スタイリストの/としての敗北

佐藤信演出『ロベルト・ズッコ』、世田谷パブリックシアター
二〇〇〇年三月八日〜二三日
佐藤信は、黒テントの主張や信条の古くささ、野暮ったさから考えると意外なほどスタイリッシュな舞台を作るのがうまい。その昔、紅テントや天井桟敷といった他の劇団に比べて、黒テントが都会的で「おしゃれな」雰囲気を漂わせていた、と言われるのは、佐藤の演出のスタイルもあずかっていたのだろう。80年代にファッションショーの演出をつとめたという経歴も伊達ではないのである。
しかしアングラが死語になった現在、むしろ唐や寺山の持っていた前近代的なおどろおどろしさが若い世代に新鮮に感じられ、佐藤のようなモダンな「一時代前のおしゃれ」が妙に古くさく感じられるのはいたしかたがないだろう。そのスタイリッシュな描線でマニアックな人気を誇る漫画家、松本大洋に舞台劇を書かせるなど、佐藤はまだまだ自分が現役であることを示したいらしい。しかし残念ながら、少なくとも「ロベルト・ズッコ」に関していうならばその試みは失敗している。
筆者がいちばん残念だったのは選曲である。なぜボブ・マーリーをはじめとするレゲエが頻繁な舞台転換の合間に流れなくてはいけないのか? ボブ・マーリーがジャマイカでは手に入れられない「自由」を望み、歌ったように、ロベルト・ズッコも普通の人間が手に入れられないような自由を欲していたから? しかしズッコとはしょせん、先進国の豊かな社会における反逆児にすぎない。いくら17歳の少年たちの凶悪事件が日本の新聞やテレビを賑わせていたとしても、シエラレオネで起きている残虐な集団殺戮に比べればローカルでマイナーな突発事件にすぎないように、ロベルト・ズッコがフランス国民につきつけた問いは、ボブ・マーリーたちが文字通り命を賭して求めたものに比べると真剣味の不足したものである。警官殺しを歌った「アイ・ショット・ザ・シェリフ」を流すというのはブラックなパロディにしか聞こえない。
もちろん、ボブ・マーリーが「おしゃれなレゲエ」として消費されているという現実そのものをまず私たちは疑わなくてはいけない。しかしそのようなボブ・マーリーの受容のされかたに真っ先に異を唱えていいはずの佐藤が、率先してこんなふうにその音楽を使うのはどうしてか? それはひょっとすると佐藤は真の意味でスタイリストではなかったからではないか?
スタイリストとは、いくつものスタイルを熟知しており、状況に応じてそれらを縦横無尽に組み合わせることができる人のことである。彼らはあるスタイルの必然性といったものを信じていない。スタイリストである演出家は、「これこれの戯曲にはこれこれのスタイルがふさわしい」といった判断を下さないのだ。なぜならスタイリストであれば、どんなスタイルでも対象に合わせることができることを知っているからだ。スタイルが表現するのであって、スタイルを通じて対象がよりよく表現されるわけではないことを知っているからだ。よく勘違いされるのだが、あるスタイルに憧れて、それを一所懸命真似をしただけではスタイリストとは言えない。たしかにそのように真似されて作られた舞台には、スタイリストの演出家が作った舞台と同様に、内容に対する形式の勝利が表れている。しかし前者の舞台においては、そのスタイルの「必然性」が主張されてしまう。「このスタイルが格好がよいと思うからこのスタイルにしてみました」という主張の格好悪さ。スタイル重視の表現の空虚さと、その空虚さに気づいていない作り手の落差の格好悪さ。スタイリストの表現は、自らの表現の空虚さに気づいているからこそおしゃれなのだ。
公平を期するために言っておくが、佐藤信の演出に真のスタイリストぶりを感じたことがこれまでになかったわけではない。しかし往々にして彼のスタイリッシュな舞台とは、「格好のいいもの」を追い求めたい一心で作られていることが多く、しかも彼が感じる格好よさとはたいがいはヨーロッパのモダニズム、そして未だにその影響を強く引きずっているヨーロッパの現代前衛演劇の表現であったりするので、時代遅れを感じることが多い(最近の例でいえば「ヴォツェック」がそうだった)。「ロベルト・ズッコ」も、まさに格好のよい表現のお手本として佐藤はとらえ、なんとかして同じぐらい格好のよいものに仕上げたいと演出をしたのだろう。50年代のチープなSFへのオマージュとしてすでに使い回された感のある銀色のラメの衣装を売春宿のおかみに着せたり、あるいは小型カメラの画像を舞台の背景全体に大写しすることにいかほどの意味ががあろうか。いや、だから上に述べたように「意味がない」ということをわかっていればいいのだ。しかし佐藤の演出はどこかで必然性を求めたがっている。それがおしゃれだはないのだ。ボブ・マーリーの音楽になにかしら必然性を求めたがっているのがおしゃれではないように。
「格好がよい」「おしゃれだ」と自分が思うものを手本にして一所懸命真似した表現は、結局のところ手本との距離感を表現することに終わってしまう。「ロベルト・ズッコ」はその意味で新劇と同じ愚を犯している。新劇の失敗の一因はヨーロッパの表現がおしゃれだと思って一所懸命真似したことにあった。しかしそこから得られた反省はいまだに「スタイルだけを真似してその精神を理解しなかった」というような、アンチスタイリスト的な観点からなされたものばかりである。そうではなくて、スタイルを重視する表現とはどのような表現なのか、ということを真剣に考えないかぎり、日本の演劇は日本の優秀なファッションデザイナーたちと違って、永遠に世界に打って出ることはできないだろう。

