古今亭菊之丞独演会@三鷹芸術文化センター 星のホール

「鰻の幇間」。仲入り後「井戸の茶碗」。素晴らしい。三、四年ほど前に高座で見たときは年に似合わぬ老成がイヤミに見え、その後音源で時折聞いてもその印象は変わらなかったが、「粋でいなせで」という型を器用に演じる才人の域を一歩も二歩も出て本物の貫禄が出てきた。

この人は顔と名前で損している。もう少し顔が不細工で、もっと老けて見えたら、そして菊之丞なんていう役者みたいな名前でなければ、もっとその実力は評価されているはずだ。たっぷり泣かせる人情噺を持ってくるのではなく、一八の口調だけで小気味よく飛ばす「鰻の幇間」のあとに「井戸の茶碗」。人情噺にせずに表面上は笑わせておいて、しかし登場人物たちの気持ちのいい性格がしっかり伝わってくる心憎い演出。終演後目元がじんわりくる。この人に四代目志ん朝を襲ってもらいたいと思った。


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歌舞伎俳優による日本経済新聞『私の履歴書』一覧

1958年   市川猿之助   『私の履歴書〈第8集〉』(日本経済新聞社、一九五九年):日経テレコン21では検索できない。

1959年   市川寿海    『私の履歴書〈第15集〉』(日本経済新聞社、一九六二年):日経テレコン21では検索できない。

1973年   中村鴈治郎   『私の履歴書 (文化人 12) 』(日本経済新聞社、一九八四年):日経テレコン21では検索できない。
1975年   尾上松緑     『役者の子は役者』(日本経済新聞出版社、一九七六年)加筆?:日経テレコン21では検索できない。
1979年   尾上梅幸    『私の履歴書 (文化人 14) 』(日本経済新聞社、一九八四年):日経テレコン21では検索できない。
1981年   中村歌右衛門 『私の履歴書 (文化人 14) 』(日本経済新聞社、一九八四年):日経テレコン21では検索できない。
1989年   片岡仁左衛門:日経テレコン21で検索可能。PDFファイルおよびテキストファイルで出力可能。
1994年   中村雀右衛門:日経テレコン21で検索可能。PDFファイルおよびテキストファイルで出力可能。
1995年   永山武臣:日経テレコン21で検索可能。PDFファイルおよびテキストファイルで出力可能。
2001年   中村富十郎:日経テレコン21で検索可能だが、著作権保護のため本文は表示されず。
2005年   中村鴈治郎:日経テレコン21で検索可能だが、著作権保護のため本文は表示されず。

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2011年度第1回研究会:「仏作って、魂(ソウル)を探す。」:「日本の音楽」の代表としてのピチカート・ファイヴにおける作者、文化、日本の表象

成蹊大学アジア太平洋研究センター・共同研究プロジェクト:近代「日本」の表象形成と環太平洋の地政学(プロジェクトリーダー:遠藤不比人[成蹊大学]、研究分担者:日比野啓[成蹊大学]・斉藤一[筑波大学])では、以下の研究会を9月22日(木)成蹊大学3号館101教室にて開催いたします。

関心をお持ちのかたのご来聴を歓迎いたします。なお、ご希望のかたは、会場整理の都合上、前日までに日比野(hibinoあっとまーくfh.seikei.ac.jp)にメールでご一報くださるようにお願いいたします。

日時:2011年9月22日(木)16:00〜17:30
場所:成蹊大学3号館101教室

ピチカート・ファイヴにおける作者、文化、日本の表象を新旧のポピュラー音楽論に照らしつつ見ながら、音楽作品および・あるいは(国民の・民族の)文化とそれらの価値(論)について検討・考察する。具体的には、ピチカート・ファイヴのおもに80年代の活動に対する、米国ポピュラー音楽の伝統に真正性をもとめる立場からの批判と、彼らが90年代なかばに欧米で「日本の音楽」の代表と見なされるにいたる以降の過程を「(国民の・民族の)文化」の成立の過程として見なおすとともに、伝統主義と構築論のふたつの価値論のあいだのディベートに対するひとつの回答/解答をさぐる。

