…ここにその頃の大阪の庶民生活の雰囲気を伝える格好な資料がある。 それは、当時大阪の財界に蟠居された肥田弥兵衛氏(虎屋銀行の創立者)の三男の肥田弥一郎氏の「掬水庵日誌」と題した日記である。 弥一郎氏は読書力旺盛、文学の趣味深く、自ら掬水庵渓風と号し、その書庫を楓文庫と名付けて珍書古書を収集されたが、大正13年1月に個人雑誌「あのな」(ANONA)を創刊された。この「あのな」は以後昭和4年12月までの六年間休みなしに通巻72号まで発行(他に増刊、臨時号など数冊ある)されたが、その中に若き日の日記を「掬水庵日誌抄録」と題して連載されたのであった。『日本映画史の研究:活動写真渡来前後の事情』九七頁
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掬水庵渓風の本名
…ここにその頃の大阪の庶民生活の雰囲気を伝える格好な資料がある。
それは、当時大阪の財界に蟠居された肥田弥兵衛氏(虎屋銀行の創立者)の三男の肥田弥一郎氏の「掬水庵日誌」と題した日記である。
弥一郎氏は読書力旺盛、文学の趣味深く、自ら掬水庵渓風と号し、その書庫を楓文庫と名付けて珍書古書を収集されたが、大正13年1月に個人雑誌「あのな」(ANONA)を創刊された。この「あのな」は以後昭和4年12月までの六年間休みなしに通巻72号まで発行(他に増刊、臨時号など数冊ある)されたが、その中に若き日の日記を「掬水庵日誌抄録」と題して連載されたのであった。『日本映画史の研究:活動写真渡来前後の事情』九七頁