北村想の平田オリザの演劇論批判はこれまでされてきた批判と同様、力の入れどころが間違っている。とくに『演技と演出』は演劇論というよりワークショップの教科書で、よく言えばおおまかな、悪くいえば相当杜撰な、見取り図を示しているにすぎず、肩肘張って批判するべきものではない。平田のワークショップでの振る舞いはあそこに書かれているよりもっと柔軟であると容易に想像できるし、あれはあくまでも出発点であって、平田の方法論の総集成という性格のものではない。
とはいえ、多くの人が反発を感じ、真面目に批判をするのは、平田の「啓蒙的な」すなわち、「上から教え諭す」ようで「妙に平明な」文体のせいなのだろう。平田は典型的な「走りながら考える」演劇人であるにもかかわらず、走りながら考えたときの切迫感を自分の文体から見事に消去する。その結果、平田は(平田自身が尊敬を表明する)太田省吾のような「走ってからじっくり考える」人にすら見える。「じっくり考え」たにしては「中身が薄い」「正確ではない」というのが数々の平田に対する批判の焦点なのだが、本当は「走りながら考え」た、すなわち書き飛ばしただけなのだから、そこまで真面目にとる必要はないのだ。
もちろん、平田の杜撰な把握が、あの啓蒙的な文体と相まって提示されると大きな影響力を行使する、という懸念はよくわかる。だからといって牛刀をもって鶏を割くようなことをしても仕方がない。平田の言説を相対化することは大切だが、感情的反発が底に透けてみえるようなものではいけない。北村のものは一見そうはなっていないが、経験論と先験論の話からはじめるところを見ると「力こぶ入っているな」と思ってしまう。そんなご大層なものではないのに、かえって相手を権威化してしまっている。相手を必要以上に大きく捉えてしまうことになる。
私の知っている北村想は、権威にたいして「こっちは関係ないもん」と言える、軽く洒脱な人だった。もちろん、あの批判も軽みや洒脱がないわけではないが、すごく「マジ」になっていることが伺われて、北村も老いたのかな、と少し悲しくなった。
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平田オリザ『演技と演出』について
北村想の平田オリザの演劇論批判はこれまでされてきた批判と同様、力の入れどころが間違っている。とくに『演技と演出』は演劇論というよりワークショップの教科書で、よく言えばおおまかな、悪くいえば相当杜撰な、見取り図を示しているにすぎず、肩肘張って批判するべきものではない。平田のワークショップでの振る舞いはあそこに書かれているよりもっと柔軟であると容易に想像できるし、あれはあくまでも出発点であって、平田の方法論の総集成という性格のものではない。
とはいえ、多くの人が反発を感じ、真面目に批判をするのは、平田の「啓蒙的な」すなわち、「上から教え諭す」ようで「妙に平明な」文体のせいなのだろう。平田は典型的な「走りながら考える」演劇人であるにもかかわらず、走りながら考えたときの切迫感を自分の文体から見事に消去する。その結果、平田は(平田自身が尊敬を表明する)太田省吾のような「走ってからじっくり考える」人にすら見える。「じっくり考え」たにしては「中身が薄い」「正確ではない」というのが数々の平田に対する批判の焦点なのだが、本当は「走りながら考え」た、すなわち書き飛ばしただけなのだから、そこまで真面目にとる必要はないのだ。
もちろん、平田の杜撰な把握が、あの啓蒙的な文体と相まって提示されると大きな影響力を行使する、という懸念はよくわかる。だからといって牛刀をもって鶏を割くようなことをしても仕方がない。平田の言説を相対化することは大切だが、感情的反発が底に透けてみえるようなものではいけない。北村のものは一見そうはなっていないが、経験論と先験論の話からはじめるところを見ると「力こぶ入っているな」と思ってしまう。そんなご大層なものではないのに、かえって相手を権威化してしまっている。相手を必要以上に大きく捉えてしまうことになる。
私の知っている北村想は、権威にたいして「こっちは関係ないもん」と言える、軽く洒脱な人だった。もちろん、あの批判も軽みや洒脱がないわけではないが、すごく「マジ」になっていることが伺われて、北村も老いたのかな、と少し悲しくなった。