『ガラテア2.2』は二〇〇〇年に翻訳されて話題になった『舞踏会へ向かう三人の農夫』の作者リチャード・パワーズの邦訳第二作である。訳者は柴田元幸氏から若島正氏へと変わった。今年さらに、みすず書房からは同じ若島氏の訳で『囚人のジレンマ』が刊行されることになっており、トマス・ピンチョンに続くアメリカ文学の旗手と言われることもあるパワーズの紹介ラッシュがしばらく続きそうである。
さてこの小説の「売り」は、人工知能がどこまで人間の知性に近づけるか、というSFの古典的主題に、文学的味つけをしたというところにあるようだ。ガラテイアとは、ギリシア神話でピグマリオンが恋に落ちる自作の彫刻の名前で、この物語の中では認知神経学者レンツが開発し、語り手である「僕」、小説家リチャード・パワーズが訓練をするプログラム、「ヘレン」の別名である。作者と同じ名前を持つこの語り手が、恋人Cと別れオランダからアメリカに戻ってくるところから物語ははじまる。彼は母校の大学の客員研究員としての職を得て、巨大な先端科学研究所にオフィスを与えられたのだ。ある晩漏れ聞こえてくるモーツァルトのクラリネット協奏曲に誘われてレンツの研究室に迷い込んだ語り手は、このエキセントリックな老科学者とその同僚たちの賭けに巻き込まれ、コンピューターに英文学の修士総合試験の試験を解かせて人間と変わらないような答案を書かせられるということを証明する羽目になる。プラグラムは何度かバージョンアップされて、ついには人間の意識に酷似した機能をそなえたヘレンが誕生することになる。
この基本的な筋立てに説得力を持たせるために、人工知能についての膨大な知識が披露されるわけだが、それはいわば作者によるくだくだしいエクスキューズであって、この小説のいちばんの面白味となっているわけではない。『舞踏会に向かう三人の農夫』でもそうだったが、理系に進んだ後「文転」して小説家になったパワーズによる情報の提示のしかたは、いかにもアメリカで人文科学系の訓練を受けた人間のもの、という感じがする。そつなく満遍なく行われているのだが、客観的叙述を心がけるあまり、時として無味乾燥のきらいを免れないリサーチ。調べた人間の息づかいや感情といったものがほとんど伝わってこないために、書かれた事実に読者が引き込まれることがあまりなく、淡々と報告書を読んでいるような気持ちになってしまうような説明。
それはたとえば、ピンチョンの衒学趣味とははっきりと異なるものである。ピンチョンの小説で与えられる情報は多かれ少なかれ「謎」の解明という側面を持っている。たとえ比較的よく知られている事実であっても、ピンチョンの筆致にかかるとあたかも今ここではじめて明かされたかのような気がしてしまう。パワーズが読者にもたらす情報は、よく言えば、もっと開かれている。読者と知識を共有すること自体が作品の駆動力となるような構成といえばよいだろうか。だが悪く言えば、ある種の迫力に欠ける、ということである。読者は心のどこかで、作者に手綱をとられて引きずり回されたい、と思っているものだから。
だが『ガラテア2.2』はパワーズの他の小説と同様、多面的な構成を持っている。たとえばこれは、よくできた大学内幕物小説(デビッド・ロッジの『交換教授』や『文学部唯野教授』などが同じジャンルとして挙げられるだろう)としても読めるだろう。大学教師がいかに変人の集まりであるか、あるいは学問という名の下に強制される苦行に、学生がいかにマゾヒスティックに耐えているか、ということについて面白おかしく語られる。しかしこれもまた、この小説を読むおまけの楽しみに過ぎない。
『ガラテイア2.2』の本当の魅力は、語り手の語る過去のほろ苦い追想にある。もともとパワーズは、永遠に失われて帰ってこないものへの哀惜を小説の主題に据えることが多かった。モーツァルトのクラリネット協奏曲から導かれるこの小説の世界は、はじめから喪失の感覚に満ちている。書き出しの二行目から「僕は三十五歳と別れてしまった」(原文を直訳すれば「自分の三十五番目の年を失った」)と記され、レンツたちとの出会いと並行して、恋人Cとの十年間余りの生活が描かれる。学生同士の貧しくも楽しい暮らしは、移民であった両親を追ってCがオランダに移住するのをきっかけに異国の地で新たな展開を見せるが、やがて「僕」が有名作家になったことで二人の仲がぎくしゃくしていき、破綻が訪れる。そのエピソードと前後して、「僕」が文学の道を進むきっかけとなった恩師テイラーの薫陶と、癌によるその死、そして死の三日後にロバート・サーヴィスの詩集を送りつけてきた父親との永久の別れが語られる。
何かが永遠に失われてしまっているという事実に傷つきつつも前向きに生きていこうとするのは「僕」だけではない。レンツもまた、脳梗塞で惚けてしまった妻がおり、その同僚で「僕」に何かと世話を焼いてくれるダイアナも、知的障害児を抱えて夫に出て行かれてしまっている。彼らもまた、この世には完璧なものは存在せず、ただ「思い」だけがかつて完璧であった世界を蘇らせてくれる、というパワーズの小説を貫く倫理観を体現している人物なのだ。だがこの小説がいっそう切なくやるせないのは、物語が進むにつれて、喪失の感覚が世界にいっそう浸透していくところにある。過去に収まっていることに飽き足らないというかのように、喪失の体験は現在進行形で起こり始めるのだ。「僕」は大学院生Aに恋をするが、報われぬまま終わる。そしてヘレンもまた…。
『走れ、ウサギ』をはじめとして、輝かんばかりの青春を過ごした人間が砂を噛むような思いで不毛な現在の生に耐えている、という筋立てを多用したジョン・アップダイクも、この小説を読んで涙したという。アップダイクよりも「倫理」的なパワーズの登場人物たちは、「今」をもう少し真面目に生きようとしている。だが、だからといってそれは過去の喪失の痛みがそれだけ少ないということではない。終わり近くで「僕」はこう言う。「僕の物語の中に出てくるものは、なにも去ったりはしない」。 つまり、失われたものはいつまでも自分たちのものであり続けると宣言しているという点で、これは第一級の青春小説なのだ。逆説めくが、青春のただ中を生きている人間たちのことを書いてもそれが青春小説の傑作になることはめったにない。生きることに夢中になっている人間の心理をリアルタイムに描いてもさして面白くもならないのが常なのは、登場人物が自らを省みてうじうじ考えるというプロセスが欠けているからだろう。「正しい」青春小説とは、自分の青春が終わってしまったことに気づいた語り手が、自分の生きてきた軌跡を幾分センチメンタルに振り返るものではないか。失われた青春についての美化された言説を生産する小説としての青春小説。アメリカの現代小説には、そんな青春小説の傑作がいくつもあった。『偉大なるギャッツビー』にはじまって『ライ麦畑でつかまえて』『さよなら、コロンバス』『走れ、ウサギ』等々、枚挙にいとまがない。パワーズの『ガラテイア2.2』もまた、こうしたアメリカ青春小説のキャノンとなるだろう。
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『アウステルリッツ』:「かのように」の怪物
「偉大な文学(literary greatness)はまだ可能か?」二〇〇一年に自動車事故で亡くなったイギリス在住のユダヤ系ドイツ語作家W・G・ゼーバルトを語るにあたって、スーザン・ソンタグはこう書き出している。なにを大仰な、というのが大方の反応だろう。ソンタグも齢七十になんなんとして耄碌したか。事実、その時点でゼーバルトが発表していた『眩暈、感情』(九〇年)『移民たち』(九二年)『土星の環』(九五年)という三つの長編について論じたこの短いエッセイ(『タイムズ・リテラリー・サプルメント』二〇〇〇年二月二十五日付)は、所々にソンタグらしい鋭い切れ味を感じさせるものの、ゼーバルトの作品がその一つの回答だ、とするそもそもの主張については最後まで説得力のある根拠は示されない。こんなふうに大上段に構えた書き出しの文章がたいていそうであるように、それは希望的観測にもとづいた思い込みをただ反復するだけで、「偉大な」ヨーロッパ文学の伝統が引き合いに出され、この作品にも似ている、あの作家にも似ている、といった不毛な類比がなされて終わっている。
だがゼーバルトの遺作となった『アウステルリッツ』(〇一年)を読むと、ソンタグの言いたかったことがなんとなくわかるような気がする。いや、すでにヨーロッパ文学という制度に身も心も捧げているアメリカ人ソンタグよりも少し距離が離れている分、何がゼーバルトの作品を(ヨーロッパ的な意味で)偉大にしているのか、日本人の私にはかえってよくわかるような気さえする。一言で言ってしまえば、それは構築とか形式というものに対する二律背反的な意識と、時間と記憶との関係を探る主題を持ってきたことだ。しかも『アウステルリッツ』ではこの二つが結びつけられて語られる。
アウステルリッツという奇妙な名を持つ建築史家とアントワープ中央駅の待合室で出会った語り手が、リエージュ郊外の工場地帯、ブリュッセルの最高裁判所と、偶然の邂逅を重ねていきながら、彼が辿った数奇な半生を知るようになる、というのが『アウステルリッツ』の基本的な筋である。語り手の私が自らについて語るところは少なく、小説の大半はアウステルリッツの語りが占める。とはいえ、アウステルリッツの語り—ですます調/私の語り—である調、と書きわけられている邦訳とは異なり、原著では二人の語りはもっと判別しがたいものになっていただろう。実際、主人公がアウステルリッツの物語を語るさまは、アウステルリッツその人が取り憑いているかのようであり、(何度かの偶然の邂逅もふくめて)アウステルリッツとは語り手の【ルビ開始】分身(ドッペルゲンガー)【ルビ終了】開始ではないかとすら思えてくるのである。
以前の三作品の読者であれば、このような印象はさらに強まるはずだ。ゼーバルトがその生涯に発表した四つの長編においては、同じ主題が少しずつ形を変えて反復され、登場人物もどこかしら似通っている。残念ながら邦訳は『アウステルリッツ』以外では柴田元幸による英訳からの重訳で『土星の環』第一章が発表されているだけだが、そこでも極度の精神的疲労によって身体に変調をきたし幻覚を見る国外離脱者、知の作り上げる壮大な伽藍に魅了されその記述に一生を費やす研究者といった、お馴染みの登場人物に出逢うことができる。彼らはみな、アウステルリッツのようであり、語り手のようであり、あるいはゼーバルト本人のようである。
とはいえ、主人公を建築史家としたことで、それまでゼーバルトが書きたかったモティーフはこの『アウステルリッツ』でよりくっきりと浮かび上がってきたように思える。柄谷行人が『隠喩としての建築』で書くように、西洋固有の「【ルビ開始】建築(コンストラクション)【ルビ終了】への意志」のもと、自然に負うことのない秩序や構造を確立しようという営みは、形式化の徹底を推し進めることで内なる矛盾をさらけ出し瓦解する。冒頭でアウステルリッツが語る、要塞の建設はまさしくその隠喩となっている。あらゆる外敵の侵攻を防ぐために、周囲に次々に防御設備をめぐらしていき、その結果同心円状にとめどもなく拡大していくが、そうなればなるほどかえって敵をおびき寄せることになる。かくして、一八三二年オランダ軍によって占拠されたアントワープ要塞はフランス軍によって破壊されるが、人々は要塞建設の愚を悟るどころか、いっそう外へ拡大しなければならないと外郭の建設をはじめ、ベルギー全土の軍隊をもっても防備しきれないような城郭を築き上げる。第一次世界大戦勃発直前、最後に完成したブレーンドンクの要塞は開戦後数ヶ月足らずで市と国の防衛にはまったく役に立たなかったことが判明する。
「途方もなく巨大な建築物は崩壊の影をすでにして地に投げかけ、廃墟としての後のありさまをもともと構想のうちに宿している、そのことを私たちは本能的に知っている」(一八頁)と語るアウステルリッツはしかし、自分にも同じ運命が降りかかるのを知ることになる。三十年近く続けてきた建築史と文明史についての自分の研究、何千頁にも積もったメモやコメントを体系立てて整理しようと大学の職を辞した彼は、草案のほとんどが使いようのない、誤り偏っているものだということを発見する。やがて彼は自分の思考を的確に文字として書き表せなくなり、さらに読むことさえ困難になる。建築物についての自らの認識を言語によって構築しようとする彼の試みは、その壮大さゆえに、要塞同様自潰する。
だがここで物語は更なる展開を見せる。原因不明かに思われたその症状は、チェコのユダヤ系家庭に生まれ育ったアウステルリッツが、ナチスドイツの侵攻に際してイギリスの家庭に養子として送られたという自らの過去を記憶の底に封印してきたゆえに生じたのだった。手がかりを求め故郷プラハに赴いた彼の脳裏に、これまで全く思い出したことのない、幼年時の記憶が鮮やかに蘇る。「時間などというものはない、あるのはたださまざまな、高度の立体幾何学にもとづいてたがいに入れ子になった空間だけだ、そして生者と死者とは、そのときどきの思いのありようにしたがって、そこを出たり入ったりできるのだ」(一七八頁)彼はそう感じる。
意識において時間は空間的に構築されるが、無意識の記憶はそうした単線的時間とは相容れない。『失われた時を求めて』『ユリシーズ』をはじめとする二十世紀ヨーロッパの「偉大な文学」はいずれもこの主題を扱ってきた。だが空間モデルを否定するのではなく、「高度の立体幾何学」であれば記述可能だと考えるところにゼーバルトの「構築」に取り憑かれた業の深さ、「構築」を拒絶しつつ「構築」を求める態度がよく出ている。本文中に度々挿入される写真や図版もまた、「読みとる」速度と「見てとる」速度の本質的な相違によって、読者の内なる時間の流れを攪乱しようという試みなのだろうが、読み進めていくにつれて、一つの統一されたイメージが浮かび上がってくるのを押しとどめることはできない。結末で、今度は父親の消息を求めてパリに赴くというアウステルリッツとは対照的に、ブレーンドンクの要塞を再訪する語り手=ゼーバルトは、明らかに物語を収束させようとしている。こうして、物語は緊張感を孕んだまま、内破寸前のところで終わる。
この作品が「偉大な」ヨーロッパ文学の系譜に属することは間違いがない。さすがに森鴎外は洋行帰りの歴史家五条秀麿に「かのようにがなくては、学問もなければ、芸術もない、宗教もない。人生のあらゆる価値のあるものは、かのようにを中心にしている」と言わせているが、「生成」を拒否する大抵の日本文学に慣れた者にとっては、作品に通底する、半ば自覚的な狂気である「建築への意志」に違和感を覚えることもあろう。だが、それも含めて『アウステルリッツ』とは、きわめてヨーロッパ的な小説の快楽を味わうことのできる作品である。
