タニノクロウ 人と作品(2)タニノクロウのエロティシズム[没バージョン]

タニノクロウと書いてあると、知る人ぞ知る変態漫画家、サガノヘルマーと間違えそうになる(どんなにエログロな絵柄かはググってください)。どちらもカタカナの名前だから、というだけではない。

タニノクロウのエロティシズムの本質は透視である。服を着ている女子の裸を想像したり、ちらりと見えた下着から隠れた部位を思い浮かべたりすることは思春期のヘテロな男子なら誰でも経験があるはずだが、タニノの想像力はそこにとどまらない。主宰する庭劇団ペニノが世に出るきっかけとなったのはガーディアン・ガーデン演劇フェスティバルだったけれど、そのとき同じく出場していた女性だけのとある演劇集団について、タニノが語ったことが忘れられない。作品のよしあしについて意見をたずねると、それには答えず、「すごいですよね、あれだけの人数いると、絶対一人は生理中でしょうからね」。

タニノは性的関心を抱いたから生理中の女性を想像しようとしていたのではない。ただ経血を排出している女性が見えてしまうのだ。私たちの大半は、普段世界を性的な意味に満ちているものとして見ていない。何らかの理由で性的衝動に駆られ、世界が性的な意味を帯びることはもちろんある。だがそんなときでも、私たちは自分の見たいものしか見ない。とくに男性は性的に興奮するために都合の悪いものを想像力の埒外に追いやろうとする傾向がある。ところがタニノは、いついかなる時も、自分が見たくないものでも、透視できてしまう。その点でタニノは正しく「性的人間」なのだ。

そしてタニノのエロティシズムは、いつでも発動しているがゆえに、射精=オーガズムへ向かうことはまれである。皮膚の下で何かが蠢く感じ、前オーガズム状態のムズムズして落ち着かない気持ちが、『アンダーグラウンド』や『笑顔の砦』といった作品には充満している。またそれは、主人と奴隷の関係を確認するSMプレイとして表象されることもある。や『星影のJr.』のように、支配ー服従にかかわる言語ゲームであるSMプレイに、性的な意味づけが与えられていることの滑稽さと哀しさをあぶり出す。

サガノヘルマーの下手な絵が読者を萎えさせるように、タニノ作品の過剰なエロスが空転するさまは観客を脱力感へと誘う。そのとき私たちは、見えてしまうけれど興奮できない、というタニノのエロティシズムを代理的に味わうことになるのだ。

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