特典映像で新藤兼人は「間に合わせで作った」「溝口さんの悩みがよく出ている」と評しているが、要するに駄作だということだ。戦後間もなくだから民主主義も単純に受け入れられない、女優も田中絹代以外大物を集められないという言い訳を新藤は代弁するが、そもそも歌麿の何が描きたかったのかわからない。芸術至上主義者の歌麿、という単純な主題であればまだわかるが、むしろ歌麿の芸術至上主義にかぶれた周囲の女たちが自分の恋を成就するためには死をもいとわない、という物語にいつのまにかなってしまっている。板東蓑助がミスキャストだというのもその通りだとおもう。ようするに世話物のうまい人で風情はあるのだが芸術のために戦うというようなタイプの人間には決して見えない。冒頭の狩野勢之介との口論はちょっと胸がすく啖呵を切ってみせるが、あとは分別くさい、まわりの女たちの破天荒さに振り回されて後始末をしているような人間になってしまう。ただし、いつも通り丁寧に作り込んであることはたしかで、溝口映画の醍醐味である骨太のドラマが欠けているという点で評価は低いだろうが、最初のほうの花魁道中など、江戸情緒を画面いっぱいに出して見せたという点では興味深いところなきにしもあらずだった。なお、gooのあらすじ紹介に歌麿が罰せられて手鎖三十日とあるのは五十日のあやまり。
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『歌麿をめぐる五人の女』(1946)
特典映像で新藤兼人は「間に合わせで作った」「溝口さんの悩みがよく出ている」と評しているが、要するに駄作だということだ。戦後間もなくだから民主主義も単純に受け入れられない、女優も田中絹代以外大物を集められないという言い訳を新藤は代弁するが、そもそも歌麿の何が描きたかったのかわからない。芸術至上主義者の歌麿、という単純な主題であればまだわかるが、むしろ歌麿の芸術至上主義にかぶれた周囲の女たちが自分の恋を成就するためには死をもいとわない、という物語にいつのまにかなってしまっている。板東蓑助がミスキャストだというのもその通りだとおもう。ようするに世話物のうまい人で風情はあるのだが芸術のために戦うというようなタイプの人間には決して見えない。冒頭の狩野勢之介との口論はちょっと胸がすく啖呵を切ってみせるが、あとは分別くさい、まわりの女たちの破天荒さに振り回されて後始末をしているような人間になってしまう。ただし、いつも通り丁寧に作り込んであることはたしかで、溝口映画の醍醐味である骨太のドラマが欠けているという点で評価は低いだろうが、最初のほうの花魁道中など、江戸情緒を画面いっぱいに出して見せたという点では興味深いところなきにしもあらずだった。なお、gooのあらすじ紹介に歌麿が罰せられて手鎖三十日とあるのは五十日のあやまり。