P4について私が知っている二、三の事柄
0.P4とはなにか
P4とは加納幸和(花組芝居)、平田オリザ(青年団)、宮城聡(ク・ナウカ)、安田雅弘(山の手事情社)の四人の演出家からなる集団だ。Pはプレイの頭文字でもあり、四人の名字の最初の一文字を英語にするとすべてPからはじまる単語(Plus「加える」/Plain「平地」/Palace「宮城」/Peace「平安」)になる、という言葉遊びでもある。
一九九五年、宮城が平田に話を持ちかけたのをきっかけに結成されたP4は、同年四人が利賀・新緑フェスティバルの企画・運営を任されたことから集団としての実質的な活動を開始することになる。九七年彩の国さいたま芸術劇場で上演された平田オリザ作・安田雅弘演出『Fairy Tale』はその一つの結実であるが、毎年初夏に開催される新緑フェスティバルにおいて、他の三劇団のメンバーと一緒に寝泊まりし、互いの上演を見ることによって、自らの演出の方法論を問い直す機会を得たことが大きい、と平田は述べている。
利賀・新緑フェスティバルの性格が変化してきたこともあり、現在P4は活動休止状態にある。だがそれは、現在四十代前半の、同世代に属する四人の演劇人に共通する方向性が異なってきたからではない。以下、個別に見ていきながら、四人の演出の方法論に共通する特徴を考えてみたい。
1.平田オリザと青年団
P4のメンバーのうちでもっともジャーナリズムに取り上げられる回数の多いのは平田オリザだろう。自らを「河原乞食」に擬し反社会性を売り物にしていたアングラ以降の世代と異なり、演劇人は社会ともっと関わりをもつべきだと考えている点でP4のメンバーは意見を同じくするが、中でも平田は演劇という制度を社会に認知させるためにさまざまな努力を払ってきた。自身が経営するこまばアゴラ劇場における演劇フェスティバルを通じての各地のリージョナル・シアターとの連携、教鞭を執る桜美林大学での演劇教育や地域との共同作業、あるいは今年からはじまったアゴラ劇場のレジデント・カンパニー制の採用など、演劇を「開かれた」ものにするために平田が行ってきたことは(巧みな自己宣伝のおかげもあって)よく知られるようになった。平田はまた劇作家でもあり、その作品は事件性のほとんどない日常を淡々と描写するところから、九〇年代小劇場演劇の代名詞である「静かな演劇」の旗手として認知されるようになった。
ただし、「静かな演劇」とは九〇年代小劇場演劇の独創ではない。秋田雨雀の「静劇」あるいは岸田国士門下『劇作』同人たちの作品にも見られる、日本近代劇の一潮流である。時代を超えてそれらの作品に共通するのは、表面的に醸し出される平穏さ、静謐さとは裏腹に、主人公は軽い心理的な圧迫を周囲から受け続けており、しかし彼(ないし彼女)はこの正体不明の「いやな感じ」と戦うでもなくそれから逃げるでもなく、ただ困惑して佇んでいる、という状況だ。すなわち、西洋古典劇におけるドラマとは、明確な意志や欲望を持った個人と、その個人を抑圧するものとしての神あるいは共同体との対立であり、近代劇はこれに加えて個人の内面における葛藤を劇に仕組んだのに対し、自他の区別が曖昧な日本社会においては、抑圧を与えるものが社会なのかそれとも自らの無意識に潜む超自我なのか主人公にも観客にも(そしておそらく劇作家自身にも)よくわからないまま事態が進展してゆき、主人公は無力感を感じつつも見えない相手に向かって抵抗の真似事だけしてみる、という様子がドラマとして描かれてきたのである。
主人公が感じているこの漠然とした「居心地の悪さ」を観客により効果的に伝えるために、平田はドラマを唐突にはじめて唐突に終える。開演前から舞台上では登場人物たちは演技をはじめており、劇中で示されるいくつかの謎は解決されないまま舞台は暗転する。すなわち、物語ははじめと中と終わりがある完全なものではなく、「断片」としてしか示されないのだ。伝統的な演劇の機能とは、ある一つの物語が語られ、俳優によって生きられることによって、あたかもそれが世界全体を表象するかのような印象を観客に与えるものであった。だが平田が示す断片的な物語は、世界表象としての不完全さを自ら露呈することで、もっとリアルで不気味なものが語られぬまま背後にあることを指し示す。それがすなわち、共同体にも自分の裡にもその出自を見出すことのできない、なんとはなしの「いやな感じ」であり、平田の観客はその存在を作品の内容と構造の両方で体験することになる。
劇作家としての名声に比して演出家としての平田はそれほど評価されていないが、いくつかの理由で注目に値する。井上優氏によれば、青年団の俳優の演技は、リアリズムではなく、「リアリズム演技」の演技を行っているのだという。現実の模倣ではなく、現実の模倣の模倣を行うこと。ブレヒトのゲストゥス同様、対象を描きつつ異化してみせるこの態度は、平田の意識的な戦略というよりも、とりわけ初期において俳優の練度が低いために自然と生じてきたものであったかもしれない。しかし平田はその後も俳優に「うまくなる」のを許さず、一種の「ヘタウマ」状態を維持させることで、リアリズムという制度に批評的距離をとってみせる(これは後述の加納幸和にも共通する態度である)。それゆえいまだに青年団の俳優は、演技することに照れているかのような、ぎこちない演技を見せるのだ。
さらに、こうした演技は作品内の人間関係の構築のされかたにも一役買う。小田中章浩氏は、平田作品の登場人物たちは連歌や俳諧の付句をしているようにコミュニケーションをとっていると指摘する。つまり、とりたてて親しい仲でもない人間同士が同じ場所に居合わせることで、自分のものでも相手のものでもない感情や感覚を共有し、やりとりしあう、という連歌や俳諧の世界と同様、平田の舞台は間主観性が支配している。それゆえに役者は過度の「自己表現」を慎まなければならない。我を張ることは「場の雰囲気」を乱すことになるからだ。したがって、個人の感情や感覚を的確に言葉で説明することに重点を置くリアリズム演技は、平田の世界にはふさわしくない。演技をすることに躊躇しながら表現せよと教える平田メソッドこそ、共同体の内部におけるコミュニケーションに見合うものなのだ。
2.加納幸和と花組芝居
P4のメンバーのうちで、行っていることと受け取られかたのギャップがいちばん大きいのは加納幸和かもしれない。ホームページによれば、花組芝居の目的は「高尚になり堅苦しく難解なイメージになってしまった歌舞伎を、昔のように誰にでも気軽に楽しめる最高の娯楽にと、歌舞伎の復権を目指す」ことであり、アングラ全盛期に掲げられた「芸能への回帰」というお題目を加納が信じていることがわかる。そして実際、公演で(主として女性の)ファンが贔屓の役者の登場に歓声をあげ、役者は役者で楽屋落ちのギャグを連発する、といった様子を見ると、高級芸術から大衆芸能への回帰に見事に成功した、とため息まじりに言いたくなる。
しかし加納が「ネオかぶき」という名のもとに実践していることは、たんに古典歌舞伎の物語を現代の嗜好に合わせて作り替えたり、上演のテンポを早めたりすることではない。歌舞伎の様式をなぞりながら、その様式に対してパロディというかたちで批評的距離をとるというきわめて知的な作業である。たとえば、これは児玉竜一氏が指摘した例であるが、『身毒丸』でカーリーという玉手御前にあたる役が刺されるところで義太夫の語りが「グッと突っこむ氷の切っ先、あっと魂消(たまぎ)る声にびっくり戸をめりめり」と入る。加納演ずるカーリーは、「グッと突っこむ」の「グッ」で既に刺されているにもかかわらず、何の反応も示さない。ところが「あっと魂消る」の「あっと」で、急に「わあっ」と叫んで痛がる。刺されてから痛むまでの時間差を作ることで、義太夫の語りがその人物の順番に回ってくるまでは、痛いものも痛くないことにしてしまう、歌舞伎という制度の奇妙さを加納は示してみせる。
この意味で、加納が渡辺守章の演出作品に対するシンパシーを表明しているのは興味深い。というのも、渡辺もまた西欧演劇の「型」をなぞりつつ、同時に西欧演劇という制度の奇妙さを異化する意図的な試みを続けているように思われるからである。さらに二人は、異化する対象の制度を熟知しながら、その制度のもとで育てられた俳優の身体や声という自らにとっての表現手段を持たないために、その制度からいわば疎外されている、という点でも共通している。歌舞伎俳優を、あるいはフランス古典劇の訓練を受けたフランス人俳優を、自分の手駒として使えないから、メタレベルに立って歌舞伎なり西欧演劇がアウトサイダーにはいかに奇妙に見えるものなのかを示そうとするのか、それとも自分がなじんでいる歌舞伎や西欧演劇がある時いかに奇妙なものかを認識したからこそ、あえてその制度の外に出て、批評的行為として作品を提出することを決意したのかは、この場合さして重要なことではない。(とはいえ、加納は歌舞伎役者は身体が完全に型にはまってしまい、型から故意にずれた所作をさせることが難しい、ということを指摘し、自らの方法論が制度からの疎外ゆえに生まれてきたのではないことを示唆している)。重要なのは、制度を知れば知るほどそこから疎外されるという逆説(歌舞伎役者で加納ほど歌舞伎について「知っている」ものがどのくらいいるだろうか? だがそれにもかかわらず、彼らは制度の内部にいるのだ)を誰よりもよく認識している加納にとって、歌舞伎とは自らの作品を対象化するための基準として存在するものであって、一体化する対象ではない、ということである。活歴物や新派といったかつての「ネオかぶき」と花組芝居が決定的に異なるのは、前者は自分たちは「歌舞伎」になれる、と考えていたという点なのだ。
3.宮城聡とク・ナウカ
加納ほどではないにせよ、宮城もまた誤解されている。宮城の演劇的教養の豊かさはよく知られているが、宮城はそうした教養をもとにテキストを読み解き、舞台に重層的な意味の世界を構築する、西洋的な意味での演出家ではない。あるいは、それだけの存在ではない、というべきか。なるほど、戦前の日本統治下の朝鮮を舞台にした『王女メデイア』はテキストの大胆な読み替えとポストコロニアリズムへの目配りという点で世界の第一線に出してもおかしくはないすぐれた舞台だったし、研ぎ澄まされた美意識が生む洗練と形式へのこだわりという点ではP4の中で安田と並んで、西欧現代演劇と同じ土俵で勝負しているように思われる。
だが西洋の演出家たちがその過剰な職業意識のあまり、時として図式的で、スタイルとして完成されてはいるが空虚さを感じずにはいられないような舞台を生み出すことがあるのに対し、あくまでも個人的な営みとしての演出にこだわる宮城の表現は、「失敗作」も含め、もっと迂遠で他人には容易に理解しがたい要素を含んでいる。たとえば、ク・ナウカの「スタイル」として認識されている、舞台の上で所作を行う俳優と台詞を語る俳優が二人で一役を演じるという方法論も、宮城が日頃痛切に感じている、情念と理性の両極に引き裂かれて生きるしかない自分という主題を外面化したものであり、文楽における人形遣いと義太夫語りの分離が生み出す表現の強度を借用するというその「意味」は後づけのものだ。ク・ナウカの「スタイル」とは、宮城の個人的な動機に還元せざるを得ないような微妙なあやを表現する方法なのだ。
4.安田雅弘と山の手事情社
P4のメンバーの中で、もっとも実験的で先鋭的な身体表象の試みを行っているのが安田雅弘である。安田の提唱する「四畳半」という型は、俳優が身体を動かす時のいくつかの規則をもとに作られている。「俳優は重心をずらして立つ」「イメージ上のせまい通路を動く」「せりふは舞台上の誰かに語り、その際は語る人も受ける人も止まる」「それ以外の人はスローモーションで動く」。
これらの規則をもとに安田は作品を解釈していくが、細かな所作は稽古場で劇団員とともに即興的に作り上げられる。即興といっても単なる思いつきではなく、連想をもとに役柄や状況についての一貫した解釈の体系が作り上げられていく(だが所作が決まると、その解釈の体系は忘れ去られる—その意味でこの作業はレヴィ=ストロースが言う「ブリコラージュ」だといえる)。
自然主義的な演技とは、言葉の意味と身体の所作の慣習的な結びつきを舞台の上で正確に再現しようという試みであるが、「四畳半」の型で台詞を語ることは、この慣習的な結びつきを断ち切ることになる。山の手事情社の俳優は「私は悲しい」と語るときに、悲しいとすぐにわかるような表情や身振りをしない。観客は自然な感情移入を妨げられるだけでなく、舞台の上で起きていることを理解するために、語られる台詞に耳をこらし、身振りや表情に見入り、両者を自分の中で結びつけることを要求される。知覚に異化作用を引き起こし、組み替えを迫るという点で、それはキュビズムの絵画を鑑賞することに似ている。
安田のテキスト解釈も、宮城と同様独特のものである。『夏の夜の夢』で恋人たちが逃れるアテナイ郊外の森は日本の銭湯へと変貌を遂げる。安田によれば、森が象徴する混沌や葛藤を自らの生活史の中でリアルに感じられるものに置き換えると、銭湯になるのだという。『アントニーとクレオパトラ』『ジュリアス・シーザー』をもとにした花組芝居の『悪女クレオパトラ』では、加納はアントニーによるシーザー追悼演説をラップに仕立て、アントニーがいかにローマ市民の支持を得ていくかを、ラップのリズムとライムが作り出す共感共同体の力を借りて舞台化してみせた。加納も含め、この三人は、江戸文芸以来の見立ての手法を用いて、自らの文化的・社会的文脈に古典劇や近代劇のテキストを引き寄せ、物語を大胆にデフォルメしていく手腕に長けている。
そしてそのことはまた、西洋の演出家たちの(聖書の教義解釈に端を発する)「解釈競争」—神の言葉であるテキストの権威には盲目的に従い、それをどれだけ奇抜に解釈できるかを競う、ということが二十世紀「演出家の時代」に定着した慣行であった—とは彼らの演出の方法論は一線を画している、ということも意味している。本歌取りや世界決めといった日本の伝統的な手法は、元テキストに依拠しつつもその改変を大胆に試みることを許し、テキストの作者ではなく、引用で結ばれた複数のテキストが織りなす間テキスト性にこそ文化の本質がある、ということを前提としている。三人の演出家の手法は、このような伝統に基づいているのだ。
「怪しうこそ物狂ほしけれ」:語り部=ヒステリー患者としての樋口一葉──井上ひさし『頭痛肩こり樋口一葉』論
改稿のうえ、拙著『三島の子どもたち——三島由紀夫の「革命」と日本の戦後演劇』(白水社、二〇二〇年)に収録しました。そちらをご覧ください。
演劇博士バルトロメウスの日本探訪
バルトロメウスI …つまりイリュージョン化とは非イリュージョン化のことであり、告白とはかくしだてをすることであり、信用とは乱用であり…背信行為である。
バルトロメウスII これはなかなか深遠だぞ!
