曾我廼家五郎:喜劇作者としての私(喜劇の過去現在未来)

 大したもんで、私も人から喜劇の作を頼まれました。エヽ、御承知でせう、猿之助(きのし)君にも約束したのです。ナニ、松前鐵之助を書いたらどうだらうと思ひましてね。講談でゆくと鐵之助は、一生涯笑ふことを断つてしまひ、その為に死にますね。あの鐵之助が、無論忠義一方で、一生懸命に若殿のお守り役としての役目を果たすんですが、若殿の方では、どうしても鐵之助が好きになれないというふ所を書いたら面白からうと思つて、引受はしたのですが、今だに忙がしいので、果たせないやうな始末です。

 私の書いた喜劇ですか。モウやがて千の聲を聞くでせう。書いたものです。尤もその中には、いろいろの方から、材料を教へて戴いた物は相当ありますが、どうしても今の所では、一度私しが書き直さないと、私しの一座の舞台には上(の)らないのです。上つてもキツと面白くないのです。なんと云つても、役者に当嵌めて狂言をこしらへないと、舞台が生きて来ません。女形にしても、大磯に向く役と、秀蝶なら生きる役と、桃蝶なら嵌る役とありますからね。尤も書いているうちには、それが解らないことがあつて、舞台に上つてから気がつき、早速取替えてしまふこともあります。そんな事は遠慮なくやるのです。

 材料ですか。これには、まだ脚本になつていない種が全部書いてあります、脚本になつたものはこうして赤で消してゆきます。三面記事、毎日の見聞、小説、黄表紙、なんでもかんでも、見当つたら書いて置きます。セリフなぞも思ひついたら、直ぐに書いて置くのですが、さて時と場合、これだけでは間に合はないことがあるので、苦労をしますよ。隙(ひま)といつたら殆んどありませんな、昼間は、次興行の脚本を書くか、稽古か、どつちかにつぶれてしまひます。第一だの第五だのゝ脚本なら、一日で欠けますが、第三や第四だと、どうしたつて一週間はかゝります。何しろ、むづかしいもので、年中変つてゆく世相を見つめながら、それに合ふやうに書いてゆくんですから。

 私の脚本に、よく上流の過程が出ないと仰しやる方がありますが、私はわざと書かないのです。御見物には、随分上流の方が入らしつて下さるのですが、その方々は、自分たちの日常生活を御覧になつても面白くはありません。下層の生活の描写に興味をお持ちになるのです。それと、一つは、何しろ座長が私で、蝶六小次郎ぢやア、上流の人間にやアなれつこありません。一度さうした脚本で失敗をしたのです。熊さん八さんなら、別に苦労もせずになれますがね、華族さんなんぞになつたつて、さう見える訳がありません。だから、私の芝居には、華族様は一切出しません。笑はれますからね。軍人だつて左官級までです。財産家は精々十萬圓程度にきめています。いくら書いたつて、その人間になれなけりやア役に立ちません。

 本当はモウ千以上になつているのです。ですが昔は、筋書だけでよかつたもので、セリフは全く口立てでやつていたのです。それが癖になつていますから、私と蝶六と差向ひなら、いくら長い時間でも、しやべるだけで持切れるつもりで居ります。脚本を書くやうになつてからでも、蝶六と二人だけだと、ツイ余計な事をしやべつてしまつて、警察から叱られるのです。併し、御見物は、そんな時の方が面白いと仰しやるんです。

 何しろ書き手が私ですから、全くいゝ加減なもので、脚本なぞと申すのは烏滸がましい次第です。さうして、本当を云ふと、御見物を笑はせるやうに書くのは、実に容易(やさ)しいことなのです。

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