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批評的距離の絶妙さ

鐘下辰男演出『華々しき一族』、佐藤慶・佐藤オリエ・榎木孝明・七瀬なつみ他出演、新国立劇場小劇場
二〇〇〇年二月〜三月一日
幕が明くしばらく前、そして明いてしばらくしてから、そして幕切れのところで「ある晴れた日に」が流れていた。もちろん森本薫の脚本にこのような指定はない。明らかに演出家の指示である。
演出家のスタイルには大きくわけて二通りある。テキストを大胆に読み直し、ときには大幅に改変して演出家の解釈を強調するタイプと、あくまでもテキストの精読を通じて、作者の意図をできるだけ多くくみ取ろうとするタイプ。何を当たり前のことを、と言われるかもしれない。しかし新劇の演出家としての鐘下はこのどちらのタイプにも属さない。テキストを踏まえつつも、自分と作品との距離、あるいは新劇に感じている「違和感」とでもいうべきものを舞台上に現出させる。そこに「所詮、自分たちには新劇を支えていた感性は理解できない」という冷たい突き放した鐘下の思いを感じるのは私だけだろうか。しかしそれは同時に演出家鐘下の誠実さの表れでもある。すでに過去の歴史となってしまったものがかつてもっていたリアルさを「再現」しようとしつつ、同時にその行為の不可能性を示す。現在新国立劇場をはじめとしてさまざまな集団が新劇の名作を上演しはじめているが、それがたんなる懐古主義に陥らないためには、鐘下のこのような批評的距離こそが、必要だろう。
田中千禾夫の『マリアの首』を演出したときもそうだった。方言を共通語に直しただけではない。『華々しき一族』と同じ美術の島次郎の手によって、舞台の中央上手よりに、ト書きに指示のない裸の水道管が地面から突き出ている。この『少女仮面』をはじめ唐十郎作品に繰り返し出てくるおなじみの意匠が示しているのは、(少なくとも言語的な観点からは)アングラの祖形とでもいうべき田中千禾夫をアングラ以降の歴史を通して見直す、あるいはアングラの側に『マリアの首』を奪還する、という決意だった。
さてプッチーニのオペラ『蝶々夫人』はもちろん、アメリカの海軍士官ピンカートンにだまされる日本の没落士族の娘、蝶々さんの悲恋の物語だが、蝶々さんの純愛を通して、見かけと内実の永遠の不一致というロマンチシズムのテーマを反復していることを忘れてはならない。オリエンタリズムの一つの反映ではありながらも、東洋の女性に、他者としての東洋に、見かけと内実の一致という理想を見る(=純愛を貫く)という構図を提出する点においても『蝶々夫人』はロマン主義的な作品なのである。そしていわばこのオペラ全体におけるロマン主義の頂点というべき、蝶々さんが歌うアリア「ある晴れた日に」で、いわば『華々しき一族』全体をサンドウィッチのように挟み込むことによって、鐘下はこの作品における見かけと内実の不一致という主題を浮き上がらせようとしていることがわかる。
しかも鐘下の意図は表層的な恋愛遊戯と真実の感情の不一致、というこの作品のプロットレベルでの主題を確認するにとどまるのではない。最後の場面の演出を通して、彼はこの作品が構造的に抱え持つ見かけと内実の不一致を浮き彫りにする。たしかに脚本を読んだだけでも、恋愛ゲームを降りた若き映画監督須貝が居候先の師匠の鉄風の家を出ていき、残された三人の女たちが泣き出すという幕切れに不自然さを感じることはできる。喜劇であったはずなのに、誰も誰とも結ばれないという奇妙さ。しかし鐘下は、よくできた風俗喜劇とも見違えるようなこの作品が、じつは真実の(それゆえに報われない)愛という、もっと切実な(だが同時に陳腐な)ものの探求という作者の欲望を抑圧して成り立っていること、そしてそれが最後に一気に噴出することをより明示的にするために、三人の女たちを大げさに泣かせるのだ。真実の感情の吐露であるはずのその行為の芝居臭さは、それまでの人工的な恋愛ゲームが自然さを装っていた(!)だけに、作者のねじくれた欲望の在処をはっきりと示すことになる。こうして、登場人物たちの心理のすれ違いを意地悪く楽しんでいた観客たちは、限度を超えてひたすら泣き続ける三人の女たちという舞台上の形象に唖然として席を立つことになるのだ。
そのように鐘下の演出の意図を読めば、「ある晴れた日に」が戦前の日本の文化人の家庭で流れる、という設定がいっそう皮肉に思えてくる。近代化、西洋化が見かけ上完了した昭和十年代において、プッチーニのオペラを聴いているのはとりたてて不自然ではないように思える。しかしオリエンタリズムの典型のような作品を日本人が「自然に」享受するというのは考えてみればグロテスクな姿である。
もちろん、森本じしんも、風俗喜劇の日本的土壌への移植という自らの作業に違和感を持っていたことは確かだろう。たとえば、母親の諏訪が催すモダンダンスの公演では、バッハのプレリュードから源氏の夕顔へと題材がくるくる変わると息子の昌允が揶揄する台詞がある。あるいは去り際に須貝はオレンジジュースにウイスキーを入れて飲むのは婦人のすることであり、酒なら灘の生一本を飲めと昌允に(とりたてて必然性もなく)忠告する。所詮自分たちは西洋の猿真似をしているにすぎない、という気恥ずかしさがこの戯曲を書いている森本の心のどこかにあったに違いないのだ。しかし従来の新劇の上演であれば、そのような複雑な森本の心理とは裏腹に、近代的西洋的な「新しい」家庭の表象としてこの一家を描いて見せたことであろう。いや、当時であればそれでもよかったのかもしれない。この家庭の「モダンさ」は一つの魅力となったことだろう。しかしもちろん、現代の私たちにはそうした部分は伝わらない。ほとんど冗談にもとられかねない「ある晴れた日に」という選曲はむしろ森本の気恥ずかしさの部分を強調する。こうして、一歩間違えば戯曲の世界の忠実な再現ともとられかねない鐘下の演出は、それまでの上演史を否定するかのように、当時の新劇が、日本が、必死になって猿真似をしている、そのおかしさすらも、形象化するのだ。この絶妙な批評的距離のとりかたは、これからもしばらく注目していきたい。

