『エクスターズ』、クリストフ・マルターラーが日本人でタモリ倶楽部のファンだったらこういう作品を作るだろう。Low Key/ Low-Fiの演劇の傑作。
『巨大なるブッツバッハ村―ある永続のコロニー』でマルターラーはヨーロッパ文明の黄昏を描いたが、タニノクロウは人生の黄昏を描いた。共通するのは、絶望ではなく脱力感が訪れること、一気に何かが終わるのではなく少しずつ零れ落ちていくこと、そして何よりも、そこに音楽があることだ。
タニノはこの数年子供の視点を通して世界を提示することに熱中していたが、今後暫くは老人の視点になるのだろうか。いずれにせよ、共同体を構成する人間のなかでも「弱者」に分類される人々が見る世界が提示されるのは興味深い。
弱者に寄り添う優しさもさることながら、弱者も共同体の構成員なんだから、(私たちから見れば)奇妙なその世界像を共有しなければならない、という有無を言わさぬ強引さこそタニノの持ち味なのだと思う。
『エクスターズ』の高くそびえる壁は、ロバート・ウィルソンが東京グローブ座で上演したチェーホフ『白鳥の歌』の舞台を思い出させる。それを目前にして、屋台崩しをするのかな、しないとつまらないが、してもありきたりだな、と思った。最後の場面はそのどちらでもなく、よい意味で期待を裏切られた。
タニノクロウが『エクスターズ』で演出家として苦労したのは、いかに半ば素人の女優たちに「演技」させないかということだったのではないか。素人ほど舞台に立つと「芝居」をしたがる。芝居をしたくてうずうずしている女優たちに、ただ素をさらけ出せ、とずっと言い続けることは大変なことだったろう。
そのおかげで観客は「芝居」したくてうずうずする気持ちを抑えつつ、舞台で淡々とキッカケをこなす女優たちという奇妙な見物を目にすることになる。彼女たちの女優としての「断念」は老いを迎える人間の断念と重なり、エクスターズならぬ「恍惚の人」として生きることの深刻さと滑稽さが一遍に伝わる。
『エクスターズ』の公演が二日きりなのは残念だが、このまま長く続けていけば女優たちは自分たちがそれでも演技をしているのだ、と気づいてしまうだろう。舞台全体から「断念」のかわりに演技する喜びが伝わってくるようになるかもしれない。それもまた一つの見物であるが現在の舞台とは異質なものだ。
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『エクスターズ』@舞台芸術公園野外劇場「有度」
『エクスターズ』、クリストフ・マルターラーが日本人でタモリ倶楽部のファンだったらこういう作品を作るだろう。Low Key/ Low-Fiの演劇の傑作。
『巨大なるブッツバッハ村―ある永続のコロニー』でマルターラーはヨーロッパ文明の黄昏を描いたが、タニノクロウは人生の黄昏を描いた。共通するのは、絶望ではなく脱力感が訪れること、一気に何かが終わるのではなく少しずつ零れ落ちていくこと、そして何よりも、そこに音楽があることだ。
タニノはこの数年子供の視点を通して世界を提示することに熱中していたが、今後暫くは老人の視点になるのだろうか。いずれにせよ、共同体を構成する人間のなかでも「弱者」に分類される人々が見る世界が提示されるのは興味深い。
弱者に寄り添う優しさもさることながら、弱者も共同体の構成員なんだから、(私たちから見れば)奇妙なその世界像を共有しなければならない、という有無を言わさぬ強引さこそタニノの持ち味なのだと思う。
『エクスターズ』の高くそびえる壁は、ロバート・ウィルソンが東京グローブ座で上演したチェーホフ『白鳥の歌』の舞台を思い出させる。それを目前にして、屋台崩しをするのかな、しないとつまらないが、してもありきたりだな、と思った。最後の場面はそのどちらでもなく、よい意味で期待を裏切られた。
タニノクロウが『エクスターズ』で演出家として苦労したのは、いかに半ば素人の女優たちに「演技」させないかということだったのではないか。素人ほど舞台に立つと「芝居」をしたがる。芝居をしたくてうずうずしている女優たちに、ただ素をさらけ出せ、とずっと言い続けることは大変なことだったろう。
そのおかげで観客は「芝居」したくてうずうずする気持ちを抑えつつ、舞台で淡々とキッカケをこなす女優たちという奇妙な見物を目にすることになる。彼女たちの女優としての「断念」は老いを迎える人間の断念と重なり、エクスターズならぬ「恍惚の人」として生きることの深刻さと滑稽さが一遍に伝わる。
『エクスターズ』の公演が二日きりなのは残念だが、このまま長く続けていけば女優たちは自分たちがそれでも演技をしているのだ、と気づいてしまうだろう。舞台全体から「断念」のかわりに演技する喜びが伝わってくるようになるかもしれない。それもまた一つの見物であるが現在の舞台とは異質なものだ。