講師:源中由記(東京藝術大学)
1969年生まれ。専攻はアメリカ文学・ポピュラー音楽研究。論文に「ボブ・ディランの電化を語る政治・文化・歴史の言説」(『現代思想』総特集=ボブ・ディラン、2010年5月)、「ダンスフロアへ、ふたたび降臨—価値、アイデンティティ、ダンスミュージック」(『ユリイカ』マドンナ:ダンスフロアの反乱、2006年3月)など。

コメンテイター:佐藤良明(東京大学名誉教授)
1950年生まれ。専攻はアメリカ文学・ポピュラー音楽研究。著書に『ラバーソウルの弾みかた—ビートルズから《時》のサイエンスへ』(岩波書店、1989)『ビートルズとは何だったのか』(みすず書房、2006)など。

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同日開催
科学研究費・基盤研究(B):「モンロー・ドクトリンの行為遂行的効果と21世紀グローバリズムの未来」
2011年度第1回研究会
2011年9月22日(木)18:30~20:30 成蹊大学3号館101教室
ブラジルにおける「国民的大衆音楽」の形成と変容
講師:輪島裕介(大阪大学)/コメンテイター:大和田俊之(慶應義塾大学)

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平田オリザ『演技と演出』について

北村想の平田オリザの演劇論批判はこれまでされてきた批判と同様、力の入れどころが間違っている。とくに『演技と演出』は演劇論というよりワークショップの教科書で、よく言えばおおまかな、悪くいえば相当杜撰な、見取り図を示しているにすぎず、肩肘張って批判するべきものではない。平田のワークショップでの振る舞いはあそこに書かれているよりもっと柔軟であると容易に想像できるし、あれはあくまでも出発点であって、平田の方法論の総集成という性格のものではない。

とはいえ、多くの人が反発を感じ、真面目に批判をするのは、平田の「啓蒙的な」すなわち、「上から教え諭す」ようで「妙に平明な」文体のせいなのだろう。平田は典型的な「走りながら考える」演劇人であるにもかかわらず、走りながら考えたときの切迫感を自分の文体から見事に消去する。その結果、平田は(平田自身が尊敬を表明する)太田省吾のような「走ってからじっくり考える」人にすら見える。「じっくり考え」たにしては「中身が薄い」「正確ではない」というのが数々の平田に対する批判の焦点なのだが、本当は「走りながら考え」た、すなわち書き飛ばしただけなのだから、そこまで真面目にとる必要はないのだ。

もちろん、平田の杜撰な把握が、あの啓蒙的な文体と相まって提示されると大きな影響力を行使する、という懸念はよくわかる。だからといって牛刀をもって鶏を割くようなことをしても仕方がない。平田の言説を相対化することは大切だが、感情的反発が底に透けてみえるようなものではいけない。北村のものは一見そうはなっていないが、経験論と先験論の話からはじめるところを見ると「力こぶ入っているな」と思ってしまう。そんなご大層なものではないのに、かえって相手を権威化してしまっている。相手を必要以上に大きく捉えてしまうことになる。

私の知っている北村想は、権威にたいして「こっちは関係ないもん」と言える、軽く洒脱な人だった。もちろん、あの批判も軽みや洒脱がないわけではないが、すごく「マジ」になっていることが伺われて、北村も老いたのかな、と少し悲しくなった。

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宮城聡演出『野田版 真夏の夜の夢』@静岡芸術劇場、2011年6月4日

見終わって滂沱の涙。宮城聡のおかげで野田秀樹の戯曲で泣く、という経験がどんなものであるかを二十年ぶりに思い出した。俳優が舞台を走り回り、美文調の台詞を朗々と聞かせる。ただでさえ複雑な筋立てが超特急で展開するので、観客は頭がついていけずただ圧倒され、それでもわけのわからないながらに野田の祈りにも似た切実な思いが舞台上のさんざめく熱気を通し伝わってきて、いつの間にか涙に暮れている。

