Category Archives: 日本近代演劇

正岡容『圓朝』

戊辰戦争に遭遇した三十歳の圓朝は以下のように述懐する。  ……何もない、かもない。四方八方、よしや目路のかぎりが再びいつかの大地震のときよう大焼野原になってしまったとて唯ひとつ私には、信じる稼業があるばかりだ。  何か、 […]
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矢野誠一を評価していなかった自分の不明を恥じる

矢野誠一のよい読者ではないことは決して誉められたことではない、ということはよくわかっていた。 しかし数年前に出た『エノケン・ロッパの時代』などは、演劇史家から見れば、調べが足りないことは明白で、この人は要するに「評論家」 […]
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両国国技館での無償公演

嘗て曾我廼家五郎が平民劇塲を思ひ立ち、本名の和田久一に立歸り、大に發展振りを見せる計畫の筈を、どうした間違ひかひいき客の反尊を受けて、矢つ張元の喜劇役者、不相變人に笑はれて稼いで居た所、此頃再び始めの話に花が咲き、太夫元 […]
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新派の社会劇

新派の社会劇については、以下の記述を参照のこと。 小山内の考えを簡単にいえば、かつて身を置き、今本郷座時代を現出している新派の動向をも見定めて—このころから新派の「社会劇」をめぐる論議が一方で盛んになりつつあり、たとえば […]
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「たが屋」のサゲ

どちらが正しいのか、今の私には判断できる材料はないが、落語が「勧善懲悪」の絵空事をやらない、というのは首肯しかねる。  勧善懲悪という言葉をどう捉えるかにもよるが、たとえば「一文惜しみ」などは勧善懲悪といえるのではないだろうか。

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栗林元二郎『運命の別れ道』

 どのように予算を工面したかは不明だが、主演は曾我廼家五郎、役者一行40名を札幌の円山公園に作ったオープンセットに缶詰にし、制作費1800円也でPR映画を作ってしまった。...  映画が終ると北海道移住を説き、クライマックスには伊達一族の北海道開拓物語で盛り上げた。

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滝沢修の『忠義』

兵役に就いたあとの滝沢修の、築地小劇場復帰第一作が一九二九年の『忠義』であった。神山さんのご教示によれば、「築地小劇場で再演したときは、実につまらなかった、さすがに左団次はちがうものだ」という感想があったという。初演も不 […]
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伊東清『八代目林家正蔵正本芝居噺考』

伊東清『八代目林家正蔵正本芝居噺考』(一九九三年、三一書房)は定価12000円、日本の古本屋でも10000円とちょっと手が出ない価格だ。国会図書館に行って見るのがいいかな。 追記:と書いていたら、畏友・児玉竜一氏がわざわ […]
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『忠義』その2

Trans. by Frederick V. Dickins, Chiushingura, or, The Loyal League, a Japanese Romance も東大総合図書館にある。これは横浜の英字新聞 […]
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小山内薫『忠義』

John Masefield, The Faithful : A Tragedy in Three Acts (London : W. Heinemann, 1915)は東大総合図書館にある。ただし、早稲田演劇博物館にあ […]
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