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俳優は真実を語ることができるか

T.P.T『令嬢ジュリー』デビィット・ルヴォー演出、若村麻由美主演、ベニサン・ピット

一九九九年一一月二五日〜一月九日

若村麻由美は、令嬢ジュリーに似ていた。ジュリーは上っ面を飾り立てていようがいまいが、人間は一皮剥けばみな同じ、確固とした自分というものがあって、自分の感情というものを持っていると考えている。ところが下僕のジャンはそうではない。ジャンは人間というものが、自分のことにせよ他人のことにせよ、真実というものを知ることはないと考えている。いやもちろん、時には彼も真実を語りたいという欲望に駆られることもある。ジュリーと一緒に家を出て、コモ湖のほとりでホテルを経営する夢を語るときの、あるいはルーマニアで爵位を金で買って成り上がるという夢を語るときのジャンは、自分の言っていることを半分以上信じているようだ。しかし彼は人間が真実を語ることができると信じこむには、あまりにも人生を知りすぎている。自分自身を見れば、人間がいかに信用のならないものかがわかってしまう。ジュリーを口説くためならば、お涙頂戴の話を新聞から借りてきて身の上話として語ることもお手のもの。告白という形式がいかに欺瞞に満ちたものであるかを知っている。人は真実を告白すると称してもう一つの嘘を語るのだ。

19世紀の終わり近くになって登場した近代劇を特徴づけているのは、近代的価値観への懐疑だ。18世紀ヨーロッパ中を席巻した啓蒙主義思想は、ルネッサンスからはじまる西洋近代の到達点であったが、近代劇はそこで謳われた理想、すなわち理性の正しさ、人間の進歩、個人のかけがいのなさといった概念がいかに怪しげなものであるかを暴露する。つまり、近代劇とは自らが依って立つ基盤を突き崩す脱構築的な運動なのだ。