バルトロメウスIII (バルトロメウスIIに)いや、むしろその逆ですよ。
イヨネスコ作、大久保輝臣訳『アルマ即興—羊飼いのカメレオン—』
全著作の十字路に、おそらく<演劇>がある。『彼自身によるロラン・バルト』
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おそらく演劇批評の困難さとは、批評家としての敗北のしるしをいかに掲げておくかということにある。すぐれた上演に出会ったときの、言葉にならない衝撃、圧倒されたという思いを、いかに書くものに刻みつけるか。批評とは文章で相手をねじ伏せる技術であるが、同時に分析しきれない残余が言語の地平の彼方にあることをほのめかす技術でもある。もちろんそれはあらゆる分野の評論で言えることなのだが、とりわけ演劇の観客が劇評家の敗北のしるしを確認したがる傾向があるのは、演劇の与える衝撃が共同体験的なものだからだろう。舞台から受ける、深く生々しい「傷」は、その場でみながいっせいにつけられるものだ。自分だけは傷一つ負っていないような顔をして、明晰な言葉で作品を語る劇評家は「仲間」として信用がおけない。
演劇評論家に太鼓持ちが多いのもそのせいだ。「ただ素晴らしかったとしか言えません」と自分の無能さを示す演劇評論家を必要としているのは興行主だけではない。作品を見て感動した観客は、作品の成り立ちや俳優の芸についての解説ではなく、自分がなぜあれほど夢中にさせられたかについての説明を求めている。この二つは内容として重なることが多いが、「【ルビ開始(メタ・ランガージュ)】超言語【ルビ終了】」において異なる。「自分はこんなことを知っていたり見抜いたりできるんだ、すごいんだぞ」と「この作品(俳優)は実はこんなすごいことをやっているんですよ」。鋭利な分析で知られる劇評家よりも、ファンの発言と何一つ変わらないたわごとをまき散らす劇評家のほうが受けたりするのも、観客/読者が分析の内容よりもメタ・ランガージュを重視するからだろう。作品をあらゆる角度から切り刻む、【ルビ開始(ポストモーテム)】死体解剖【ルビ終了】の嗜虐的な満足感ではなくて、「とてつもないものを見てしまった」という驚きをそっくりそのまま肯定してくれることを演劇の観客は求めている。
批評における「作者の死」。分析する主体—対象を分析することでしか自らを確定できない主体—が、最後のところでおのれの存在証明を放棄して対象との合一を求めること。それこそがバルトの著作の究極的な魅力ではなかったか? だとすれば、私たちはバルトに理想の演劇評論家を見てもよいはずである。だが実際にバルトの演劇論に私たちが見出すものはそれとはほど遠い。『アルマ即興』(一九五八)において、ベルナール・ドルトとともにバルトを「似非学者」バルトロメウスとして登場させたウージェーヌ・イヨネスコは、さらにクロード・ボヌフォアとの対話で「バルトロメウス㈵と㈼はドグマティックな批評家である。彼らにとって演劇は存在しないし、関心をひくものでもない。演劇はそれが一つの宣伝の道具となるかぎりにおいてのみ、彼らの関心をひくだけだ」とこき下ろす。もちろん、のちに『テル・ケル』誌に発表された、フィリップ・ソレルスのアンケートに対する回答である「文学と記号作用」(一九六六)の中で、バルトはこの『禿の女歌手』(一九五〇)や『義務の犠牲者』(一九五三)の作者について、「イヨネスコがやって見せた愚弄が相手取っているのは、常套句であり、知識ないし政治の番人としての言語であり、要するにエクリチュールなのであって、言語を相手取ったものではありません」と正しく反撃を加えることになるが、だからといってイヨネスコの批判が当たっていないわけではない。
1.
話をわかりやすくするために時系列に沿った語りをあらためて導入することにしよう。ロラン・バルトの演劇的関心は、時代順に四つに分類される。ギリシア演劇、ブレヒト、ラシーヌ、文楽。ギリシア演劇への関心は、一九三五年、古典文学専攻の大学一年生のとき、ソルボンヌ古代演劇グループを結成しアイスキュロスの『ペルシア人たち』を上演して以来のこと—もっとも古代ギリシアへの言及に満ちた短い戯曲「アリオンの旅」は高等中学卒業後、肺結核の療養中に書かれている—であるが、一九六五年、プレイアード百科事典の「ギリシア演劇」の項を執筆するまで、この分野について目立った著作はない。(『第三の意味』に再録されているこのギリシア演劇についての記述は、バルトにしては体系立っているものの、客観的事実の羅列を目指す百科事典の体裁からはほど遠く、興味深いものであるが、紙面の都合上ここでは触れずにおく。)
その名を一躍高からしめた『零度のエクリチュール』が出版される一九五三年、バルトはドルトに誘われて刊行されたばかりの『テアトル・ポピュレール』誌の編集に携わるようになる。その二年前の一九五一年、国立民衆劇場(TNP)の芸術監督にジャン・ヴィラールが就任し、高い芸術水準の舞台を安い料金で提供する民衆演劇の理念を現実のものにしつつあったが、『テアトル・ポピュレール』誌はそれを理論面から援護する役割を担っていた。しかしバルトやドルトがもっとも熱心に行ったのは、ブルジョア演劇に対立するものとして、ブレヒトの演劇とその理論を紹介することであった。一九五四年、ベルリナー・アンサンブルの渡仏公演がきっかけとなって生まれた「ブレヒト革命」は、二人を「ドグマティックな批評家」へと変貌せしめる。バルトは一九六〇年までに「ブレヒト革命」をはじめとするブレヒト関連の記事や論文を『テアトル・ポピュレール』誌を中心として盛んに発表する。
バルトが当時ブレヒトのどんなところに魅力を感じたのか、これまで多くの評者が論じてきたが(注一)、十年あまり後に書かれた「文学と記号作用」にある、「第一に彼は演劇行為が【ルビ開始(エモーティフ)】情緒的【ルビ終了】なものとしてではなく【ルビ開始(コニティフ)】認識可能な【ルビ終了】ものとして扱い得るものであることを理解しました」「かれの演劇においてこの能記の体系の役割は、一つの積極的なメッセージを伝達することではなく(所記の演劇ではなく)、世界が一つの解読さるべき対象であることを理解させることなのです(能記の演劇である)」といった記述をおさえておけばひとまず十分だろう。バルトは既存の演劇に飽き飽きしていたし、ベケット、イヨネスコ、アダモフらのアンチテアトルとよばれた当時の前衛演劇がさほど新しいものとは思えなかった。「周知のようにブルジョア演劇では、俳優は、その人物に《食い入られ》て、情熱の火災で全く燃え上がっているように見えなければならない。何が何でも《煮え立》たねばならない」「様式は観客を純粋の形式主義の屈従の中に閉じ込め、《様式》の革命がそれ自体形式的でしかないようにしてしまう。前衛的な演出家とは、あえて一様式を他の様式で置き代える者のこととなろう」(「若い演劇の二つの神話」(一九五五))。ブレヒトの演劇(とくにその異化効果と社会的【ルビ開始(ゲストゥス)】身振り【ルビ終了】の理論)は、情念や様式を押し売りすることがない「第三の演劇」として彼の目の前にやってきたのだ。
二項対立を解消するために第三項を導入する、というやりかたは、十五歳年下の友人ジャック・デリダに後年影響を受けながらも、その脱構築の方法論を本当の意味で学ぶことのなかったバルトの得意技だった。だがその手癖は時として思いも寄らぬ「痕跡」を彼のエクリチュールに残す。同じく「文学と記号作用」にある「彼の演劇は心情的でもなければ頭脳的でもありません、それは【傍点開始】根拠のある【傍点終了】演劇なのです」(傍点はバルト)という記述はその一つの例だ。根拠のある演劇? ルイ=ジャン・カルヴェはその大部の『ロラン・バルト伝』において、ヒステリー嫌いのバルトがブレヒトに見たのは「反ヒステリー」の演劇だと記す。ヒステリー患者に見出されるのは、表象と表象を備給する情動の「偽の結合関係」であるとフロイトが説いたことを思い出せば、バルトが考えていた「ブルジョア演劇」のヒステリー、根拠のなさとは何であったか想像がつくというものだ。表象と表象を備給する情動との対応関係の無根拠性は、記号表現と記号内容との対応関係の恣意性と同様、普段は隠蔽されている。近代劇の唱える自然主義とは、心理というブラックボックスの中で、いかに自然を装ってこの二つを結びつけるか、ということに過ぎない。
だがブレヒトの演劇に「根拠がある」とするのは勇み足だろう。ブレヒトはせいぜい心理主義(「アリストテレス的演劇」!)の無効性を指摘したに過ぎない。のちにバルトは『表徴の帝国』(一九七〇)における文楽の分析を通じて、自分がブレヒトに魅せられていた本当の理由を確認することになるが、この時点でのバルトにとって、ブレヒトは意味を「受け取る」のではなく「読み込む」のに都合がいい素材としてまずあったことは否めない。それゆえ「ブレヒトの衝撃」を繰り返し語るわりに、その—『神話作用』における篠沢秀夫の訳者解説が一部評者の言として引用した言葉を借りれば—「冷やかで巧みな筆」はバルトが受けたはずの「傷」を覆い隠してしまう。
しかしその著述を注意深く読めば、伝記作者カルヴェが見て見ぬふりをした、抑圧されたヒステリーの徴候をバルトに見出すことは可能だろう。イヨネスコではないが、「つまり反ヒステリーとはヒステリーのことである」のだ。『テアトル・ポピュレール』誌に発表した「盲目の肝っ玉おっかあ」(一九五五)で、バルトは「ブレヒトは結局、ロマン主義、誇張、【ルビ開始(ヴィリスム)】真実主義【ルビ終了】、上っ面の激しさ、芝居がかり、美学主義、オペラ」といった「【傍点開始】埋没【傍点終了】あるいは同化のあらゆる様式を斥ける」と書きながら、それでも同化は起きてしまうことを認めている。
こうしてこの劇作は、われわれ観客のうちに、決定的な二元化を惹き起す。われわれは同時に「肝っ玉おっかあ」であり、彼女について説明する人たちである。われわれは「肝っ玉おっかあ」の盲目性を分かちもちながら、この同じ盲目性を【傍点開始】見ている【傍点終了】。われわれは戦争の宿命のなかに塗りこめられた受身の俳優であり、そしてまた自由な観客として、この宿命の真実をあばくことになる。
バルトにとって、ブレヒトの演劇はたしかに「心情的でもなければ頭脳的でも」ない。その両方を兼ね備えたものなのだ。しかし異化の理論について、そしてまた自らの読みの作業について、雄弁に語る一方で、同化について、「盲目性」について、すなわちヒステリーについて、口をつぐむことが、バルトの演劇論におけるアキレス腱になった。そしてこの「抑圧」は、『表徴の帝国』において文楽が与える「昂揚」をバルトが口にするまで、解けることがない。
2.
