかわからない。稽古では相当だめ出しをしたはずだし、頭ではわかっているのだろうが、リズム感だけは生まれもっての才能だからしかたない。しかし端田新菜は本当に素晴らしい。リズムが体に「生きて入って」いる。
戯曲としては佳作だとは思う。「わが町」には相当似ていない。「わが星」なんて題名つけなければよかったのに。戯曲を読んだだけではこの作品の魅力は半分以下だから仕方ないが、鴻上尚史の岸田戯曲賞の選評は的外れもいいところだ。反復とそのずらしをはじめとする音楽的な構造をこそ評価しなければ。
音楽=純粋な形式だからこそ、麻薬にも似て、その場では陶酔できるが、しばらくすると忘れてしまう。ずしんとくる内容はあまりない。それはもちろん「わが星」の欠陥ではない。そんなこと言ったら歌舞伎は全部ダメになるからね。ただ、「わが町」もまた形式上の実験として特筆すべきなのだが、内容が素晴らしいと思う人もいて、「わが町」と同じほど内容があるかというと、それには遙か遠く及ばない。