明治二十三年八月横浜・蔦座、九月芝森元町・開盛座における川上音二郎一座の公演は大盛況であり、余勢を駆って翌二十四年六月中村座に進出したことに驚いた田村成義は『続々歌舞伎年代記』にこう書いたという。
芝の開盛座横浜の蔦座等にて開演したるも書生劇の名称はあり乍ら其実喜劇若しくは仁輪加に類せりとて好劇家の目をひく迄には至らざりし
当時は実際の公演の呼称には使われていなかったはずの「喜劇」という言葉が目を引く。
広田栄太郎『近代訳語考』には、comedyという語に「喜劇」という訳語が当てられたのは明治二十四年坪内逍遥によるもので、同年森鴎外は嬉劇という語を当てている、と書かれている。しかし飯沢匡『武器としての笑い』では、この広田の説が紹介されたあと、新発見として明治十六(一八八三)年にすでに徳富蘇峰が「官民調和論」(植手通有編『徳富蘇峰集』東京、筑摩書房、一九七四)の中で喜劇という語を用いていることが報告されている(一七頁)。なお、大笹『日本現代演劇史』には「尾崎紅葉によるモリエール『守銭奴』の翻案が『喜劇夏小袖』と題されるのは明治二十五年である」とあるが、これは誤り。『夏小袖』は喜劇という名目で上演されてはいない。
『続々歌舞伎年代記』そのものは一九一二年(大正元)に刊行されており、これは一九一〇年の田村の死のあとになる。この述懐が編集段階で挿入されたかどうかは不明のままである。
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倉田喜弘『近代劇のあけぼの』
明治二十三年八月横浜・蔦座、九月芝森元町・開盛座における川上音二郎一座の公演は大盛況であり、余勢を駆って翌二十四年六月中村座に進出したことに驚いた田村成義は『続々歌舞伎年代記』にこう書いたという。
芝の開盛座横浜の蔦座等にて開演したるも書生劇の名称はあり乍ら其実喜劇若しくは仁輪加に類せりとて好劇家の目をひく迄には至らざりし
当時は実際の公演の呼称には使われていなかったはずの「喜劇」という言葉が目を引く。
広田栄太郎『近代訳語考』には、comedyという語に「喜劇」という訳語が当てられたのは明治二十四年坪内逍遥によるもので、同年森鴎外は嬉劇という語を当てている、と書かれている。しかし飯沢匡『武器としての笑い』では、この広田の説が紹介されたあと、新発見として明治十六(一八八三)年にすでに徳富蘇峰が「官民調和論」(植手通有編『徳富蘇峰集』東京、筑摩書房、一九七四)の中で喜劇という語を用いていることが報告されている(一七頁)。なお、大笹『日本現代演劇史』には「尾崎紅葉によるモリエール『守銭奴』の翻案が『喜劇夏小袖』と題されるのは明治二十五年である」とあるが、これは誤り。『夏小袖』は喜劇という名目で上演されてはいない。
『続々歌舞伎年代記』そのものは一九一二年(大正元)に刊行されており、これは一九一〇年の田村の死のあとになる。この述懐が編集段階で挿入されたかどうかは不明のままである。