ストリンドベリもまた例外ではない。『令嬢ジュリー』をはじめとする多くの作品で、彼は「本当の自分」という幻想に人間がとりつかれるといかに厄介なものか、ということを描いた。人の気持ちは移ろいやすく、信じるに値する宗教や思想はない。そう考えれば確固とした自分を持つことはほぼ不可能に近い、ということがわかりそうなものなのに、なぜか人は、今現在の自分とは違った、本当の自分、自分の真実のすがたというものがあると考えたがる。この作品でジュリーは、階級が自己を規定するものではないことを母親から教えられてはいるものの、何者でもない自分に耐えかねてジャンに身を投げ出す。そうすれば本当の自分が見つかると思ったのかもしれない。しかしジャンは意地悪くも、愛を誓わせようとするジュリーの要求をすげなくかわし、自分のことすらわからないのに、一度だけ寝た相手のことなどなおさらわからない、ということをジュリーに暗に教え諭す。クリスティンのように、神の存在を含めて一切を疑わず、階級社会の現実をありのままに受け止めて黙々と生きていかないかぎり、つまり欲望−あらゆる規範から逸脱し、たえず自己増殖を続けていく存在−を抑圧しないかぎり、人間は自らの不定形の欲望が新たな対象を見出すのにしたがって変貌し続けていく。だからジュリーが自殺するのはもちろん、ジャンとのことが父親に露見することを恐れているからではない。真実というものを頼りにして生きていくことがもはやできない、一度欲望が自らをつき動かすままに行動すれば、あとは頼るべき規範は何もなく、ただ根無し草のように生きていかなければならない、その事実を受け入れることが耐えられず死ぬのだ。

しかし近代劇の誕生とともに生まれたように考えられているリアリズムの演技術は、俳優は真実を語ることができるという前提に基づいて組みたてられている。そしてそれはもちろん、演劇の「見てきたように嘘を語る」役割を否定することでもあった。一切の「芝居がかった」演技を排し、本当のことだけを語ろうとするリアリズムの演技はだから、最初から不可能なことを目指していたともいえる。俳優がいくら悲しみに沈んだ顔をしていても、それは「本当のこと」ではない。それを本当のことだと信じたい観客と俳優自身がいるだけだ。リアリズムの演技とは、そうした観客と俳優の思い込みの共同体の上に成り立つものであり、「真実」と「演じている現実」との距離はその思い込みの強さによってのみ埋まる。とりわけ日本の新劇においては、体型・外見の相違や、俳優養成のための教育がほとんどなかったことがあって、この「真実」と「演じている現実」との格差はいかんともしがたいほど大きかったわけだが、それでも新劇という制度が成立し得たのは、観客と俳優双方の思い込みがあったからなのだ。
アングラはまさにそのような新劇を成立させていた思い込みを撃ったわけだが、90年代にアングラが衰退しはじめるときにはっきりわかったことは、アングラという制度を成立させていたのもまた別種の思い込みであったということだった。しかし現在の日本の演劇界には、こうした過去から教訓を学んだ者は少ないように思える。平田オリザが語る演劇論であれ、TPTに参加する役者たちであれ、「真実」を語ることができる、「内面」を見せることができる、という素朴な信仰に未だにしがみついているように見えるのはなぜなのか。そのような態度ではストリンドベリのような反・近代的な近代劇の可能性を汲み尽くすことはできない。真実というものはないと知りつつ、なおも真実を信じようとする人間たちの織りなすダイナミズムを表象することはできない。

舞台挨拶のときの若村麻由美は、緊張感がとけてほっとした顔をしており、自分たちへの拍手に対して少し照れているようだった。それは俳優という、虚と実の間を生きる人種が見せる顔ではなかった。お芝居という一つの虚構を演じきったその代償として、今このしばらくの間は素のままの自分を出す権利があると主張しているかのようだった。きっと、築地小劇場の頃の新劇俳優たちもこうだったのだろう。彼女たちは、芝居という大きな嘘を真実に変えようと生真面目に演じるのだが、舞台挨拶の頃にはもう演じなくてもいいのだと安心して一人の人間に戻ってしまう、そういった種の人間なのだ。「あなたと私は同じ一人の人間でしょう」。令嬢ジュリーは劇中でジャンに言う。若村麻由美も観客に向かって同じことが言いたかったのに違いない。だがそのような仕草こそが、自分たちのついた嘘を嘘として確定させてしまうことに彼女は気づいていなかった。これまで彼女が一所懸命に演じていたものは所詮絵空事だったのだ、観客は無意識のうちにそう感じ取ってしまうことに気づいていなかった。無名塾出身者が仲代達也に学ぶべきは、仲代の無意識が発する恐ろしいまでのシアトリカリズムであって、リアリズムの演技にかけるその愚直さではないのだ。

