芸術劇場で染五郎主演の二〇〇五年十一月歌舞伎座公演の収録を見た。一九二四年(大正十三)の作品だというが、上演された時代を鑑みてもなんと古くさくつまらない作品であることか。単純な筋立てのメロドラマという点では、明治末期の曾我廼家五郎の人情劇にはるかに劣る。ハロルド・チャピンの「オオガスタその父を探す」を翻案し、典型的な世話物の構図を借りつつも、ある種の詩情を醸し出そうというのが小山内の魂胆だったのかもしれないが、結局それはごく限られた人々の感受性をあてにした、エリート主義的な発想でしかなかったことは、この作品が時代を超えて生き残らなかったという事実が証明している。
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小山内薫「息子」
芸術劇場で染五郎主演の二〇〇五年十一月歌舞伎座公演の収録を見た。一九二四年(大正十三)の作品だというが、上演された時代を鑑みてもなんと古くさくつまらない作品であることか。単純な筋立てのメロドラマという点では、明治末期の曾我廼家五郎の人情劇にはるかに劣る。ハロルド・チャピンの「オオガスタその父を探す」を翻案し、典型的な世話物の構図を借りつつも、ある種の詩情を醸し出そうというのが小山内の魂胆だったのかもしれないが、結局それはごく限られた人々の感受性をあてにした、エリート主義的な発想でしかなかったことは、この作品が時代を超えて生き残らなかったという事実が証明している。