岡本綺堂は喜劇「小栗栖の長兵衛」を書いた後、一旦得意になった長兵衛が忽ちに没落する後日劇を発表した。作者の意図から云へば、勿論両者相俟ってはじめて完成するわけであらうが、舞台に於いては成功せず、戯曲集などにも後日劇の方は省かれてゐる。(…以下略…) 柴田宵曲『煉瓦塔』七八頁「後篇」
『新訂増補 歌舞伎事典』の津上忠の記述によれば、『小栗栖の長兵衛』初演は大正九年(一九二〇)十一月東京・明治座で、長兵衛は二世市川猿之助が演じた。「全体的に喜劇仕立てで、権威とか強い者の前には、理非を忘れて屈してしまう人間の弱さに対する作者の風刺的なねらいがうかがえる。《父帰る》に次ぐ猿之助の出世作になったというのが初演時の評判。作者も俳優の工夫によって成功したとして、以後二十年ばかりは猿之助のほかに上演を許さなかった」『新訂増補 歌舞伎事典』八〇頁
悲劇喜劇あわせて一つのもの、という歌舞伎的な発想が綺堂にはあり、また柴田宵曲もそれを当然のこととして受け入れているが、一般の観客にとってすでにそのような発想はなじまず、一九二〇年の段階で喜劇を単体で楽しむことが普通になっていた、という解釈もできるかな。
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柴田宵曲『煉瓦塔』「後篇」
岡本綺堂は喜劇「小栗栖の長兵衛」を書いた後、一旦得意になった長兵衛が忽ちに没落する後日劇を発表した。作者の意図から云へば、勿論両者相俟ってはじめて完成するわけであらうが、舞台に於いては成功せず、戯曲集などにも後日劇の方は省かれてゐる。(…以下略…)
柴田宵曲『煉瓦塔』七八頁「後篇」
『新訂増補 歌舞伎事典』の津上忠の記述によれば、『小栗栖の長兵衛』初演は大正九年(一九二〇)十一月東京・明治座で、長兵衛は二世市川猿之助が演じた。「全体的に喜劇仕立てで、権威とか強い者の前には、理非を忘れて屈してしまう人間の弱さに対する作者の風刺的なねらいがうかがえる。《父帰る》に次ぐ猿之助の出世作になったというのが初演時の評判。作者も俳優の工夫によって成功したとして、以後二十年ばかりは猿之助のほかに上演を許さなかった」『新訂増補 歌舞伎事典』八〇頁
悲劇喜劇あわせて一つのもの、という歌舞伎的な発想が綺堂にはあり、また柴田宵曲もそれを当然のこととして受け入れているが、一般の観客にとってすでにそのような発想はなじまず、一九二〇年の段階で喜劇を単体で楽しむことが普通になっていた、という解釈もできるかな。