上演に接してもそうだったのだから、戯曲の分析、ましてや嫌いなラシーヌについて論じるのにあたって、バルトロメウス博士が熱を込められないのはもちろんである。フランス図書クラブが刊行する古典劇集のうち、ラシーヌ作品集の序文を依頼されたバルトは、「ラシーヌ的人間」(一九六〇)を書き、TNPで上演された『フェードル』の劇評である「ラシーヌの台詞」(一九五八)と『アナル』誌に発表した「歴史か文学か」(一九六〇)を併せて一九六三年に『ラシーヌ論』として出版する。これに対して、一九六五年にソルボンヌのラシーヌ学者レーモン・ピカールが『<【ルビ開始(ヌーヴェル・クリティック)】新しい批評【ルビ終了】>か新手の詐欺か?』という小冊子を出して、バルトが俎上に載せた「講壇批評」—歴史的実証主義と印象批評の折衷—の立場から、バルトの「構造論的でもあり分析的でもある一種のラシーヌ人類学」を攻撃する。ここから一連の論争がはじまり、構造主義的批評がフランスに根づくきっかけを作る。
こうした事情を考えると、渡辺守章が指摘するように「バルトの<ラシーヌ読み>がある人々には、甚だ【傍点開始】危険な、挑発的かつ偶像破壊的【傍点終了】なもの」であり、この書物の持つ「【傍点開始】戦略的な【傍点終了】重要さ」(渡辺守章訳「ラシーヌ論」解説、『現代思想』一九八〇年六月)を否定することはできないものの、肝心のラシーヌ論としての出来はどうかといえば、作品に存在しないものを読み込む手腕の強引さのほうが目立つ。『テル・ケル』誌に掲載されたジャン・チボドーによるインタヴューで、バルトは「恋愛疎外についての個人的問題をそこにむりやり注入せずには、ラシーヌに興味をもつことができませんでした」(杉本紀子訳「虚構としてのわが半生」『海』一九八〇年六月特別号)と語るが、「ラシーヌ的人間」の面白さとは、バルトがラシーヌから受けた衝撃ではなく、自らの恋愛において体験していたであろう自己疎外の感覚をラシーヌのテキストに転写するところにあると言えるのではないか。
それでも演劇についてのバルトの思考の深まりという観点からは、「ラシーヌ的人間」に表われた二つの方向性を見てとることができるだろう。一つはあらゆる種類の舞台表象を独立したエクリチュールだととらえ、物質性と意味作用という両義性を持つことを強調すること。「顔赤らめること、色を失うこと、あるいはこの二つが突然にいれかわる様子、吐息、そしてそのエロティックな力がよく知られている涙。そこで常に問題になるのは、表現であるとともに行為であり、逃避であるとともに脅迫であるような、両義的な現実である」。「演劇のための小【ルビ開始(オルガーノン)】思考原理【ルビ終了】」(一九四八年)においてブレヒトが書きつけた「俳優がロートンであると同時にガリレイでもあるという二重の姿で舞台に立っているということ、示す人としてのロートンが示される人としてのガリレイの中に消え去ってはならないということ」という記述の明らかな反映であるこの一節は、すでに「舞台衣装の病」(一九五五)において、「良い舞台衣装とは、表示をなしうるだけ物質的でなければならず、その表示するものを寄生的なものにしてしまわないだけ透明でなければならない。衣装は一種のエクリチュールであり、このもののもつ両義性をもっている」というかたちで変奏されていたが、身体表現における二重性がここではじめて確認されることになる。
もう一つは時間芸術としての演劇の連続性を否定し、【ルビ開始(タブロー・ヴィヴァン)】活人画【ルビ終了】の断続的な連なりとして演劇を(再)構想することだ。そもそも、ルネサンスに発達したイタリア式額縁舞台は演劇を絵画として見るという発想を胚胎していたわけであるが、心理の一貫性という近代劇の桎梏からラシーヌを解き放つために、バルトはあらためて「ラシーヌ的【ルビ開始(テレブローゾ)】明暗法【ルビ終了】とは…絵であると同時に演劇であり、言わば活人画であって、つまり、無限に繰り返えされる読解に差し出された、凝固した運動にほかならない」と書く。後年、演劇の現場から離れて久しくなると、このことはいっそう強調される。「ディドロの全美学は、周知のように、演劇の舞台と絵画のタブローとを同一視することを土台としている…ブレヒトの叙事詩的舞台、エイゼンシュタインのショットはタブローである」(「ディドロ、ブレヒト、エイゼンシュタイン」(一九七三))。「ブレヒトは【ルビ開始(コンカテナシオン)】連鎖【ルビ終了】、すなわち連続した言説を疑問視する。言説のあらゆる疑似論理—連結、遷移、趣ある語り口、つまり語りの連続性—は、一種の力を放出し、確からしさの錯覚を生み出す。連鎖した言説は不滅であり、勝ち誇っている。従って最初の攻撃はそれを不連続なものにする—連続性を断ち切ることである。文字通り、誤りを含んだテキストをばらばらにすることが議論を巻き起こすのだ」(「ブレヒトとディスクール」(一九七五))。
3.
しかしこのような演劇観は現実の舞台との齟齬しか生み出さない。国立高等研究院の第六部門、経済・社会科学の研究主任に任命された一九六〇年以降、演劇についての著述は目に見えて減っていたが、一九六五年、プレイアード百科事典のギリシア演劇の項を執筆したあと、バルトは「私はこれまでずっと演劇が好きだったが、もうおそらく劇場には行かないだろう」(「演劇についての告白」)と書き、演劇評論家としてのキャリアを終らせる。マイケル・モリアーティはバルトの政治的立場の変化をそこに見てとるし(注二)、ティモシー・シャイエは、記号論では読み解けない【ルビ開始(ジュイサンス)】快楽【ルビ終了】の源としての身体への関心が次第に高まってきた結果だと考える(注三)が、要するにバルトにとってもはや「演劇は存在しないし、関心をひくものでもな」くなってしまったのだ。
ところがバルトは日本の人形浄瑠璃に自分の理想の演劇を見出すことになる。一九六六年から六七年にかけて三度来日したバルトは、一九七〇年に『表徴の帝国』を出版し、その中の三章をさいて文楽と西洋演劇の相違について語る。西洋演劇は「秘められていると世間から見なされているもの(《感情》、《状況》、《確執》)を明示してみせる」一方で、そのような明示の仕掛けそのもの(舞台機構、背景、メイキャップ、光源)を観客から隠す。ルネサンス以来のそうした「嘘」の空間は「神学的」である(「内部と外部」)。それに対して、文楽は操り人形、人形遣い、浄瑠璃語りと三味線弾きという「舞台の三個所から、同時に読みとってもらうようにと別々に表出された」三つのエクリチュールそのものが明示される(「三つの表現体」)。西洋において演劇は「その根源が一つであって分類できない数々の表現(演じられる、歌唱される、身ぶりでおこなう))の同時的な総合である」「動作と声の統一が、表現する【傍点開始】人間【傍点終了】を生み出す」と考えられているが、実際には私たちの幻想の滋養分となるのは、文楽のように「ここでは声が、あそこでは目が、もう一つ向こうでは身のこなしが、それぞれ肉体の一つ一つであるかのように、しかもそれぞれが【ルビ開始(フェティッシュ)】呪物【ルビ終了】の一つ一つであるかのように、別々の【ルビ開始(エロス)】行動原理【ルビ終了】の性格を与えられて存在すること」(「魂あるものと魂なきもの」)なのだ。
文楽について語るなかで、バルトはこれまで紡いできた演劇についての自らの原理的思考をほぼ全て投入したといってよい。エクリチュールの両義性、各舞台表象の分離と統合、「書きうる」テキストと「読みうる」テキスト、同化と異化。とりわけ最後の問題で、バルトが文楽の「昂揚」(exaltation)について語ったことは目を引く。
声から遠く離れて、しかもほとんど身ぶりなしに、一方は人形に移された【ルビ開始(エクリチュール)】表現体【ルビ終了】、他方は動作による【ルビ開始(エクリチュール)】表現体【ルビ終了】、という二つの沈黙の【ルビ開始(エクリチュール)】表現体【ルビ終了】が、特別の昂揚をうみだす。それは、ある種の薬物によって生じるといわれる知覚の超感受性とたぶん同じである(「三つの表現体」)。
バルトロメウス博士はついに「同化」を公然と語ることにしたのだろうか? だがこの昂揚はヒステリーとは異なる。ヒステリーとは、表象と表象を備給する情動との結合が自然なもののように見せかけることであり、表象に過ぎないものを存在の根源であるかのように装うことである。文楽においては、浄瑠璃語りという役割と語りの内容、声と動作、人形遣いの動きと人形の所作、という三つのレベルにおいて、情動と表象は分離されている。これらを統合し、意味を読み込む作業は観客に委ねられている。「薬物によって生じるといわれる知覚の超感受性」とは、覚醒感を伴った興奮状態のことだろうが、一種の催眠術を観客にかけて「ここに起きていることは本当のことだ」と信じ込ませようとする西洋の演劇と異なり、「ここで起きていることはたんなるお芝居ですよ」と常に語りかける人形浄瑠璃においては、たしかに「ノリつつ醒め、醒めつつノル」(浅田彰)ことが可能になる。
とはいえ、バルトは「もちろん、これらのことはすべて、ブレヒトの強調した効果にみごとに一致する」(「三つの表現体」)とつけ加えることを忘れない。さらに前述したように、バルトはこの後「ディドロ、ブレヒト、エイゼンシュタイン」「ブレヒトとディスクール」において、文楽には認められなかった、タブローとしての演劇、分断された場面の意味について考察し、ブレヒトとの関連において自らの反ヒステリーの美学を完成させたように思われる(「ディドロ、ブレヒト、エイゼンシュタイン」においては、ルプレザンタシオンと幾何学—空間の「切り取り」—の関係についての考察もなされており、興味深いのだが、これも紙面の都合上省略する)。その意味では、文楽との出会いはバルトの演劇論に決定的な深みをもたらしたが、通過点でしかなかったことも確かである。
だが問題は、人形浄瑠璃をはじめとする日本の伝統芸術において反復される、「作りごとだと知るゆえにいっそう耽溺する」という美学をバルトがどこまで理解していたのか、ということだろう。バルトがブレヒトに見ていた批評性は、遊戯性と裏腹の関係にある。「距離」があるからこそ、冷静に眺めて批判もできるのだし、傍から見ているとふざけているのではないかと思われるほど過剰な思い入れもできる。人形浄瑠璃の代表的作者、近松門左衛門の世話物の影響で実際に心中事件が増え、徳川吉宗が心中事件の出版・上演を禁止した一件などを知っていたら、「ノリつつ醒め、醒めつつノル」ことの快楽が現実原則を無視するまでに到ることがあるとわかっていたら、バルトはブレヒトへと戻るのではなく、文楽についてもっと語っていたかもしれない。
カルヴェの『バルト伝』によれば、一九七九年、自動車事故による不慮の死の一年前、バルトはジャン=ルー・リヴィエールが演劇に関するバルトのあらゆる著述を集め、序文をつけ、出版することを許可していた。しかしリヴィエールによって集められたものをいざ読み直してみると、かつての自分の古くさい文体にいささか閉口し、「たぶん二、三篇つけ加える必要があるだろうが、当面それを書いている閑がない」と言ったという。バルトの死によってこの計画は途絶し、リヴィエールによる『演劇論集』が出版されるのは二〇〇一年—しかも『ラシーヌ論』「演劇についての告白」をはじめかなりのものが落とされた—まで待たなければならなかった。生前、『ミシュレ』と並んで自分の気に入りの著作に『表徴の帝国』を挙げていたバルトの、ついに書かれなかった演劇についての著述とは、文楽についての再考ではなかったか、と想像してみるのは楽しい。「全著作の十字路に、おそらく<演劇>がある」にもかかわらず、バルトが演劇について散発的にしか語らなかったのは、同化=ヒステリーに魅せられる自分を認めたくなかったからではなかったか。演劇という、かくも馬鹿馬鹿しく単純な表象の仕掛けに理屈抜きで夢中になれる時期を過ぎると、人は自分が劇場通いをする口実を考え出さなければならなくなる。たいていの人間にとって、社交や息抜きが格好の言い訳になるが、バルトが必要としたのはもっと「科学的な」理由づけだった。だがそこで見出されたブレヒトという隠れ蓑は、バルトの演劇に対するそもそもの関心を抑圧してしまうことになる。舞台を複数の「読みうる」テキスト群に変換することと、熱狂し圧倒されたあと、敗北のしるしをみなに見えるように掲げて「ただ素晴らしかったとしか言えません」と言うこととは、滅多に両立しない。だが文楽はその可能性を提供するし、バルトはそのことに気づいていた。バルトがもう少し長生きしていれば、文楽をたんなる(自己を照らす鏡としての)他者の表象ではなく、自らの裡にある原理をそのまま体現するものとして捉える機会が訪れたかもしれない。そのときこそ、演劇における「テキストの快楽」が公然と語られたに違いない。
注
管見によれば、ロラン・バルトの演劇論の全体像を論じた日本語文献は見当たらないが、各論については以下のようなものがある(ただし文楽についてはやはりまとまった記述はないようだ)。ギリシア演劇:篠田浩一郎「演ずるひとと覗くひと—ロラン・バルト覚書」(『海』第十二巻第六号<一九八〇年六月>)。ラシーヌ:渡辺守章訳『ラシーヌ論』(抄訳)の訳者による解説(『現代思想』第八巻第七号<一九八〇年六月>)。ブレヒト:秋山和夫「ロラン=バルトのブレヒト論」(『テアトロ』第三四四号<一九七一年一一月>)、佐藤康「『テアトル・ポピュレール』とロラン・バルト」(『フランス文学』第四号<一九八四年>)。引用したバルトの演劇についての論考は、翻訳のあるものはそれを参照し(ここではいちいち挙げない)、適宜改訳を施した。翻訳のないもの(「ブレヒトとディスクール」「演劇についての告白」)については原語と英訳を参照して筆者が訳出した。
(一)たとえばジョナサン・カラーは『ロラン・バルト』(富山太佳夫訳、青弓社)において、バルトがブレヒトのうちに発見した「三つの大きな教訓」について述べていて便利なのだが、バルトのブレヒト理解が時代とともに深まっていくことを無視した、超時代的な要約になってしまっているという欠点がある。
(二)Michael Moriarty, Roland Barthes (Stanford Univ Press, 1992). この見解は『演劇論集』(二〇〇一)刊行以前に単独で発表されていた、ジャン=ルー・リヴィエールの序文における見解と一致する。
(三)Scheie, Timothy. 2000. Performing Degree Zero: Barthes, Body, Theatre. Theatre Journal 52.2: 161-81. ティモシーはまたバルトの演劇論における身体の抑圧をホモセクシュアリティの隠蔽と結びつけて考察しており、興味深い。
奴らはdrummer、やくざなdrummer—アメリカ演劇に見る『セールスマン殺し』の儀式—
0.セールスマンというタイプ
”It is obvious that Willly [Loman] can’t be an average American man, at least from one point of view; he kills himself” Educational Theatre Journal 10 (October 1958)でPhillip Gelbのインタビューに答えてArthur Millerはこう語っている。いかにも苦しい答えで、贖罪羊としての悲劇の英雄に要求される特殊性とthe Common Manとしての普遍性を、一人の人物の中でどのように止揚したと説明するか、執筆後十年近くを経てまだ悩むミラーの心境が伺えて興味深いが、ここではとりあえず額面通りとっておこう。それでも一つの疑問が浮かんでくる。自殺をするまではローマンは「平均的なアメリカ人男性」だったと言えるのか?