インプットされる情報の多さに知性はオーバーヒートしてうまく働かなくなってしまっているのに、感情だけは舞台で起きていることに敏感に反応して涙を流している。そんな自分への驚きも含め、一九八〇年代小劇場演劇を同時代人として立ち会った人間において、夢の遊眠社の公演の幕切れで涙することはまさしく特権的瞬間であるだけでなく、その後も長く記憶の核として残るような濃厚な体験だった。残念ながらロンドン留学から帰ってきて以降の野田の戯曲の質は、いくつかの例外をのぞけば極端に落ち、また夢の遊眠社全盛期ですらも感じられた演出家としての資質のなさが露呈している現在、野田地図の舞台は往年の見る影もない。

しかし宮城はかつての野田秀樹がどれほど素晴らしい作品を書いていたかをまざまざと思いおこさせた。しかも演出家としては野田を遙かに上回る手腕で。かつてのように一つの手法に拘るのではなく、次々と新たな手法を繰り出すことで、濃密な意味に満ちた舞台空間を維持できるようになった宮城は、さらに腕を上げたといえるだろう。

すでに『ペール・ギュント』において、空間を文字通り縦横無尽に使いこなすその巧みさは目立っていたが、今回は、俳優たちが天井からつり下がる梯子やロープを上り下りし、舞台奥に演技もする打楽器オーケストラを配置し、擬似バロック様式の舞台装置と相待って18世紀フランス宮廷演劇もかくやと思わせる猥雑さを醸し出す。オーケストラを指揮する棚川寛子の劇伴も、新聞紙をいっせいに破る音を取り入れたりごった煮の面白さをいや増す。

『二人の女』で露呈した俳優の練度の低さがSPACの問題点だったが、今回はメフィストフェレスの渡辺敬彦、オーベロンの貴島豪、パックの牧山祐大、福助の小長谷勝彦をはじめとして、格段にレベルが上がっている。とくに渡辺敬彦はたぶん素では人の良い小心な人なのだろうが、それを舞台で見せずに、もっと傲慢になりきれれば、かつての紅テントの名を高らしめた名優たちと同様、最高に「魅せる」役者になれるだろう。

戯曲がシェイクスピアの原作の筋立てをほぼ忠実になぞる前半は、俳優は会話をしていてもお互いに向き合うことなく、客席正面を向いて言葉の意味がはっきり通じるのに十分なほどゆっくり語らせるなど、夢の遊眠社時代の野田演出の片鱗も見せない。その一方で、メフィストフェレスがパックの役を奪い、物語がいかにも野田作品らしく錯綜していく後半になると、俳優たちは夢の遊眠社時代の野田秀樹や上杉祥三や段田安則のように歌い上げる。往年のファンには嬉しいサービスで、かつ、宮城が本当に野田秀樹を尊敬しており、尊敬しているからこそただモノマネをするのではなく自分なりの作りかたをするのだ、というメッセージがよく伝わってくる舞台だった。

宮城が『野田秀樹の真夏の夜の夢』という比較的マイナーな作品を演出すると聞いた当初はその意図がわからず困惑し、なぜもっと傑作の誉れ高いもの(たとえば『野獣降臨』)をやらないのかとも思っていたのだが、要するにこの作品の面白さを宮城ほどに私はわかっていなかったのだ。夢の遊眠社解散直前、「軽さ」と「幼児性」が野田秀樹の戯曲の基調音だと世間でまだまだ思われていた1992年に、憎悪が生み出す幻想という最近の野田戯曲に共通する主題にもつながるような(しかし繰り返すが、かつてに比べてはるかに質は低い)主題の作品を『夏の夜の夢』の筋立てに託して書いていた重要性は大きい。しかしそれは今になってわかることで、当時は人気の高まりに乗じて野田が商業演劇のためにでっち上げた作品という認識が大勢を占めていたと記憶する。このように、どこが面白いのかわからない作品を見つけてきて面白く演出する手腕も一流の証拠といえるだろう。

最後に、私の座席の、通路を隔てた隣の中年女性は劇中殆ど寝ており、終わると笑顔で拍手していた。その後係員が誘導していたから、公演終了後の「ふじのくに ⇄ せかい演劇祭2011」開催式に参加するために招待された静岡県の議員か、高位の行政官かなにかなのだろう。この国の政治家や官僚の芸術的教養のなさは今に始まったことではないが、目の前でこんなに素晴らしいものが繰り広げられていても、気づかなかったこの女性を軽蔑するというより、憐れみを感じた。豚に真珠とはこのことだと思った。

