正岡容『圓朝』

戊辰戦争に遭遇した三十歳の圓朝は以下のように述懐する。
 ……何もない、かもない。四方八方、よしや目路のかぎりが再びいつかの大地震のときよう大焼野原になってしまったとて唯ひとつ私には、信じる稼業があるばかりだ。
 何か、それは?
 噺——噺だ。
 好きで、命を細らせてまで打ち込んでなったこの落語家という商売だ。だから自分は落語家以外の何者でもないし、同時にまたそれほどしんから真実賭けたるところの私にとっては尊いありがたい落語家稼業なのだ。(『小説 圓朝』河出文庫二〇〇五年、三〇七頁)
度重なるアメリカ軍の空襲の中書き上げられ、昭和十八年四月に刊行された小説にこのような記述があるということは驚くばかり。これはまさしく反戦・芸術至上主義小説ではないか。あとがきに曰く、
 こうしたいらいらしていた私の明け暮れを、古川緑波、高篤三の二友がそれぞれの時とところで心から慰め励ましてくれたしみじみとした友情を忘れられない。古川君は警戒管制で厚く戸を閉め切った有樂座九月興行の楽屋で、そうして高君は銀座某百貨店の屋上ちかくジョッキを呷りながらのことだった。(『小説 圓朝』三八四頁)
芥川が処女作を激賞したというのは正岡容のこうしたところを見出していたからかもしれない。
 

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