妻以外の女性と関係を持ち、自分によく似た性格の息子Biffを溺愛するあまりその盗癖を容認し、落第寸前だと知ると友人に答えを教えてやれと命じるローマン。同じインタビューの中で、ゲルブはChristian Science Monitor紙の批評家がローマンを”vicious character”だと形容していることを紹介している。1950年前後にアメリカ人既婚男性の何割が実際に婚外交渉を持っていたか定かではないが、「身持ちの悪い」ローマンに自分たちの(あるいは配偶者の)似姿を認めることを断固として拒否する同時代の観客が相当数いたことは想像に難くない。ではどうしてミラーはもっと善良な男を主人公にしなかったのか?
Timothy Spearsの100 Years on the Road: The Traveling Salesman in American Culture が指摘するのは、アメリカ文化の想像力の中に「よそ者」としての旅回りのセールスマンという原型が存在していたということだ。Sister Carrie の中でCarrieがシカゴに向かう列車の中で声をかけられ、のちに同棲するCharles Drouetもまた旅回りのセールスマンだった。Dreiserは”Here was a type of the travelling canvasser for a manufacturing house–a class which at that time was first being dubbed by the slang of the day ‘drummers'” (3)であると記し、ドルーエが個性を持った人間というより、その時代にどこでも見られた一典型であったことを読者に示唆する。だがTwainやHowellsといった「金ぴか時代」の作家たちが実業家をやはり時代を表す一つのタイプとしてとらえ、拝金主義批判の道具立てとして否定的に描いたのに対し、ドライサーのドルーエに対する態度はもっと同情的である。スピアーズによれば、それはドライサーが、宣伝技術の進展により世紀の変わり目以降徐々に見られなくなっていくセールスマンという形象の”imaginative reconstruction as a popular culture type” (175)を行ったからなのだ。
ここでスピアーズが見ているのはRoderick Nashがかつて「西部」について明らかにしたのと同型のメカニズム、消えていくものは美化されノスタルジーの対象となる、というものだ。十九世紀後半、旅回りのセールスマンたちの”dirty-joke telling, drinking, and womanizing”(145)という悪癖や口のうまさはしばしば揶揄や軽蔑の対象にされ、またその(共同体からの)外部性はしばしばエスニシティと結びつけられて考えられた。とはいえ、それはかつてのヨーロッパにおけるユダヤ商人のように、ただ忌み嫌われるだけの存在ではない。スピアーズは言及していないが、Rodgers & HammersteinのミュージカルOklahoma!に出てくる旅回りのセールスマンAli Hakimはその遠い子孫だと言えるだろう。エロ写真を売りつけ、Ado Annie (“I Can’t Say No”)を誘惑してWill Parkerとの婚約を破局寸前にまで到らせる—ちなみに、この二人は喜劇でお馴染みの二組目の滑稽なカップルを構成している—ペルシア系のハキムはだが、結局憎めない人物として描かれている。十九世紀後半のメロドラマや三文小説に頻繁に登場する旅回りのセールスマンとは、出自こそ多彩だが、ハキムのような「悪い奴だけれど憎めない」人物が多かった。
「悪い奴だけれど憎めない」から「欠点もあるが哀れむべき人物」へ、セールスマンという表象が十九世紀大衆文化から二十世紀モダニズムに持ち込まれるときに、「古き良き」初期資本主義に対する憧憬が作用し力点はわずかに移動する。だが忌むべき「よそ者」としてのセールスマンという意味は消えてしまったわけではなく、かすかに残る「邪悪さ」がセールスマンの他者性を観客に印象づける。
スピアーズが取り上げていないもう一つの例、David MametのGlengarry Glen Rossの主役Shelly Leveneを考えてみよう。1992年の映画版ではJack Lemmonがいかにも尾羽打ち枯らしたセールスマンといった風情で哀感たっぷりに演じているが、客を騙して二束三文の土地を高く売りつけ(アメリカ版原野商法だ)、しかも上客のリストが売上成績の悪い自分には渡されないと知ると仲間とともに自分の会社に夜中に押し入ってリストを盗みだし、挙げ句の果てにライバル会社に売り渡す、というような悪行をしでかすレヴィーンをあんなにsentimentalに描くのは間違っている、あれはレヴィーンのLomanizingであるという批評がJacobsによってなされている。しかし『セールスマンの死』を当然意識していただろうマメットもまた、レヴィーン—姓はユダヤ系、名はふつう女性に用いられるものだから他者性の刻印が打たれていることは疑いがない—を哀れむべき人物として見る余地を残していたのではなかったか。邪悪さと悲哀の両極の間を揺れ動くセールスマンの形象という点ではローマンと同様なのだ。
ではThe Iceman Cometh のTheodore Hickmanはどうか。オニールが見聞きし知っていた、実在する人物や場所をもとに書かれたこの作品において、Hickeyだけはそのモデルを特定できない、というのは有名な話である。Judith Barlowは、オニールの後期作品の草稿を丹念に調査したFinal Actsの中で最も有力な可能性としてJames Forbesのコミック・メロドラマThe Traveling Salesmanにおいて兄James O’Neill, Jr.(自身セールスマンだったこともある)が演じたWattsという脇役のセールスマンを挙げる。この推理が正しければ、オニールはすでにアメリカ文化の想像力の中に存在する、タイプとしてのセールスマンをもとにヒッキーを造形したということになる。
ところがバーロウによれば、そもそもオニールの最初のメモにヒッキーの名前はなく、脇役でしかないバーテンダーのChuck(草稿ではBull)がヒッキー的な役割を担っていた可能性がある。とすれば、ヒッキーは必ずしもセールスマンでなくてよかったのではないか。少なくとも、オニールが求めていたのはメロドラマや三文小説に登場する、派手で陽気だが酒に弱く女好きな、いかにもセールスマンらしいセールスマンではないとは言えそうである。最愛の妻Evelynを欺きながら放蕩生活を続けることに耐えられなくなり射殺する。殺したあとになじみの酒場に行き、pipe dreamにひたる常連に「覚醒して人生の真実を直視しろ」と扇動する。邪悪さと悲哀は兼ね備えているものの、どう見てもあまり現実味のないヒッキーの行動は、タイプとしての旅回りのセールスマンと、『どん底』の巡礼ルカーのような、救済の幻想を与える人物をオニールの頭の中で無理矢理結びつけたゆえに生まれたと考えると合点がいく。
その一つの証拠として、以下ではヒッキーに備わっていたセールスマンとしての三つの属性が、物語の展開の中でいかに剥奪されていくかを見ていきたい。「口がうまく」「腰が軽く」「人情の機微に通じた」典型的なセールスマンであったヒッキーは、いつものようにHarry Hopeの酒場に店主の誕生日を祝いに訪れる。しかし最初に店の外で彼を見かけた常連の一人で売春婦のCoraが”He was different, or somethin'”(606)と他の客たちに説明するように、どこか様子がおかしい。やがて姿を現したヒッキーは、セールスマンらしからぬところを次第に露わにしていく。この意味で『氷屋来る』は作者によるセールスマン殺しの物語でもある。そしてそれは、ミラーやマメットにも共通する主題だった。すなわち、タイプとしての旅回りのセールスマンをもとにしながら、「セールスマンらしさ」を(半ば意図的に)忘却し、「普通の人間」へと変貌せしめること。セールスマンという表象に本来備わる他者性を利用しつつも、ある程度それを薄めて、(ブロードウェイにやってくる白人中産階級の)観客が「ひとごと」ではなく「わがこと」として受け取れるように似姿を作り上げること。三つの作品に共通するこの「セールスマン殺し」はアメリカのリアリズム演劇が成熟するための一つの儀式だった。
1 「説得すること」
ヒッキーは登場したときすでに「セールスマンらしさ」を失いかけている。酒をやめたと告白し、お気に入りだった「氷屋」の卑猥なジョークも自分からは口にしようとしない。だがセールスマンの最大の武器、口のうまさは変らない。彼は現実逃避をして酒浸りの生活を続けるホープの酒場の常連たちに向かって「パイプドリームを捨てよ」としかしヒッキーが説くこの「真理」の後半部分につら説き、彼らはヒッキーの説得に応じていったんは外に出て行く。この過程をTiusanenのように”all the persuasiveness of an efficient salesman”(267)をもって行うセールスの実践としてとらえることは可能だろう。その際重要なのはメッセージの中身よりも、売り込みに使うテクニックである。それをヒッキーは自ら以下のように説明している。
It was like a game, sizing people up quick, spotting what their pet pipe dreams were, and then kidding ‘em along that line, pretending you believed what they wanted to believe about themselves. Then they liked you, they trusted you, they wanted to buy something to show their gratitude. (696)
あるべき自分と現実の自分との隔たりを意識することで生じる自己不全感に悩む人間の「自分は変われるのだ」という幻想を肯定してやること。「この商品を買えば、あなたは変われますよ」は今も昔も変らぬセールスマン定番の甘言だ。『グレンギャリー・グレン・ロス』では、レヴィーンの同僚RomaがLingkという客にこの手口を使う。彼はレストランで隣り合わせたリンクに、人生における快楽とは何か、生の不安を払拭するためにはどうしたらいいか、といった禅問答を仕掛け、その答えとして、投機目的で土地を買うことを納得させる。
しかし「パイプドリームを捨てよ」と説くときに、この手口を使うことができるのか。「自分は変われないと認めれば、あなたは変われますよ」。この命題自体論理矛盾ではあるが、人生訓としては納得できないこともない。だがヒッキーが説くこの「真理」の後半部分に魅了されて外に出て行った常連たちは、「自分は変われない」ことをいったんは認めなければいけないとわかると戻ってきてしまう。ヒッキーはこうして説得に失敗する。
だが『氷屋来る』において、説得の失敗というセールスマンにとって致命的な一撃は第三幕の最後までやってこない。ヒッキーはその時点まではセールスマンらしくいられる。『セールスマン』では第二幕冒頭でローマンが年下の上役Howard Wagnerにニューヨークかボストンの中で回らせてくれるよう説得を試みるが功を奏さず、馘首を言い渡されるところが一つの転換点となる。『グレンギャリー』になるといきなり幕開きでレヴィーンが新分譲地の情報を自分にも与えるよう(やはり年下の)上役のWilliamsonに交渉するが、その場ではまとまらない、という場面が示される。
このように時代が下るにつれ「セールスマン殺し」に時間を要さなくなってきているのは興味深い。それはおそらく、オニールの時代にはタイプとしてのセールスマンの呪縛はまだ強く、セールスマンを登場させたら口のうまいところを見せなくてはいけない、という暗黙の了解が作家と観客の双方にあったが、『氷屋来る』以降、「失敗に終わるセールスマンの説得」というモティーフはすでに作家および観客の想像力の中に織り込み済みとなった、ということを意味しているのだ。
2 「動き回ること」
ヒッキーはセールスマンに憧れていた、と語る。それは牧師の家庭特有の堅苦しさから逃れるためでもあったが、また”[E]ven as a kid I was always restless”(693)だった彼にとり、”[keep] moving” (695)するセールスマンの生活を気に入っていたからでもあった。セールスマンになってからは当然家を空けることが多く、一ヶ月以上も連絡しないまま旅を続けることもあった。けれどアストリアにある自宅から歩いてホープの酒場までやってきたヒッキーは、「落ち着きのない」様子を見せるどころか、一通り自分の話したいことを話してしまうと、疲労困憊して眠り込んでしまう。それはあたかも、Berlinが指摘する、常連たちの”somnolent, inert state”(132)が感染したかのようである。第二幕ではホープの誕生日を祝うために買い物に出かけ、帰ってくると準備のために忙しく立ち回るヒッキーは、もとの活動的なところが戻ってきたように思われる。しかし幕切れ近く、感謝の言葉を述べるスピーチの席上で突然癇癪を爆発させるホープの後を引き取り、自分がいかに変貌したかを長々と述べるヒッキーは再び動かなくなる。