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And Tell Sad Stories of the Deaths of Queen

大学院の授業でウィリアムズの And Tell Sad Stories of the Deaths of Queens(元ネタは『リチャード二世』のなかの台詞、”And Tell Sad Stories of the Deaths of Kings”)読む。死後発表された一幕物で、ウィリアムズ作品としては唯一、ドラーグ・クイーンが出てくる。キャンプ感覚満載で面白い。主人公キャンディがかつて「パパ」と出会ったのがジョージア州アトランタだとか(もちろん『風と共に去りぬ』の舞台)『アニーよ銃を取れ』のナンバー Doin’ What Comes Naturally(ベティ・ハットンではなく降板したジュディ・ガーランドが思い出される)を答えにするとか。サブカルチャーへの目配り、自作のセルフパロディだととれる人物設定、爆笑ものの結末など、「ウィリアムズ」が「70年代に」完成させたということすら疑わしいが、57年頃手をつけたというからリディキュラス・シアトリカル・カンパニーよりもちろんクシュナーよりもずっと早いキャンプ演劇の傑作。

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五月大歌舞伎『籠釣瓶花街酔醒』新橋演舞場, 2011年5月23日

(twitterへの投稿を書き換え追加しました)23日。当代の八ツ橋は福助ではなく玉三郎であり、栄之丞も梅玉ではなく仁左衛門だ、とは衆目の一致するところだろう。そして佐野次郎左衛門といえば幸四郎や吉右衛門の名を挙げる人が多いいのではないか。だが私にとって佐野は勘三郎だ。愛想づかしされる以前から佐野の体内にふつふつと湧いていた狂気をもっともうまく表現できるのは勘三郎だ。佐野が体現する、多くを求めすぎた男の悲劇、自分のガラでもないことをやりたがる男の悲劇は勘三郎自身の人生と重なる。矩を踰えない、踰えたことのない吉右衛門には決して出せない悲哀と滑稽さが勘三郎の佐野にはある(幸四郎にもちょっとあるのは、幸四郎もまた多くを求めすぎた男だからだ)。

だから今回の座組にはさほど興味が沸かなかったのだが、通しには何かしら意味があるだろうと思って見に行った。だがあに図らんや、歌舞伎座閉場以降多くなってきた通し上演の意義に疑問を感じて帰ることになった。

通しを盛んに行うのは松竹なりの計算なんだろう。どうせ新歌舞伎座落成までしばらく客がこないのなら、金がかかるミドリはやめる。通しをして俳優を鍛える。一石二鳥だと思っているだろうが、昔通し上演の重要性が盛んに唱えられたときに言われた「人物の一貫性」は結局見えてこない。そもそも前近代性を背負う歌舞伎の登場人物に一貫した性格を求めても無駄だ。通し上演の必要性を唱えていた評論家たちはスタニスラフスキーの「超目標」を意識していたはずだが、ヨーロッパですら人格の統一性は近代のフィクションだという認識がある現在、歌舞伎にそれを求めるのはないものねだりだ。

イプセンやチェホフの戯曲においてきわめて効果的な、登場人物の「一貫した性格」を示し、スタニスラフスキー言うところの「超目標」(それは大抵その一貫性が破綻する、という「悲劇」になる)に向かって突き進む、という演技を、現在の日本の俳優、とりわけ歌舞伎俳優は身につけていない。それは評論家たちが指摘するように、ミドリばかりやってきた弊害からかもしれない。だが今、通しをしても説得力がないことに変わりないし、今後続けていってもできるようになるとも思えない。

たしかに、たとえばなぜ佐野が、百姓であっても手練れの剣術使いのように百人も斬れたのか、という疑問も今回の通しで氷解する。物語の辻褄を示すという意味では通しにも意義があるだろう。だがそれはパンフレットに一言示しておけばすむことでもある。