もちろん『令嬢ジュリー』はたんなる真実の表象可能性をめぐる哲学的な議論に終始するものではない。貴族の女と下男との情交というスキャンダラスな物語を軸に展開するこの戯曲は、そこからさまざまな方向へ拡散していく断片的なイメージ/言説を一箇所にぎゅっと圧縮して詰め込んでいる。つまり、初演当時のこの戯曲は、ちょうどハイナー・ミュラーの『ハムレット・マシーン』が現在の私たちにとってそうであったのと同様に、その凝縮度において衝撃的なものだったわけで、異なっているのは、当時今にも爆発しそうな圧縮の度合いだと感じられていたものが、現在の私たちにとってはそれほどのものではない、と思えてしまうことだけだ。しかもデビッド・ルボーの演出はいつも通り、絡み合ったイメージ/言説群を丹念にときほどくことを目的にしていた。それはたとえば、若村麻由美が木馬に跨り騎乗位よろしく腰を動かしてみせる場面のように、戯曲のもともと持っていた濃厚な卑猥さをごく薄めたかたちで暗示するものにとどまっていた。全体として伝わってくるのは、何か野卑なもの、野卑であるけれども圧倒的な存在感を誇るもの、つまり、ストリンドベリの『令嬢ジュリー』という戯曲の「気配」、何重にも隔てられている壁の向こうで、何かとてつもなく恐ろしいことが起きているというその気配だけだった。正しく訓練を受けた想像力を持った観客ならば、壁の向こうにあるものを感知できたかもしれない。しかし『令嬢ジュリー』を読んだことがない一般の人間であれば、その気配はたんなる気配でしかなった。新劇がかつて陥った陥穽にまた落ち込んでいるこの上演を見て、歴史から学ぶ姿勢を持たないとこの国の演劇は何度失敗しても進歩しないままになると強く思った。

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歴史性を捨象した政治性など何の意味もない

燐光群『天皇と接吻』坂手洋二作・演出、下北沢ザ・スズナリ

一九九九年一一月一三日〜二九日

終演後、帰途に就こうとする客でごった返すスズナリの狭いロビーで、劇作家の斎藤憐を見かけた。普段は自分が知りもしない著名な人物に声をかけたりなど気恥ずかしくて決してできないのだが、そのときは思わず言ってしまった:「斎藤先生、どうでしたか? 僕は斎藤先生の『グレイ クリスマス』のほうがずっと面白かったです」。斎藤憐は微笑したあと、一呼吸おいて「僕は面白かったよ」と優しいが厳しい声で言った。家に帰って朝日新聞の夕刊を広げると、ちょうど斎藤憐の連載エッセイの最終回が載っていて、その中で劇作家協会に所属する平田オリザら若い劇作家たちとの交流の楽しさが書かれていた。それを読んで、果敢な試みではあるものの、結局は自作の焼き直しに過ぎない『天皇と接吻』を見ていたときに、この老作家が考えたであろう色々なことを想像した。

この一、二年で、坂手洋二は優れた作品を二作書いている。文学座アトリエの会で上演された『みみず』(1997)と、角野卓三と柄本明の二人芝居『定理と法則』(1997)。19世紀終わり近くになってヨーロッパに登場する「近代劇」が、18世紀の啓蒙思想によって整えられる近代的価値観—たとえば理性への信仰—を批判するものとして、つまり自らの存立基盤を自ら否定するような衝動を内包するものとして、捉えられるのならば、この二作こそは日本にもようやく近代劇と言われるものが書かれるようになった証であった。とりわけ、イプセンの『野鴨』を意識したと思われる前者(イプセン作品における野鴨と同様、みみずは主人公の家族たちによって飼育されているという「現実」であるとともに、象徴的な意味をも担っている)は、明確に言語化され(得)ない衝動や欲望を舞台上に俳優の身体を通して具現するという、近代劇が到達した表現の高みがどのようなものであったかをあらためて確認させてくれるよい機会を与えてくれた。

