タニノクロウ 人と作品(2)タニノクロウのエロティシズム

タニノクロウはえらい、もとい、エロい。その風貌、佇まい、存在そのものからエロさがにじみ出ている。発情期の中学生男子のようにいつもエロいことばかり考えている。たまに会ってメシを食う。真面目に演劇の話をしているはずが、いつの間にかエロ話になっている。奇妙な性風俗産業に行ってきたとか、AV女優の最近のお気に入りとか。

三十半ばを過ぎて中学生男子と変わらない量の性欲を持ち続けているだけでも大したものだと思うが、もっと感心するのは、タニノが中学生男子と同じぐらいその性欲を持て余していることだ。タニノクロウの作品はもとよりエロティックなのだが、そこにあるのは性についてある程度知り尽くした大人の男が生み出すエロティシズムではない。性欲ギンギンだけれど、それをどう処理してよいかわからない中学生男子の滑稽さと哀しみである。タニノの過剰なエロスが空転するさまを見て、観客は性的興奮をかき立てられるというより深い脱力感を覚える。

だがそれはタニノが本当のエロティシズムを知らないということではない。むしろタニノのほうがエロティシズムの何たるかをよく知っているのだ。『太陽と下着の見える町』では、パンチラというまさしく中学生男子の定番ズリネタをフィーチャーし、窃視というエロスの根幹にかかわる主題を明らかにした。一部を見て、全体を妄想し、抱いた性的衝動を適切なかたちで発散することができずに悶々と苦しむこと。それが私たちのエロスの本質であり、それをタニノ作品は具現化してきた。

『アンダーグラウンド』や『笑顔の砦』といった、エロティックな要素が一見ないように思われる作品も含め、タニノ作品には皮膚の下で何かが蠢く感じ、ムズムズして落ち着かない気持ちが充溢している。それはオーガズムに至ることができずに、延々その前で足踏み状態をしているときの焦燥感であり煩悶である。行き場のない性欲、肥え太らせた妄想。タニノクロウの作品を見ることは、大人になってしまった私たちの心の底に放置されているそうしたエロスと再び出会うことなのだ。

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