その一方で、見ていてもっとも「劇的」であろう、佐野が心の深いところで徐々に狂っていく過程を今回の吉右衛門は示せていない。それはたんに自らのあばた面へのコンプレックスだけではない。つましく暮らし行商して小金を貯める生活から、吉原で大尽といわれ散財する派手な生活に一変したことへの恐怖、愛想笑いをしながら、つねに自分が相手に騙されているのではないかと疑っていなければならない色街での振る舞いへの違和感、要するに、「自分のガラではないなあ」と思いながら意地や見栄から突き進まざるを得ない男がだんだん世界との距離感を掴めなくなり、不安に思いながらもなおも「正常」であろうとするときにふつふつと沸いてくる狂気が見えてこないのだ。吉右衛門の佐野はミドリのときと同様、ただ八ツ橋に愛想づかしされて豹変するだけだ。

おそらく、たとえ勘三郎が「籠釣瓶」通しでやっても、超目標に向かって計算尽くの演技をするのではなく、ただニンどおりに「直感的に」演じるだけだろう。そうであってもニンがあるから徐々に狂っていくように見える。とはいえ、ミドリでやってもそれまでに蓄積された狂気は観客に見えるから、同じことだ。であれば通しでやることに何の意義があるのだろうか。「物語の必然性」の名の下に退屈な場面が増えるだけなら、観客は離れていくだけではないか。

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別役実×平田オリザ対談「焼け跡と不条理-復興とは何か?-」、 2011年5月5日

高野しのぶさんが大筋のところを的確にまとめてくれているが、別役はまた「ポスト近代においては問題に対して部分対応しかできない」という趣旨の発言もしていて興味深かった。「日照りの時は…おろおろ歩き」あるいは「こういうときは国の政治家は無能のほうがいい」という話とつながっていくわけだが、『象』という題名が「群盲、象に触る」から来ていることを考えると興味深い。別役はその出発点から「全体性を有する問題系」(=象)に各人が部分対応していく(=盲が触る)ことは一般には愚かなことだとされているが、むしろ正解なのだ、ということを書いてきたわけだから。しかも「部分対応」とは「盲滅法に触る」ことも意味する。つまり部分に切り分けられたうえで個々について明確な対応策をとるのではなく、各々が右往左往(「おろおろ歩き」)しながら部分的に問題に取り組んでいるうちに、問題系全体がゆっくりと解決に向かうというイメージ。アーサー・ケストラー「ホロン」にもつながる、傷ついた有機体/生態系の回復のイメージが重ね合わされ、それが結局「近代」を超克する方法をも示唆することになる。

私の率直な感想は、ちょっと古いんじゃないか、というもの。ケストラーが後年批判されたような、不可知論や神秘思想へ安易に傾く60-70年代の反近代の思想の限界を別役は感じることができていない。その一方で、震災後に実際に起きていることは別役の指摘するとおり、市町村長や県知事レベルが「部分対応」してくれているおかげで中央が無能でもなんとか回っている、ということでもあるわけで、反近代の思想もそれなりの含蓄があるとも思う。

これは私の妄想が半分入っているが、筋金入りの近代主義者である平田は、別役の反近代思想を鼻白む思いで聞いていたはずだ。「無常感」が東洋の思想だ、というのも古臭い決めつけかただし。そのせいで二人の会話はかみ合っていないところが多々あったのではないか。近代を徹底することでしか近代を乗り越えることはできない、脱近代を唱えることはかえって近代を存続させることになる、ということは90年代に浅田彰らが看破していたことなわけで、御年とって74歳の別役に思想的先鋭さを求めるのは無理なのか、という気もする。

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ままごと「わが星」@三鷹市芸術文化センター 星のホール、2011年4月21日

見ているときは割と夢中になっていたが自転車で帰宅しながら醒めていった。形式的な実験としては一つの達成だと思う。演劇の観客でスチャダラパーを聞き込んでいる人はあまりいないはずだし。SDPによる日本語ラップの革命を演劇に持ち込んだのはコロンブスの卵の発想だった。

「歌うな語れ、踊るな動け」という小山内薫の言葉は新劇にとってばかりかアングラにとっても呪縛となった。アンチ新劇を唱えたアングラは歌い踊り、結果として、一つの様式に過ぎなくなったからだ。