『セールスマン』では「動かないこと」への欲求はもっと露骨に語られる。ローマンはワーグナーに向かって”I’ve come to the decision that I’d rather not travel any more” (79)と宣言し、電話一本で用事が済む伝説のセールスマンDave Singlemanを憧れを持って語る。妻のLindaと交わす最後の会話で彼は”I just want to get settled down, Linda. Let me sit alone for a little.” (134) と言う。『グレンギャリー』の第一幕では、セールスマンたちはずっと座って会話をしている。レヴィーンはアポなしの訪問の習慣を懐かしそうに語るが、電話による勧誘が主流になった現在、それは老いの繰り言でしかない。
3 「わかること」
第三幕、ヒッキーに焚きつけられ、次々と常連客がホープの酒場を去っていくのを見て、Jimmy Tomorrowもまた不承不承出て行こうとする。ヒッキーはわざとらしく喜んでみせる。するとジミーは怒って酒をかけるのだが、ヒッキーは動ぜず、”I know how he feels. I wrote the book” (672)という。他のところでもヒッキーは相手の気持ちや考えが「わかっている」と連発する。表情や仕草から相手の欲望を読みとること。それはセールスマンとしての永年の訓練のたまものだ。しかし同時にセールスマンは自分の欲望を隠さなくてはならない。自分の思惑を知られてしまったら商売は上がったりだからだ。ヒッキーは自分の妻の死を、死因を、自分が手を下したことを、小出しにして伝えていくが、それは「パイプドリームを捨てろ」と説く真の理由を悟らせないための煙幕のようなものだ。
だからセールスマンとしての死は、「自分のことをわかってほしい」と普通の人間のように思うことからはじまる。ヒッキーはイヴリンに放蕩をやめられない自分を受け入れてほしいと心の底で願っているが、彼女は許してくれと謝る夫を慰めて”I know you won’t ever again” (699)と言い続けることで、夫が繰り返し過ちを犯す人間であることを理解することを拒む。ローマンもまた妻の善意ある無理解ぶりに悩まされる。第一幕冒頭で自動車をぶつけた彼は、自動車修理工や眼鏡のせいだ、休息が必要だと頑強に言い張るLindaと言い争いをする。
もちろん、「わかってくれない」のは家族だけではない。『セールスマン』第二幕でローマンはワーグナーに自分の置かれた立場や心情を理解してもらおうとするが、家族の声を再生するテープレコーダーほどにも興味を持ってもらえない。『グレンギャリー』のレヴィーンはウィリアムソンに自分の犯罪を見逃してもらおうと巧言を弄したあげく、同情を買おうと娘のことを持ち出すが、”Fuck you” (104)と一蹴される。
自分は相手のことがわかっていても、相手は自分のことがわかってくれない。その状況が続くと、セールスマンたちは次第に自分のこともわからなくなってくる。これがセールスマン殺しの最後の仕上げだ。ヒッキーはなぜ死んで横たわっている妻に向かって自分が”Well, you know what you can do with your pipe dream, you damned bitch!”(700)といったのかわからない。ローマンには悲劇の英雄にふさわしい自己認識を与えられていないとはしばしば指摘されている事実だ。レヴィーンは悪事が露見したあとで”So I wasn’t cut out to be a thief. I was cut out to be a salesman.” (101-102)と言う。しかしウィリアムソンに見放された彼は、もはやセールスマンにも戻れない。その意味でレヴィーンは二重に誤った自己認識を抱いたまま警察の取り調べに連れて行かれる。
人を説得できず、鈍重で、自分のことすらわからないセールスマン。それは19世紀後半に端を発するタイプとしてのセールスマンからは遠く隔たった存在だ。だがオニール以降、アメリカ演劇におけるセールスマンは徐々にそのような存在になっていった。もはやその核にある他者性の起源を問われることもないセールスマンは現在、奇妙な戸惑いだけを観客に与え続ける。
参考文献
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Dreiser, Theodore. Sister Carrie, New York: Norton, 1991.
Jacobs, Dorothy H.. “Levene’s Daugher: Positioning the Female in Glengarry Glen Ross” in David Mamet’s Glengarry Glen Ross: Text and Performance, ed. by Leslie Kane, New York: Garland, 1996.
Berlin, Normand. Eugene O’Neill, London: Macmillan, 1982.
Mamet, David. Glengarry Glen Ross, New York: Grove Press, 1983
Miller, Arthur. Death of a Salesman, New York: Penguin Books, 1976
Nash, Roderick. Wilderness and the American Mind, New Haven: Yale University Press, 1967.
Spears, Timothy B.. 100 Years on the Road: The Traveling Salesman in American Culture, New Haven: Yale University Press, 1995.
Tiusanen, Timo. O’Neill’s Scenic Images, Princeton, N.J.: Princeton University Press, 1968.
ポスト近代劇としての『みみず』
第七回読売演劇大賞最優秀演出家賞などを受賞した『天皇と接吻』(一九九九年)、そして昨年の『最後の一人までが全体である』、さかのぼっては第三五回岸田國士戯曲賞受賞作品の『ブレスレス』(一九九〇年)まで、坂手洋二の作品の中でとりわけ注目を浴びてきたのは、政治・社会問題という「パブリックなもの」を正面切って扱ったものが多い。また、坂手の率いる劇団燐光群は「ララミー・プロジェクト」(二〇〇一年)「CVR チャーリー・ヴィクター・ロミオ」(二〇〇二年)といった海外のドキュドラマの上演も熱心に行ってきた。それゆえ、坂手にはしばしば「社会派」というレッテルが貼られ、坂手もそれを積極的に否定しようとはしていない。
だが坂手作品の大きな特徴として、(上述のドキュドラマと比較すればよくわかるように)、そこで扱われる「パブリックなもの」は(一)プライヴェイトな領域へと浸透していき、本来政治的人間ではない登場人物との軋轢を生むこと、(二)しばしばそのドラマはエロスの抑圧というサブテーマを包含していること、が挙げられる。もちろん「問題劇」「社会劇」とよばれた近代劇のジャンルも社会と個人の対立を描いたわけだが、これらはどちらかといえば個人が社会の因習や無理解に対して挑戦する、という筋書が多かったし、たとえそうでなくても登場人物たちは強烈な個性を持っていることが多かった。それに対して坂手の戯曲の主人公は無名の市井の人物である。それゆえ必然的に、劇の焦点は社会に対する個人のヒロイックな反抗から、私たちの生活空間に「パブリックなもの」がなし崩しに入り込んでくることそのものの恐怖に移ることになる。
さらに、その過程ではしばしば性愛の欲望が脅かされ、場合によっては否定し去られる。フリーランスのライターとカメラマンの不倫カップルの恋愛模様をもっぱら描いているように見えながら、その背後に蠢く地下鉄サリン事件や阪神大震災など「パブリックなもの」の圧倒的な存在を陰画のように写しだしてみせた『とかげ』(二〇〇〇年)がそのもっともわかりやすい例だろうし、レズビアンたちの共同体を描いた当時としては画期的な『カムアウト』(一九八八年)はそのもっとも初期の試みであるといえる。
したがって、時代を見据えるそのジャーナリスティックな感覚を別にすれば、坂手を(たんなる)「社会派」と呼ぶのは間違っているように私には思える。もっと言ってしまえば、「社会派」と見える作品が世間であれほど高く評価される理由が私にはわからない。『天皇と接吻』に典型的に見られるように、「パブリックなもの」との対立を描くことに重点がおかれた作品においては、「プライヴェイトなもの」が(あたかも抑圧されたものは回帰する、というかのように)前後の文脈とはあまり関係がなく書き入れられ、しかも型どおりの陳腐な人間関係に堕しているものが多い。『天皇と接吻』でも、高校生の主人公とその(レイプされて以来学校の授業に出て来なくなったらしい)恋人との関係は、掘り下げられて書かれてはおらず、また物語の展開上どうしても必要だとも思えない。そのように考えると、坂手は「パブリックなもの」を正面切って描くのではなく、プライヴェイトな人間関係が「パブリックなもの」と接触することで微妙に変化していく物語を書いたほうがすぐれた作品を生み出しているのではないかという気がする。
このような坂手のもう一つの傾向を代表する作品として、文学座アトリエの会で上演された『みみず』(一九九八年)が挙げられる。一九世紀終わり近くになってヨーロッパに登場する近代劇が、十八世紀の啓蒙思想によって整えられる近代的価値観—たとえば理性/言葉への信仰—を批判するものとして、つまり自らの存立基盤を自ら否定するような衝動を内包するものとして、捉えられるのならば、この作品は(遅ればせながら)日本が生み出したもっともすぐれた近代劇の一つだと言えるだろう。イプセンの『野がも』との題名の類似がすぐに想起されるこの作品(イプセン作品における野がもと同様、みみずは主人公の家族たちによって飼育されているという現実であるとともに、象徴的な意味をも担っている)は、明確に言語化され(得)ない衝動や欲望を舞台上に俳優の身体を通して具現するという、近代劇が到達した表現の高みがどのようなものであったかをあらためて確認させてくれるよい機会を与えてくれた。とはいえ『みみず』はたんなる先祖返りや反動ではない。アングラの洗礼をくぐり抜けた近代劇がどのように変貌するのかを示したという意味で「ポスト近代劇」という名がよりふさわしいのかもしれない。
『みみず』は十一階建てマンションの七階に住む、家族四人の物語である。一人暮らしをしていた二八歳の息子・淳一が、盛岡へ転勤することになり、いったん実家に帰ってくるところから物語がはじまる。家族と離れて住んでいた息子(あるいは娘)が、異なった価値観を身につけて帰ってきて、家族のタブー(大抵は隠されていた過去)を暴き、家族が崩壊していく、という物語はイプセン『幽霊』やショー『ウォレン夫人の職業』といった近代劇がお得意とするところのものだ。淳一もまた、家族を解体しに帰ってくる。だがそのやりかたは近代劇とは異なっている。言葉によって家族の価値観を批判するかわりに、年下のガールフレンドの君子をともなって帰ってきた淳一は、家族たちが留守なのを見るとセックスをはじめてしまうのだ。
この幕開けの場面がどぎつく感じられるのは、ただ若い男女がセックスの最中に交わすあけすけな会話がそのまま舞台に持ち込まれているからだけではない。一組の家族の誕生には必ず性行為が介在しているにもかかわらず、家庭ではあたかもそれが存在しないかのように振る舞わなければいけない、という近代社会における暗黙の了解がそこで破られているからだ。しかもこの近代的(ブルジョワ)家族に関わる根幹的なタブーは、オールビー『ヴァージニア・ウルフなんか怖くない』においてそうであるように、言葉によって侵犯されるわけではない。セックスという身体を伴う具体的な行為によって、あっけなく破られる。「家庭という場において封じ込められていたエロスを解放する」、近代劇であれば、登場人物の誰かがそのような台詞を言うだろう。だが『みみず』では誰もそのような問いかけを言語化しないまま、行為だけが観客の前に提出される。
