一八八〇年代を中心とする前後一〇年ほどの間、明治天皇の地方巡業がしばしば行われた。…その地方巡幸が一段落したのち、つまり九〇年をはさむ前後数年間に、芸能の天覧が続出する。すでに眺めたように、相撲、歌舞伎、講談、そして手品の天覧は、相撲と帰天斎正一を除けば、すべて重臣の邸宅で余興の一つとして行われた。いったい天覧の意図するものはなんであったのか。 かねがね政府は、芸人社会から卑猥性を追放するために躍起となってきた。それにもまして、体制批判や皇室の冒瀆に眼を光らせてきた。しかし、どれほど取締りを強化しても、根絶することができない。そこで一転して、天覧という懐柔策を用いたのではないだろうか。 地方巡幸の場合、各地の有力者に金銀を与え、その徳行を賞揚した。それと同様、芸能各種目のリーダーを選んで、天皇が親しく彼らの芸を謁見する。芸人たちは恐懼感激して一身の光栄にむせび、簡単に体制のわく内に組み込まれる。しかも芸人たちは、観客の前で天覧をひけらかすから、民衆教化の役にも立つであろう。そうした図式が、天皇制国家の形成期に用意されたと考えられる。 倉田喜弘『明治大正の民衆娯楽』九二—九三頁
ちなみに九代目市川團十郎が明治天皇の前で『勧進帳』『高時』を上演したのは一八八七年(明治二〇)。
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芸能の天覧
一八八〇年代を中心とする前後一〇年ほどの間、明治天皇の地方巡業がしばしば行われた。…その地方巡幸が一段落したのち、つまり九〇年をはさむ前後数年間に、芸能の天覧が続出する。すでに眺めたように、相撲、歌舞伎、講談、そして手品の天覧は、相撲と帰天斎正一を除けば、すべて重臣の邸宅で余興の一つとして行われた。いったい天覧の意図するものはなんであったのか。
かねがね政府は、芸人社会から卑猥性を追放するために躍起となってきた。それにもまして、体制批判や皇室の冒瀆に眼を光らせてきた。しかし、どれほど取締りを強化しても、根絶することができない。そこで一転して、天覧という懐柔策を用いたのではないだろうか。
地方巡幸の場合、各地の有力者に金銀を与え、その徳行を賞揚した。それと同様、芸能各種目のリーダーを選んで、天皇が親しく彼らの芸を謁見する。芸人たちは恐懼感激して一身の光栄にむせび、簡単に体制のわく内に組み込まれる。しかも芸人たちは、観客の前で天覧をひけらかすから、民衆教化の役にも立つであろう。そうした図式が、天皇制国家の形成期に用意されたと考えられる。
倉田喜弘『明治大正の民衆娯楽』九二—九三頁
ちなみに九代目市川團十郎が明治天皇の前で『勧進帳』『高時』を上演したのは一八八七年(明治二〇)。