平田オリザの現代口語演劇はなによりもリズムの実験であり、アングラのはまった袋小路から抜け出すために語りも歌いもせずにリズムを刻むというものだった。そして初期青年団の俳優たちは転位21の山崎哲のところで平田の思想を具現化する術を学んだ。転位21の俳優たちの台詞術はもちろんアングラの引力圏から抜け出ていなかったが、だが独特の息継ぎの仕方など、たしかに次世代の青年団による現代口語演劇を予感させるものはあった。そして、「わが星」は平田らの苦闘をいわば軽々と乗り越えた。日本語ラップという「飛び道具」を使って。

初演は見ていないから同じなのかはわからないが、わたし役の端田新菜の天才的なリズム感の良さが今回の上演の成功の決め手だろう。残念ながら、他の俳優たちは彼女ほどリズム感がよくない。とくに男性陣の殆どが「頑張って」いるところが見えて興ざめ。リズムは努力して追うと、微妙に遅れる。自分で刻むしかない。あと、小節の頭で合わそうとしてはだめ。というような、ある程度音楽をやったことのある人間なら常識的なことが俳優にはなかなかわからない。稽古では相当だめ出しをしたはずだし、頭ではわかっているのだろうが、リズム感だけは生まれもっての才能だからしかたない。しかし端田新菜は本当に素晴らしい。リズムが体に「生きて入って」いる。

戯曲としては佳作だとは思う。「わが町」には相当似ていない。「わが星」なんて題名つけなければよかったのに。戯曲を読んだだけではこの作品の魅力は半分以下だから仕方ないが、鴻上尚史の岸田戯曲賞の選評は的外れもいいところだ。反復とそのずらしをはじめとする音楽的な構造をこそ評価しなければ。

音楽=純粋な形式だからこそ、麻薬にも似て、その場では陶酔できるが、しばらくすると忘れてしまう。ずしんとくる内容はあまりない。それはもちろん「わが星」の欠陥ではない。そんなこと言ったら歌舞伎は全部ダメになるからね。ただ、「わが町」もまた形式上の実験として特筆すべきなのだが、内容が素晴らしいと思う人もいて、「わが町」と同じほど内容があるかというと、それには遙か遠く及ばない。

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松尾スズキ演出「欲望という名の電車」@パルコ劇場、2011年4月12日

ヴァン・ホーヴェとかカストルフの演出を見てきた目には松尾スズキの演出はずいぶんおとなしめに映る。作品の改変をあえて禁じ手にする必要はなかったのではないかと思うが、その範囲ではなかなかの出来だった。とりわけブランチの狂気の演出はよい。笑いを狙ってやり過ぎの仕草も多少気になるが、後半の秋山菜津子の演技は追い詰められた者の狂気に迫真性があり、さすがに松尾スズキ、自家薬籠中の演出と膝を打つ。「ブランチは私だ」とウィリアムズは言ったが、松尾にしてみれば「ウィリアムズは私だ」なのだろう。

冒頭で登場するブランチが、白一色ではなく黒い模様入りのブラウスを着ているのはト書きの「白い蛾」をむしろ忠実に表すということだろう。場面転換の暗転中、装置に投影される幻灯が蝟集する蛾の姿を映し出してそのことを強調する。幕切れのブランチのワンピースはト書きのデラ・ロビア・ブルーというよりターコイズブルー。照明との打ち合わせ不足か、予算がなかったのか。また、スタンリーが放り出して壊すラジオが平凡な家具調の茶なのはいただけない。ト書きに白のラジオとあるのはもちろんブランチの象徴だからなのだ。

かくのごとく、サブテキストの読み込みはいったいに甘いが、松尾スズキにそれを求めても仕方がない。とはいえ一方ではテキストに忠実にやろうという気もうかがえ、その踏ん切りのつかなさが不満といえば不満。

小田島恒志の翻訳には疑問が残る。パンフレットのなかで改訳のポイントを自分で説明しているのだが、まずブランチが Stand up と言うのは教師の口癖というのは単純に間違いだろう。アメリカの高校には「起立、礼、着席」はないのだから。それにアメリカ人はベルリーブを気取ってフランス語読みでベルレーブと言うことはないし、そもそもフランス語読みならば鼻に抜けてベル・ンレーブとなる。偉大な父親へのチャチな反抗といったら言い過ぎか?

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