しかし、家族とエロスの関係を語るのに、家族以外の部外者は結局のところ不要である。物語が進む中で、淳一にはもう一人、和美という恋人がいることがわかるが、結婚をちらつかせる二人の恋人たちに対して、淳一は煮え切らない態度をとっている。実際のところ、盛岡への転勤は、同棲している和美との関係に決着をつけるために淳一から会社に言い出したことなのだということもわかる。本当に淳一が関心を持っているのは姉の千恵に対してである。千恵は三〇歳になるが家に引きこもり、何かと世話を焼いてくれる恋人の哲男にも素っ気ない態度しか示さない。姉もまた、弟の存在に惹かれており、中学生の頃のお医者さんごっこを今更のように話し合う姉弟の妖しい関係は、結末近くで近親相姦へと至る。
しかもそれはきわめて甘美なものとして描かれるのだ。
チエ あなたよ。…あなたが後悔するから。
ジュンイチ、静かに首を振り、ゆっくりとチエの中に入る。
チエ、一瞬硬直し、やがて深い吐息を漏らす…。
チエ …動かないで。
ジュンイチ …。
チエ 動かないで…。そのまま…。
二人、しばらくそのままじっとしている。
チエ じっとしていましょう、このまま…。なにも考えないで…。地面に引っ張り出されたミミズが二匹取り残されている…、それだけ。
ジュンイチ …。
チエ …ああ。(官能が走る)
ジュンイチ このまま死ぬのかもしれない…
チエ …。
ジュンイチ 日が昇って、干からびて…
チエ わかってたわ、いつかこうなるって…。
二人、接吻する。
(『みみず』文学座アトリエ上演台本(未刊行)一八五〜一八六頁)
今更レヴィ=ストロースを持ち出すまでもなく、近親姦タブーが存在するのは、生物学的な要請ではなく、結婚を通じて部族間の交換・贈与を行うことで、社会を成立させるためだ。ということはぎゃくに、近親姦は社会というものを成り立たせることを拒否する行為であると言える。近親姦を題材とする作品において、これほどまでにその甘美さを強調したのはめずらしく、反社会的性格が際立っている。
たしかに、この家族はみな、社会と協調して生きることを拒否している。父親はゴルフのコンペの景品のズボンプレッサーを、道を譲ろうともせず歩道の真ん中に立っていた若い男にわざとぶつけ、警察沙汰になる。母は、マンションの住人たちの反対にもかかわらず、みみずの養殖をこっそり行っている。とはいえ、そこに一分の理がないわけではない。元々ベトナム反戦運動を通じて知り合ったという設定のこの夫婦は、社会の理不尽な要求に対して個人はきちんとノーと言うべきであると考えており、その意味では社会の存在そのものを拒否しているわけではない。
しかし姉弟たちはどうだろうか。姉は過去に誘拐・監禁されてレイプされるという過去を持つ。すでに千恵はその体験を客観的に恋人の哲男に語ることはできるが、それを克服したとは言い難い。哲男との結婚に踏み切れないのも、一つはそのせいだ。そして弟も、姉と同様強い衝撃を受けて立ち直れていない。淳一はレイプの際破られた姉の赤いワンピースを自分で繕い、アパートの押入れに隠し持っている。ある意味で、社会によって手ひどく傷つけられた姉弟は、現実の生活を生きながらもずっと「あの時」に感じた恐怖を二人で否定する機会を窺っている。それが二人をして近親相姦に至らしめる理由である。
社会という「パブリックなもの」を成り立たせることを拒否し、血縁関係を唯一の支えとして生きること。そういう姉弟は自分たちを日の光を避けて交尾するみみずにたとえる。だが同時に二人の行為は「家庭では性行為というものは存在しないかのように振る舞わなければいけない」というタブーを犯すことによって、近代的な家族の枠組みを壊すことでもある。社会を拒絶し、家族をも解体するというのはどういうことか? しかし近代的な(ブルジョワ)家族とは、親族関係に由来しながらも、法によって規定された社会制度であることに注意してほしい。ジュディス・バトラーは『アンティゴネーの主張』(Antigone’s Claim)でヘーゲル以来の国家/親族関係という二項対立を脱構築し、『アンティゴネー』において対立しているように見えるクレオーンとアンティゴネーの言説が、実は互いの言説に汚染されていることを示した。だが近代劇ではこれは当たり前のことである。社会に反抗する個人は、まず社会の言説を複製する家族の言説によって抑圧される。こと近代劇においては、家族は個人の味方ではなく、社会の手先なのだ。ノーラに対するトルヴァルしかり、ヴィヴィーに対するウォレン夫人しかり。したがって姉弟の行為は法制度に守られた近代的な家族をも否定するという点で徹底的に反社会的であり、また近代への内側からの批判という意味で近代劇的である。
だが社会は規範的な親族関係からの逸脱を許さない。イプセン『幽霊』におけるオスヴァルの発狂は、家族のタブーは触れずにおかれるべき正当な理由があること、そして父親の放蕩という忌まわしい過去を暴いた者にはしかるべき罰が与えられること、を示すものだった。『みみず』においても罰は下される。姉弟の近親相姦の場面に続く幕切れは、盛岡にいる淳一からの電話を母・文江が受けている間に、玄関の鋼鉄の扉を叩く音が激しく鳴り続けて暗転、というものだが、これはもちろん千恵の飛び降り自殺を示唆している。
だが言うまでもなく、この幕切れは、坂手が近代的家族観を擁護し、そこから逸脱するものへ批判の目を向けているということではない。坂手がたんなる「社会派」劇作家ではない理由はここにある。社会に対する安手の反抗を感傷的に描くのではなく、社会の圧倒的な力(しかもそれは言説化できない何かとして立ち現れる)によって滅ぼされる個人という現実をそのまま描くこと。坂手洋二の真価はこのイプセンばりの手腕にある。
『ミドルセックス』:叙情の対位法
前作『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』を読んだときにもそう思ったのだが、ギリシア系アメリカ人作家ジェフリー・ユージェニデスの日本語にして七百頁を超す大作『ミドルセックス』の最初の読後感は「うーん、うまいなあ」というものだった。もちろんこれは単純な褒め言葉ではない。いかにもアメリカの大学の創作科で学んできました/教えています、というような、読者を飽きさせないためのさまざまなテクニックを駆使して書かれた作品を読んで、少し考えさせられてしまった、ということでもある。
たとえば『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』では、思春期特有の、とくにこれといった動機のない自殺という主題を扱うにあたって、ユージェニデスは少女たちと同じ学校に通う「ぼくら」という少年の(複数の)語り手を設定する。そして異性に関心を抱いてはいるものの、それが自らの性欲に端を発するものだとはっきりと自覚することがまだできないでいる少年たちが、性的な成熟度という点では彼らにまさる美しい五人姉妹の奇矯な言動にいかに惹きつけられていったか、それが嵩じて彼女たちのちょっとした立ち居振る舞いにすら心を奪われるようになっていったかを、大人になった「ぼくら」がほろ苦くも甘美な思い出として語るという外枠の構造を導入する。そのようなお膳立てを整えることで、年頃の少女たちの繊細だが自閉的な感受性を今ひとつリアルなものとして受けとめられない(おそらく主として男性の)読者も、自分が十代半ばごろに感じた、異性に対する憧憬を思い出し、作品に引き込まれることになる。(余談だが、原題に戻して公開された映画『ヴァージン・スーサイズ』は、複数の少年の語り手というこの外枠の構造をうまく活用できていなかったように思う。監督ソフィア・コッポラは美しい映像と印象的な音楽を多用する、いわゆる「雰囲気に頼った」映画作りをしており、その結果、姉妹たちがいかにして自殺するまでに至ったかを、ただぼかして語っているだけ、という印象を与えてしまう。理由のはっきりしない自殺だからこそ、この外枠の構造をはっきり示す必要があったのだ。)
生まれたときから女性として育てられた主人公カリオペが、十四歳のときに男性の遺伝子型(と停留した睾丸)を持っていることが判明し、その後カリーと名乗って生きてきた半生を四十一歳になった本人が語るという設定の本作『ミドルセックス』でも、同様のテクニックが用いられる。自らに生じた遺伝子の変異の原因を祖父母の代まで遡るという名目で、語り手は自らの半生を語る前に自分たち一族の歴史を語る。生物学的な性決定のメカニズムの複雑さと性自認をめぐる混乱という、どちらかといえば読者を選ぶ題材を核に据えながら、アメリカ現代小説の王道とでも言うべき、移民としてこの国にやってきた自分の祖先の苦難に満ちた生活とその後のささやかな成功および没落という別の物語とそれを接合することで、ユージェニデスは作品をより一般受けするものに仕上げているのだ。
そしてこのいわば序奏にあたる部分が長いのもこの作品の特徴である。かつてはオスマン帝国の首都であり、一九一九年にはじまったギリシア・トルコ戦争によってギリシアの領土となった小アジアの町ブルサ近郊の村、ビシニオスで生まれ育った姉弟デズデモーナとレフティーが、お互いを異性として意識するようになる。だが彼らは一九二二年のトルコ軍の再侵攻によって故郷を追われ、いとこ夫婦を頼ってデトロイトへ向かう船ジュリアに乗り込む。当初二人は全くの他人同士として振る舞い、やがて偶然の邂逅から親密になったカップルを装って航海途中に結婚式を挙げる、ここまでが第一部。デトロイトにやってきたデズデモーナとレフティーが、いとこのスーメリナとその夫ジズモの家に居候し、やがて二組の夫婦にそれぞれ生まれた子供ミルトンとテッシーが結婚し、「わたし」を受胎するまでが第二部。そのところどころに国務省職員としてベルリンの米国大使館に勤務する語り手の「わたし」の現在の生活と、名前から日系とおぼしきアメリカ人アーティスト、ジュリー・キクチとの出会いについての描写が挿入されるが、この「わたし」が誕生するのは第三部になってからである。そして印象的な「わたしは二度生まれた。最初は、一九六〇年一月、デトロイトでは稀なスモッグの晴れた日に、ゼロ歳の女児として。そして、次は、一九七四年八月に、ミシガン州ペトスキー近くの救急処置室で、十代の少年として」という第一部の書き出しが示す、5−α−リダクターゼ欠乏による男性偽半陰陽であるという診断が下されてからの主人公の半生は、最後の第四部でようやく語られるにすぎない。しかしそれゆえに、読者は主人公の特異な生/性をより大きな物語の一つの断片として無理なく受け入れることができるようになる。
しかもこの三世代にわたる一族の歴史は、同時に二十世紀のアメリカ、とりわけデトロイトという自動車産業で栄えた町の【ルビ開始(クロニクル)】年代記【ルビ終了】としても読めるようになっている。デトロイトにたどり着いたばかりのレフティーが、フォード社の組立工として働いたり、一九二九年からはじまる大恐慌のせいで悪化した家計を助けようと、デズデモーナが初期のネーション・オブ・イスラムで絹織物を作ったり(しかも、その経歴がいまだに謎につつまれたままの創立者W・D・ファードが、自動車事故で死んだと思っていたジズモであったといういかにも小説ならではの設定もある)することからはじまり、一九六七年のデトロイトの人種暴動とその後の強制バス通学をはじめとする人種融和政策、七〇年代のラディカリズムの台頭など、ある程度年齢のいったアメリカ人にとっては懐かしい事件や出来事が次々と語られる。
けれども映画脚本家を一時めざしたこともあるというユージェニデスの、こうしたサービス精神たっぷりな仕掛けばかりに目がいってしまい、その背後に通底する独特の叙情性を十分味わえないことがあるとすれば、それは読者にとって不幸なことだろう。物語の語り口のうまさもさることながら、ユージェニデスの本領は、神は細部に宿ると言わんばかりの精緻な想像力によって、ほんの端役にいたるまで、あらゆる登場人物を生き生きと描き出し、さらには複数の主役たちの感情のすれ違いとそれにもかかわらず互いに理解を続けようとする努力を、悲しみとも諦めともつかぬ淡い感情に染め上げて読者に提出するところにある。たとえば十四歳のカリオペの性をめぐって、父親、母親、カリオペ本人そして医師でインターセックスについての世界的権威ピーター・ルースの解釈はそれぞれ異なり、対立する。しかしたとえ彼らの間の認識の差異は埋めようがないとしても、語り手である現在の「わたし」はそれらを理解し、なんとか受け入れようとする。
もちろん、異なる価値観への共感と理解はアメリカ文学に一貫して流れる主題だし、複数の現実の対立と共存はモダニズムが取り憑かれていた主題だ。だが『ミドルセックス』の登場人物たちは、お互いの異なる現実を理解したつもりになるのでも、あるいは最初から理解しようとしないがその存在を認めるというのでもない。ある種の違和感を残したまま、それを受け入れる。その一方で、自分の現実認識も変えずにあわせて抱え込む。それは対位法で書かれた音楽において、ときどき不協和音を鳴らしながら複数の声部が展開するのに似ている。そしてこの作品におけるもっとも微妙な対位法は、語り手における、女性としてのカリオペと、男性としてのカリーが織りなすそれだ。「わたしの脳は男性化しているにもかかわらず、語らなければならない物語、つまり遺伝的な歴史には、生来の女性的な迂遠さがつきまとっている」。
