杉山誠「演劇の再編成」『東宝』第八十二号(昭和十五年十月)

演劇人の一部には、国家による「積極的」統制を望んでいた者もいた。

……われわれが与へられた目標に到達する上に、最も強く重点を指向すべき演劇はなんであらうか。演劇全体として今こそ真剣にそれは考へられるべきである。私はそれを国民生活乃至思想に拠りどころをもつ【傍点開始】現代演劇【傍点終了】であると考へたい。こゝに国民生活乃至思想といふのは、個々の国民の生活乃至思想が全体的に包括せられ、わが国が現在完逐せんとしてゐる目標の方向に一つに纏めあげられたそれをいふのである。従つてこの新しい日本の演劇は、当然、東洋演劇の指導的立場に立つものであり、同時にそれによつて世界演劇に寄与するものでなければならぬ。かゝる演劇の創造にこそ演劇全体の重点が指向せらるべきである。かゝる演劇こそ今後の日本演劇の主流たるべきである。この主流たるべき演劇は芸術性と文化性において高度のものであり、それによつてのみ現在政治の要求する方向性と一致する。国防国家体制の樹立はわれわれ国民の一人一人にまでその責任を要求する。このことは国民全体としての思想乃至生活意識が高度化されてはじめて達成せられる。さういふ国民を鼓舞し、慰安し、反省せしむる演劇が当然叙上のやうな演劇でなければならぬといふことはもはや単なる理論ではなく、現実の要求である。かくの如き演劇の創造に立ち向へばこそ現下における宣伝劇の重要性が認識されるのである。

 大衆劇といひ、移動劇団といひ、この主流演劇からの分派であるてはいじめて新しい日本演劇の担当者の一形態となり得る。

 かうした演劇の創造に重点が指向せられるとするならば、われわれはもはや国家の演劇への積極的な関与を強く要請するよりほか道はない。従来のやうな安寧秩序の観点から出発した法律的警察的監督のみに限らず、芸術指導的立場をとるべきである。消極的取締より積極的な助長への移行である。かくしてはじめて演劇の再編成、再出発の目的は完成せられる。これについては又他日更めて説きたい。

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