長田秀雄「新劇はどうなるか」『東宝』第八十五号(昭和十六年二月)

 一月十三日の都新聞は、国民演劇としての新劇の再編成を、内閣情報局と、大政翼賛会が両者の合作に於て、いよいよ着手すると報じてゐる。

 同紙の報道の内容は、略、次のとほりである。即ち、情報局は、まづ昨年解散の悲運に接した新協、新築地両劇団のメンバーに体する内務、文部、警視庁、保護監察所あたりの少壮官僚の認識を統一する為、また新劇全部を将来、国民劇として、更生せしむる為、一大座談会を催ほした。この座談会は一回限りでなくつゞいて何回か開かれ、そこで得た緒論を睨みあはせて翼賛会、情報局の対案を練ると云ふ方針のやうである。

 なほ、同紙に、民間の流布してゐる翼賛会の案なるものを掲載してゐるが、これは、まだ、一個の私案の程度を出ないもののやうに、われわれには思はれるのである。

 翼賛会文化部には、新劇に造詣のふかい岸田国士氏が、部長の職について居られ、副部長としてやはり新劇に、独特の見識を有つ上泉秀信氏が居られる以上、この御二人の意見が、必ず、情報局、及び、翼賛会の内部を指導して、将来、国民劇に発展する新劇の為、もつとも好適な機構組織がつくられるであらうことを、われわれは確信してゐる。

 凡そ一国の演劇には、さまざまのジヤンルがあるて、斉頭的に発展して行くのが、演劇文化の上からみて、もつとも好もしい状態である。併して、その【ルビ開始(ちうじく)】中枢【ルビ終了】的な存在として、現代的意義を有つ国民劇が立つてゐなければならないのは、云う迄もない。

 然るに我が国では、明治維新以来、燦然たる社会文化の発達の中に、たゞ、演劇だけが、徳川期以来の封建芸術たる歌舞伎を主流として変態的な形態を残してゐる。その結果として、あくまでも【ルビ開始(ちうじく)】中枢【ルビ終了】に居を占めるべき、現代的な国民劇が、発展せず、たゞ新劇と云ふ名のもとに、欧羅巴のシステムに模擬した無性格な現代的演劇が、わづかに文化人たちに支持されてゐたに過ぎなかつたのである。

 新劇が、国民劇として、立上がる為には、あくまでも民族の精神を把握した演劇とならなければならない。その為には、まづ、新らしいレパートリイを創りあげることが、刻下の急務である。

 われわれは、まづ、国民劇の機構組織の問題は情報局や、翼賛会の成案が出来上るのを待つことにして、劇文学、殊に、戯曲の創作を刺激し、促進することを、始めなければならないと考へる。

 かつて、文部省の社会教育局に於て、つくられた演劇法の草案が、いよいよ今回法文化されて、議会へ上程されることになつた。演劇法は、同題の法律と、それにともなふ誘導助成の施設によつて、わが国の演劇を向上発展せしむる主旨によるて立案されたのである。その誘導助成の施設は、当然、翼賛会文化部あたりが受持つべきであらう。戯曲の創作や、識者による国民劇の研究は、この誘導助成の施設に待つ所が頗る多いとわれわれは思つてゐる。翼賛会としては一面、国民劇の機構組織を立案すると共に、演劇雑誌の発行と云ふやうな事業にも、手をうけて、戯曲創作の促進を援助されることが必要である。

 国民劇の生誕にあらつて、民間で一番やかましく論ぜられてゐるのが、指導者の問題と移動劇団の問題であるやうに考へられる。

 国民劇の指導方針は、既に演劇法草案に示されているのであるから、この方針を体した指導者が出て、劇団全体を指導すればよいのである。指導者は、併し、決して衆人が考えてゐるやうに、そんじよそこらに転つてゐやしない。演劇法草案に定められたやうに国家の演劇研究所でも出来て、そこで充分な教育をうけた人々の内から、真の指導者が生まれてくるであらう。国民劇が体をそなえかつ大成するまでは少くとも三十年や五十年はかゝる。われわれはその覚悟で、じつくり構へてやつて行かなければならない。

 新劇俳優が転身さへすれば、明日にも国民劇が出来上がるやうな口吻を以て、物を言つてゐる人たちは、結局、島国根性を脱してゐないのである。

 次に移動劇団の問題であるが、これは、なかなかむつかしい問題である。おいそれと、現在働いてゐる比較的下級の俳優たちを結成させた一座で、従来の都会向きの戯曲を何らの顧慮なくそのまゝ山村漁村へ持つて廻つても、ただ、百害あつて一利もない。

 移動劇団は、簡単に云へば、農村漁村及び地方小都会の持つ郷土的文化を向上発達させるやうに刺激、促進するのが目的の一つであり、かつ、その目的によって始めて、各地の人々を楽しませ、その人々の情操をたかめらるのである。

 したがつて、その土地土地の状況によつて経済的にも、充分な顧慮が必要である。結局営利会社でやるより、国家の補助のもとにつくられる方が、よいのではないかと考へられる。

 移動劇団はまた、その劇団が、各地を巡回してゆくが、各地の郷土的文化を取入れ自己を再教育することによつて、将来の国民劇の技術を豊饒化しうると云ふ大切な仕事を持つてゐることを忘れてはいけない。

 国民劇は要するに将来のものであり、帝都に中心を置いて、その支隊を各地に移動させ、わが国の各地方の郷土的の演劇文化を斉頭的に向上発展させてゆくように構想させるべきであらう。

This entry was posted in 日本近代演劇. Bookmark the permalink. Trackbacks are closed, but you can post a comment.

Post a Comment

Your email is never published nor shared. Required fields are marked *

*
*

You may use these HTML tags and attributes: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>