しかし、これら二作品は坂手の最近の傾向のうち一方を代表するものにすぎない。『みみず』『定理と法則』に共通する特徴は、プライヴェートな空間において会話がなされ、事件が展開することだ。いずれの作品でも、「パブリックなもの」の存在は暗示され、「パブリックなもの」と個人そして/あるいは家族との緊張関係が物語の推進力となるものの、決してそれが表面にでることはない。しかし『天皇と接吻』は、『トーキョー裁判1999』などにつながる、「パブリックなもの」を正面切って扱った作品である。坂手が最近評価されているのは、むしろこちらの系譜に属するものが多いようだが、私はあまり評価しない。なぜなら、「パブリックなもの」を正面切って扱う坂手の作品においては、「プライヴェートなもの」がまったく無視されるわけではなく、なぜか抑圧されたものが噴出するようにプライヴェートな人間関係が前後の文脈とはあまり関係がなく描かれ、しかもその人間関係は型どおりの陳腐なものが多いからだ。『天皇と接吻』でも、主人公とその(レイプされて以来学校の授業に出て来なくなったらしい)恋人との関係は、物語の展開上重要な役割を果たすものの、やはり掘り下げられて書かれてはおらず、陳腐のそしりを免れない。しかも彼女は亡霊のように主人公の意識にとりついている、という設定なのか、舞台の上に時々出てきて立ちつくすその姿は、20年前のアングラ芝居のようでいただけない。そのように考えると、坂手は「パブリックなもの」を正面切って描くのではなく、プライヴェートな人間関係が「パブリックなもの」と接触することで微妙に変化していく物語を−つまりは近代劇のフォーマットに則ってということだが−書いたほうがインパクトは大きいのではないかという気がする。

だが今回の劇評のポイントはそこにはない。朝日新聞でも、NHKで放映された『99年日本演劇を振り返る』でも小田島雄志・大笹吉雄・扇田昭彦の鼎談でも絶賛されていた『天皇と接吻』の政治性を問題にしたい。この作品は、天皇と接吻こそが敗戦直後の日本映画に対するGHQの検閲の大きなポイントであったと指摘する、同名の研究書にインスパイアされて書かれたものであるということになっている。坂手はプログラムでそのことを言及するとともに、ファビアン・バワーズについての岡本嗣郎のドキュメンタリー『歌舞伎を救った男』をはじめとする日本戦後史のさまざまな資料を引用・参照した、と書いている。

しかし、坂手が本当に引用リストに含めなければならなかったのは、斎藤憐の『グレイ クリスマス』(1983)と、秋元松代の『村岡伊平治伝』ではなかったのか。GHQ内での情報局と民生局との対立、1949年の中華人民共和国成立および1950年の朝鮮戦争勃発という極東情勢の急展開によって右傾化、「逆コース」をたどるようになるまでの占領下の日本の内情を描き出した『グレイ クリスマス』と、女衒の頭としてアジア各地に売春婦を輸出することで日本のアジア侵略の片棒を知らずにかつぐことになった男の悲喜劇である『村岡伊平治伝』は、いずれも『天皇と接吻』にとって、重要なモチーフになっている。とりわけ、前者は二重構造になっている『天皇と接吻』における内側の物語、すなわち、日本映画社によって撮影された原爆のドキュメンタリー『日本の悲劇』が、当初GHQのCIE検閲官であるコンデによって奨励されながら、情報局の横槍のおかげで最終的に上演を禁止されてしまうという筋の背景をなしているものだ。今年再演された『グレイ クリスマス』を坂手が見ていたと考えるのは不自然ではないし、ひょっとしたら15年前の初演を見ていたのかもしれない。というのも、初演時のパンフレットに寄せたエッセイで、斎藤は当時いち早く日本が「逆コース」を辿ることを予測した新聞記者マーク・ゲインの『ニッポン日記』について言及しているのだが、じつは『天皇と接吻』の中でも、日本がこれから右傾化することを予言した「マーク・ゲインという記者の署名記事」が読まれるのだ。『ニッポン日記』そのものではなく、実際のものかわからない新聞記事を持ってきたところに、坂手の「お里が知れぬように」という作為を感じる、というのはあまりにも意地の悪い見方だろうか。
もちろん、こうした事実を持ってしても、『天皇と接吻』には見るべきところがある、と主張することは可能だろう。外枠の物語として、高校の学園祭での映画『天皇と接吻』の上演をめぐる、教師、映画部の部員、そして保守反動たる日本史研究会の連中などが織りなす緊張関係を描くことで、坂手は1950年代の逆コースとまさに同じことが現在の日本に起きているのだということを斎藤よりずっと明確に示したと考えることもできる。『グレイ クリスマス』においては、斎藤の他の作品と同様、舞台で起きている事件を現在の状況に重ね合わせて見ることは観客の手に委ねられており、ということはつまり、観客が無自覚であれば、単なる大河ドラマ、華麗な歴史絵巻物として捉えられてしまう可能性があるのに対し、『天皇と接吻』ではそのような甘い見方は決して許されない。あるいは少なくとも、野田秀樹が『パンドラの鐘』において、天皇の戦争責任という純粋に政治力学上の問題を解決するのに、心情左翼よろしく情緒的な反応をするにとどまっている(しかもそれが野田固有のロマンチシズムと悪い具合に化合して説得力を持ってしまっている)のに比べれば、政治的な現実の微妙な力関係をずっとうまく表象している、ということも言えるだろう。