この大作を読み終えたあとに、もっとも印象に残る【傍点開始】べき【傍点終了】なのはこの叙情の対位法である。小説的な楽しみに満ち満ちた一つ一つのエピソードは、最後には忘れ去られ、沈黙をもって答えることしかできない叙情の対位法のずっしりとした重さだけが残る。おそらくそれがこの作品の(他の多くの偉大な長篇小説と同様)正しい読まれかたなのだろう。だが実際には、読者は構成のあざとさを意識してしまう。作者の手腕によってまんまと最後まで読まされてしまった、そういう感想をどうしても抱いてしまう。小林秀雄が引用した『徒然草』の一節ではないが、「よき細工は、少し鈍き刀を使ふ」ことをユージェニデスが知っていれば、もっと素直に感動できたのに、と思うのは望みすぎだろうか。
デフレの時代のローファイ小説
岡崎祥久の小説には、二つのモードがある。戯作者めいた洒脱な語り口で日常の出来事を淡々と描写していくモードと、いささか時代遅れの感なきにしもあらずではあるが、ひたすら自己の深部に沈潜し、そこに生起する感情の揺動の一切を言葉に変えていこうとするモードと。デビュー作「秒速一〇センチの越冬」以来、一作ごとにスタイルを変えてきたようにも見える岡崎の小説は、じつはこの二つのモードをどのように混在させ、あるいは一方を排除するかという試行錯誤の結果に他ならない。作者の内には、「お前の日常生活にどんな事件が起ころうと、それは大したことじゃないんだから、深刻ぶるな」という、(村上春樹にも通ずる)ニヒリズムと気取りと気負いがないまぜになったような性向と、そういうポーズをとる自分を嫌悪し、もっと真面目に人生を見据えて生きるべしと命ずる古風な倫理観とが同居しているように思える。そして岡崎は太宰治と違ってこのような自我の分裂を分裂として読者に示すほど器用ではなかった。岡崎のいくつかの小説に見受けられる、一人称と三人称の語りの交替は、どちらか一方の極にすり寄ろうとしてははじけ飛ぶ、作者の精神の往還運動の表れに他ならない。
ところが『南へ下る道』に収録された表題作および「醜男来たりなば」で、岡崎はうじうじ悩む自己を微細なタッチで描くのをすっぱりあきらめて、もう一つの持ち味である軽みを前面に出してきた。この二つの中篇は、小島伸一と和子という若いカップルが共通の主人公として登場し、時系列的にもつながった連作となっている。「醜男来たりなば」では、伸一の友人で、しばらく北海道に住んでいた「醜男」が東京に戻ることを思い立ち、伸一の住むアパートをめざしてオートバイで南下する、というエピソードが、東京の郊外で平凡でささやかな暮らしを営む夫婦のエピソードとが交互に語られる。醜男と伸一は数年来音信不通であったが、伸一は結婚した後も独身時代と同じアパートに住み続けていたため、醜男は彼らの家を探し当てることができたのだ。三日ほど六畳間に三人で寝る生活を過ごした後、彼はまた出ていく。「南へ下る道」は、前作の終わりで勤めていた近所の電気店をリストラ名目でクビになった伸一と、パートをやめた和子が、伸一の親から一時的に預かった軽自動車に乗り込み、国道一号線、二号線、三号線のみを使って九州まで行く道中が語られる。
どちらの作品にもロードノベル的要素が含まれているとはいえ、このジャンルにありがちな自己探求の旅とその終わりがセンチメンタルに描かれたりすることはない。それどころか、放浪か定住か、自由か秩序かという緊張関係は一度も表面化せずに、きわめて曖昧なかたちで解決が図られる。「醜男来たりなば」は、醜男の出立を見送った伸一が部屋に戻り、中古マンションの値下がりを伝えるニュースを和子と一緒にぼんやりと見ているところで終わる。伸一が勤め先を解雇された以上、ローンを組んで中古マンションを買うという二人の将来設計は遠のき、「定住」という結末は再び見えなくなったわけだから、このニュースはひどく皮肉に聞こえるはずなのだが、二人はそうとっていないようである。「南へ下る道」の終わりでは、三号線の終点からさらに下って西鹿児島駅についた二人が、ここら辺りで電気屋を開業するという夢とも現実ともつかぬ話をする。
つまり、ロードノベルというコンベンションは一種のしゃれとして機能しているわけだが、それは主人公たちがデフレの時代のさまよえる小市民という新しい社会階層に属しているからでもある。終身雇用制の神話の崩壊が広く世間で喧伝されるようになった現在、将来への漠然とした不安は抱えながらも、二九インチの大画面テレビとMDステレオのある生活を営み、中古マンションを買うことを夢見るだけの蓄えもあり、いざというときに頼る親も健在である二人は、小市民的心性を持ちながら浮き雲のような暮らしをしている。常識人ではあるが、インテリにふさわしい深い思想などは持ち合わせず、その場の気分で生きている。
とはいえ、小市民が感じる日常生活の鬱屈と倦怠というのは岡崎のデビュー以来の一貫したテーマだし、退屈な日常からの脱出としての小旅行という筋立ても「ニジイロのセカイ」(「文學界」二〇〇一年二月号)などですでにお馴染みのものだ。だがこの二篇において、作者は一人称の語りを全く用いないことで、それまでの作品にあった重苦しさややりきれなさを滑稽さと中和させた。パン屋でパートとして働いている和子がレジを受け持つのを見計らって買いに行き、六〇円の玉子ドーナツをおまけしてもらっていた伸一が、ある時後ろに並んでいた何も知らないお節介な主婦の口出しのせいでレジの「ミス」を指摘され、六〇円払うことになる、とか、宿代を安くすませようとラブホテルに泊まったはいいが、早い時間に入ったために休憩料金と宿泊料金を二重に支払うことになり憤慨するといった、せせこましいが、登場人物たちにとって切実なエピソードは、三人称で語られることによってユーモラスなものとなる。
それはこの作家が資質として持っている目線の低さも関わっているのだろう。だがそれはたとえば小島信夫の目線の低さとは趣を異にする。「社会的敗残者としての私」という小島の小説の語り手の自己規定はどこか一種のやつし芸というところが否めなかったが、岡崎の小説の登場人物たちは社会的成功などというものははなから望めないものだととうの昔に悟っているか、最初から考えもしていない。彼らにとって、未来は現在のたんなる延長であり、何かが劇的に変化することはないのだ。一人称で語られていたときはそうした諦念は閉塞感にもつながっていたが、三人称で他人事のように語られると、あっけらかんとして心地よい。それは右肩上がりできた日本の経済成長が終焉を迎えた時代の空気を的確に描いているからだ。「日常をまったり生きる」ことが、気の利いたスローガンなどではなく、当たり前のことになっている世代の弛緩した感覚。このポストバブルの時代にあっても高揚した調子で「勝ち逃げ」組は誰か、家族の崩壊のあとに何がくるのかと議論する三十代後半〜四十代の元気なオヤジたちを後目に、岡崎は新・庶民の暮らしをひっそりと描くことに成功したのではないか。
ダークな二人
芸術家が年をとるということはどういうことだろうか。ごくわずかの例外を除けば、作品に豊穣さをもたらしていた想像力は衰え、ばらばらの着想を強引に一つにまとあげる腕力もなくなる。そのかわり、老練な芸術家は技巧と表現の間の巧みな綱渡りによって精緻ではあるがどこか空虚な作品を作り上げる。音楽でいえばベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲、ドビュシーのヴァイオリン・ソナタのようなもの。では演劇ではどうだろう?
半年ぶりのニューヨークで見た二つの作品がそれぞれ答えを出していたように思う。エドワード・オールビーのThe Play About the Baby とリチャード・フォアマンのNow That Communism Is Dead I Feel Empty である。
デビュー作『動物園物語』以来ひたすら世界に対して呪詛の言葉を吐き続けているという点でオールビーは希有な作家である。今度の新作(ただしロンドンでの世界初演は九八年)もまた、彼の真骨頂を表すような作品だった。若くて無知だが善良さだけがとりえというような夫婦の間に子供が産まれる。そこへやってくる正体不明の老夫婦。二人とも六〇過ぎだが、値段の高そうな服をぱりっと着こなし、肌つやもよい。だが彼らには年相応の落ち着きというものがない。男のほうは劇場つきの道化よろしく、しきりに観客に話しかけて歓心を買おうとするし、女のほうは若い頃のエロチックな回想をわざと下品な言葉や仕草をまじえて語る。若いカップルはこの胡散臭い二人が何者なのか、何のためにやってきたかを不審がる一方で、愚にもつかぬ戯言を繰り返し、裸でじゃれ回る。
永遠に続く暇つぶしという点ではベケットを思わせなくもない第一幕は、正直いって退屈だ。老夫婦を演じたブライアン・マレーとマリアン・セルデスの達者な演技に観客は大笑いをしていたが、その笑いの大半がアメリカの劇場でよくある観客と俳優の馴れ合いからくるものだと感じてしまうと少々白けてしまう。最後に老夫婦がやってきた意図が明らかになって物語はようやく展開する。彼らは「子供を奪いにやってきた」のだ。
だが正体不明の邪悪な意志を隠し持った人物が、平穏と思われていた日常に侵入するという不条理劇おなじみのモチーフがいよいよはじまるのかと思うと肩すかしを食う。第二幕は第一幕の最後の部分をわざとらしく繰り返すというシアトリカルな導入に引き続き、いつの間にか赤ん坊が消えていることを発見してパニックに陥った若い夫婦を老夫婦がさんざんに言葉でなぶる。再び暇つぶし。最後にようやく彼らはタオルにくるんだ赤ん坊を二人に返すが、その中身は空っぽ。そして「赤ん坊は最初からいなかった」ということを若夫婦に納得させて幕が下りる。
すべての快楽は味わい尽くしたといったふうの老夫婦たちが明かす真実が、赤ん坊という形象に託された希望や明るい未来といったものはすべて幻想にすぎないということなのであれば、今年七三歳になるオールビーの若い世代に向けられた悪意は明らかである。俺たちはさんざん楽しんだが、お前たちはただ空虚な時間を過ごして死んでいくのだ、ざまあみろ。枯淡の境地どころか、いつまでも衰えぬ邪悪さに感嘆はしたものの、そのことを言うためだけに二時間はやはり長いと見た直後には思った。だが時間が経過し印象が凝縮されるにつれ、意識の裡でオールビーの悪意がいわば結晶化していき、ああ面白かったなと思っている自分がいる。これも一つの「老い」の芸術のありかたなのだろうか。
六四歳と一回り若いフォアマンも同じように「ダーク」な作風を特徴とするとはいえ、ある意味オールビーとは対照的な作家である。なぜなら彼の作品においては世界のほうが根拠のない悪意を抱いており、世界の邪悪な意志を託された人物たちが作者の分身とおぼしき主人公をみんなでよってたかって迫害するからだ。彼の劇団オントロジカル・ヒステリック・シアターは先頃来日して公演を行ったが、さほど注目を浴びなかったと聞く。いくつかの理由でそれは当然である。第一に、フォアマンは六〇年代から自分のスタイルをほとんど変えていない。どの作品もよく似通っている。「永遠のワンパターン」という意味では唐十郎にも比することができるかもしれない。人は新しいものを見い出すために彼らの芝居を見に行くのではない。いつまでも変わらないもの、そして時には申し訳ばかりのヴァリエーションを楽しむために見に行くのだ。そんなフォアマンのマンネリズムの独特の生ぬるさ/心地よさを味わうことができなければ、今のフォアマンを見て面白いはずがない。第二に、フォアマンの被害妄想的・唯我論的世界はユダヤ文化のShelemiel(ダメ男)の伝統を受け継いだものである。ソウル・ベロウが読まれなくなり、一時期圧倒的な人気を誇った古谷三敏の「ダメおやじ」(もちろん、ひたすら悲惨な前期「ダメおやじ」である)が日本漫画史の忘れ去られた一ページとして片づけられようとしている現在、この種のマゾヒズムとそれを支える「万人に愛されたい」という愚かだが切実な思いは町田康の読者ぐらいにしか理解されないのではないか。第三に、新宿花園神社で見ないと唐組を見た気がしないように、オントロジカル・ヒステリック・シアターの根拠地セント・マークス教会に行かないとフォアマンは見た気がしない。透明なアクリル板で仕切られた舞台と客席、床といわず天井といわず舞台のあちこちに置かれた不可思議なオブジェの数々、わざとらしくしかし正確な抑揚をつけて話す俳優たち、客席の中央にどかっと腰を下ろして上演を見守るフォアマン、こういったものはセント・マークス教会二階の薄汚く狭い空間にあってこそ魅力を放つのだ。
しかし今回のフォアマンは少々趣を異にしていた。そもそも主人公が二人いる。まあその名前がフレッドとフレディーというのだから結局同じ人間、いつもと同じコギトのコギトによるコギトのための劇であることにはかわりはないが、ローレル&ハーディ以来のアメリカ喜劇伝統のコンビの道化芸を見事に演じてみせるジェイ・スミスとトニー・トーンのおかげで「遅れてきたモダニスト」フォアマンの自意識への執着ぶりが薄まったように感じる。相変わらず語るべき筋はないし、題名は内容と関係がない。だがおなじみの形而上学的ドタバタ劇は一種の「軽み」を備えたぶん、いつもより面白く感じられた。これもまた一つの道なのだ。
(ひびの けい・アメリカ演劇・映画)
『ユリイカ』第33巻第5号(2001年5月)掲載