しかし、そのような先鋭的な政治意識に満ちた作品であるだけに、坂手が自分の想像力の出発点となったに違いない上記二つの作品を参考文献として挙げていないのはなおさら残念なのだ。政治的な目標をかかげた運動は、そこに至るまでの歴史的な経緯を無視しては何も効果を上げられない。粘り強く絶え間のない働きかけこそが、現実を変えていく力を持つ。そんなことを知らぬわけでもあるまいに、自分の作品が「今、ここ」というアクチュアルな現実と切り結んでいることを強調したいからなのか、坂手はそれが歴史的な連続性の延長にあることを明言しない。天皇制批判や戦後政治の右傾化批判は、なにも坂手や野田がはじめて取り挙げた主題ではなく、戦後劇作家たちが一貫して取り組んできた主題なのだ。たしかに80年代の小劇場運動で政治的な演劇の流れはいったん途絶えたが、70年代まではアングラも新劇も手を携えて行ってきたことなのだ。それをなにか「目新しい」ような装いをして観客に売り込んだとしても、それはこれまでと同様、ファッションとして消費されるにすぎない。たとえば坂手がパンフレットに『グレイ クリスマス』と『村岡伊平治伝』と書けば、『天皇と接吻』に感銘を受けた観客の中には手にとってこれらの作品を読もうと考えるものもいるかもしれない。そういうふうにしてはじめて、日本の現代演劇の「伝統」は形成されていくはずなのだ。鐘下が最近新劇作品を演出しているのは、そのような伝統の形成について彼なりに計算をしているからであろう。劇作家としての才能という点は鐘下より優れている坂手がそのことに早く気づいてくれることを祈るばかりである。

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見世物としての身体と共振する身体、あるいはブルックの神学的舞台

ピーター・ブルック演出『ザ・マン・フー』(世田谷パブリックシアター)

一九九九年十月七日〜一六日

舞台が再び明るくなって四人の俳優が挨拶をしても、拍手はそれほど大きくならなかった。観客は明らかにとまどっていた。今見たものは何だったのか、という呟きがあちこちから聞こえるようだった。今見たのは演劇だったのか。ブルックはいったい、私たちに何を見せたかったのか。
これまでピーター・ブルックは、演劇が成り立つためには観客の想像力が必要だ、と盛んに説いてきた。ある時は本火や本水を使い、またある時は布や棒を使って、なにもない空間を劇世界に見立てる遊びをしなさいと観客を促してきた。あなたが信じないと何も生まれない、後はあなたの想像力次第なのだ。ブルックのこうした、時として鼻につくインチキ宗教の「導師」的な振る舞いに対する素朴な疑問はひとまず措こう。とにかく、ブルック導師の今回の課題は普通の観客にとっては難しすぎたようだ。何しろ、誰も見たことのない脳の内部の働きを想像してみよう、というのだから。

演劇は原理的に「内部」を構築しえない。「内部」とは不可視のもの(そして不可聴のもの)の謂いであるのに対し、演劇は何よりも目に見え、耳に聞こえるものを扱う媒体だからである。もちろん、とりわけ近代以降、人間の心という目に見えないものを見せるために演劇はさまざまな工夫をしてきた。独白や傍白という古典的な手法に加えて、自然主義演劇はイデオロギー的には第四の壁の理論を提出することで、またヒステリー症例研究に始まる精神分析と連動することで「覗き込むことのできる内部」という幻想を作り出した。しかし、自然主義演劇においても、小説のように語り手や視点人物を通して登場人物の「内部」が全面的に開示されるということはなかったし、また何といっても俳優の身体が観客の目の前に文字通り立ち塞がり、登場人物の内面を透徹しようとする観客の視線を遮るという事態を防ぐことはできなかった。

とはいえ、それでも「内部」は存在するという仮定は西欧近代演劇においてはずっと信じられていたわけで、だからこそアルトーは舞台で演じられる表象としての「外部」はあたかも重要ではなく、その表象を思考する意思としての「内部」が重要であるかのように振舞う西欧演劇の倒錯を「神学的」だといって罵倒したのだし、文楽を賞賛するバルトは心理主義的な演劇をヒステリーだと苛立ちを隠さない。ところが1960年代、アルトーの圧倒的な影響のもと「残酷の演劇」シリーズで一躍名を挙げたはずのブルックは、すぐに方向転換し、アルトーが夢見ていたような、外部=表象しか存在しない演劇、登場人物の行動に一切の心理的説明が与えられないような演劇を放棄する。ブルックは、現代の観客といえども、不可視の内部についての興味や関心を完全に失ったわけではない、ということを鋭く見抜いたのだ。かくして神学的演劇は復活する。もちろん、近代劇のように精緻を極めた心理、言語によって構築された「内面」を観客に提示することはもはやできない。そこで、70年代以降「普遍言語」の探求という名のもとブルックが目論んだことは、いかに観客に不可視の「内部」の存在を示唆するか、ということだった。内部はあるのだけれども、演劇では見せられないから、後は皆さんの想像力にお任せする、というわけである。

ところで、原作となったオリバー・サックスの一連の著作も、同様の神学的構造を持っている。人間の身体をブラックボックスとしてとらえ、外部に表れた異変の原因をその不可視の内部構造に帰する西洋近代医学がそもそも神学的だといえるのだが、サックスはそれに加えて、時系列に沿った一意的なナラティブを覆いかぶせることによってこの神学的構造を反復し強化する。つまり、こういうことだ。脳神経外科医であるサックスにとって、患者たちの奇妙な言動はあくまでも外にあらわれた「兆候」であり、それをもとに神経や脳の部位のほんの僅かな障害を原因として特定するためのきっかけにすぎない。そこでサックスは原因を究明しようとする。治療法を確立させようとする。その過程がサックスによって語られるときに、神によって外部世界の表象としてもたらされた謎の真意を、預言者が解き明かす、という神学的構造がはっきりと立ち現れるのだ。

しかしブルックは、同じサックス原作の映画『レナードの朝』でも繰り返されたような、こうした物語性をあえて排除する。劇中では、原因を究明する過程も、患者の過去も、ほとんど明らかにされない。ただ、現在の病状だけが示される。結果として、観客が登場人物の「内部」を推定する手がかりは極端に少なくなる。通常の劇作品であれば、観客は登場人物の心理を似たような状況に置かれたときの自分たちの経験から窺い知ることはできるが、この作品では、奇妙な脳の生理、メカニズムが作用している、ということは知らされていても、それが具体的にどのようなものであるか提示されることはない。

登場する患者たちの「内部」を観客の想像力の中に表象することができない限り、つまり患者の「外部」だけが提示される限り、『ザ・マン・フー』は奇形の見世物であり、トッド・ブラウニングの映画『フリークス』と変わらない。『フリークス』にはさまざまな身体障害者が出てくるが、私たちは彼らの身体の背後にある(ということになっている)精神に感応することはない。そこに示されるのは、自己疎外された、つまり単なる物質と化した身体である。彼らの精神は身体とは別の次元に位置している。彼らは自分の身体を見られることに慣れており、無慈悲な観客の凝視する視線に射すくめられることはないが、それは見られている身体を自分のものだと思わないようにすることではじめて可能になるのだ。そこにあるのは「見世物」としての身体である。

『ザ・マン・フー』では、同様に奇妙な身体が陳列される。その身体は、自分の思う通りにならないという意味では文字通り自己疎外されているのだが、『フリークス』の登場人物たちとは違って、患者たちは何とかしてその自己疎外を解消しようとする。身体を通じての精神と世界とのつながりを回復させようと試みる。私たちが共感できるとすれば、そのような精神の働きに対してである。これは赤くて渦を巻いている長方形に緑の細長い棒がついているものではなく、バラなのです。あなたは自分のヒゲをすっかり剃ったつもりでしょうが、じつは左半分だけ剃り残しています。こうして、患者たちは自分の世界認識の誤りを医者に指摘されると、焦り、いらだち、怒る。その時患者たちが感じる悔しさやもどかしさは、きっと私たちもどこかで体験しているはずだ。こうした感情を共有できれば、患者たちが感じている、世界に疎外されている感覚と、それでも世界の営みに参加したいという欲望もやがて想像がつくようになる。私たちの身体は、患者たちの身体と共振するようになる。ちょうど、自分の意のままにならぬ身体にいらだちながらも、なおも世界を求めようとする赤ん坊の動きを見ているとそうなるように。

あなたの前にあるのは、見世物としての身体か、共振する身体か。観客の想像力に挑戦し続けるブルックはそのような問いを今回つきつけた。それはかつて若きブルックがつきつけたほどスキャンダラスなものではなかったが、同様に厳しく、観客を選ぶ問いであった。最近、マンネリに陥ったと時に揶揄されるブルックだが、『ザ・マン・フー』における試みは素直に評価したい。

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