劇評はTwitterで


こちらで書くことにしました。とりあえず行った芝居全てについて140字の劇評を書くことが今後の目標です。

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演劇とは間接民主主義の共同体の共通感覚である

二つ前の投稿で紹介した藤井康生さんの、「演劇とは間接民主主義の共同体の共通感覚をもとにしているが、現在では間接民主主義が機能不全に陥っており、演劇研究は共同体の感覚が喪われた時代にあって、文献学的な研究になっていく」という認識は大変鋭い。

「一つ手間を掛ける」「一つクッションをおく」という生活の知恵が忘却され、即席かつ直接に結果を求める世の中になっている、と言えばなんだか内田樹めくが、間接民主主義も演劇もそういうもので、だから昨今人気がないのだ、と言われると腑に落ちることがたくさんある。

もちろん、藤井さんは昨今の研究動向への批判をちくりとしているわけで、そのことを忘れてはならないが、現代日本演劇を考えるときでも、60年代の演劇が持っていた熱気がなぜここまで急速に冷却したのか、という問いにたいして、80年代というのがじつは間接民主主義にたいして最後の夢を抱いた時代であり、80年代小劇場演劇がほとんどスカであった、という印象を現在私たちが抱くのは、間接民主主義にたいする幻想がそのとき徹底的に打ち崩されたからだ、というように答えられるのではないかな。

演劇というのは、表象=代理システムでありながら無媒介の「存在」が舞台に出現することを期待するという点で、最初から直接民主主義の夢を見せながら間接民主主義をやってきたわけだ。90年代の静かな演劇が持つシニシズムというのは、80年代小劇場演劇の空疎な熱狂にたいする批評的ポジショニングであるとともに、自分たちは間接民主主義を幻想とわかりながら支持していくしかない、という決意表明でもあった。

その代表的旗手であった平田オリザが、民主党鳩山政権のブレーンになってTwitterの使用を進める、というのはいわば必然であって、というのも民主党政権こそ「インチキ芝居」をやっていますよ、ということを自分たちも国民もわかりながらそれしか選択肢がないので支持する(自民党政権というのは直接民主主義の夢を見せながら間接民主主義をやるという旧態依然のことしかできないわけだから)ことで成り立っているからだ。Twitter的な直接民主主義の回路が開かれていることは示しつつ、しかしその実間接民主主義をやらざるを得ない、というのは平田オリザの演劇外活動とその演劇作品と見事に対応している。


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梅村豊さんのこと

一時休刊する前の『演劇界』に掲載された歌舞伎の舞台写真を撮影されていた梅村豊氏(1923-2007)がお亡くなりになり、夫人のご厚意によって東京文化財研究所に貴重な写真やネガが寄贈されたというのは知っていた。

しかし梅村さんが詩人であったことは迂闊にも今日まで知らなかった。

私が梅村さんにお目にかかったのは三、四度、『演劇界』編集部でもあった演劇出版社にお邪魔したときである。1999年から2000年にかけて、私は自分も翻訳に参加した Kabuki Plays on Stage シリーズの編者であるブランドンさんとライターさんの意向を受けて、写真をお借りして掲載すべく演劇出版社に訪問ししていた。歌舞伎については素人同然の私を、社長の林幸男さんと、梅村さんは温かく遇してくださり、訪れる度に、最新号の『演劇界』と、当時刊行されていた出版物を二、三点、お土産として帰りにもたせてくださった。いま考えると大変な歓待ぶりで、もちろん一介の演劇研究者にすぎない私に見返りなどを期待してのことではなく、ただ若者にたいする親切心からそうしてくださったのだろうと思う。

梅村さんは黙して何も語らないことが多かったが、その立ち居振る舞いや全体の雰囲気から洒脱さが伝わってきた。よい年のとりかたをしてきた人特有の軽み、とでもいうべきだろうか。飄々として、恬淡で、何もこだわることはないし何も怖いものはない、といった体に、当時から私は強く引きつけられていた。とくにそのことについてご本人にお話をしたわけではないから、私がそのような感想を持っていた、ということは伝わっていなかっただろうし、何よりもお二人にとって、私は数ある訪問者の一人に過ぎず、無名の演劇研究者のことなどすぐに忘れてしまっただろう。

マイク・モラスキー『戦後日本のジャズ文化』を読んでいたら、白石かずこの『黒い羊の物語』が引用されていて、その中で、写真家梅村豊が北園克衛が主宰していたVOUの同人の詩人である、という言及があった(二六七頁)。これはあの梅村さんのことだろう。

それを知ってなんだか腑に落ちた。歌舞伎という伝統にどっぷり浸かっている人には梅村さんは見えなかったのだが、では梅村さんをそう見せていたものは何なのかがわからなかったからだ。そうか、昭和戦前モダニズムの重要な潮流であるVOUに属していた人なのだ。是非、その詩を読んでみたいと思った。

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藤井康生「演劇に学会は可能か ̶ 演劇とコミュニティの問題にふれて ̶」(2009年度演劇学会全国大会特別講演)

あいかわらず藤井さんのお話は面白い。いくつかメモ。

60年代革命前後で演劇共同体が崩壊する

演劇の共通感覚(sens commun)演劇を中心にした一つの文明の終わり

フランス60年代演劇革命以前には、歌舞伎の拍子木と同様、幕を上げる合図があった

細かく打っていって、最後の三拍をゆっくり打つ、最後は強拍

今ではコメディフランセーズもオープンシアターなので無理

ベケット『ゴドーを待ちながら』のト書き

「幕を上げる」が三回書かれ、最後がゴシック体になっている

幕上げの合図に対応しているのではないか、という論文を書いたが、相手にされなかった

60年代から70年代にかけて12月7日のミラノ・スカラ座の初日には、盛装してきた観客に卵をぶつけるのが年中行事になっていた

オペラの盛んな国はファシズムを生む

歌舞伎・宝塚(ハーケンクロイツを舞台にかけた戦争演劇の最たるもの)

「良識」派:言葉を基礎にした演劇共同体

感覚的な、目と耳を楽しませる演劇共同体

パリはオペラ座・ガルニエとコメディフランセーズが向かい合わせに立っており、その二つの劇場を中心に町が広がっている:文化の象徴的なありかたを示す

演劇:介在者(interpreter)、代理人を必要とする芸術:音楽も同様に演奏家を必要とする

ウィーン:ブルクテアターは60年代ぐらいまでは拍手を禁止していた

役者はただの介在者に過ぎない:(たいていは死んでしまった)作者に敬意を表するのはよいが、たかだが介在者に拍手してはならない

バイロイト:パルシファルもかつては儀式であるがゆえに拍手が禁止されていた

演劇とは間接民主主義の表現形態である

現代は間接民主主義が機能不全に陥っている

間接民主主義は共同体が必要

直接民主主義には共同体は必要ではない

演劇とは間接民主主義の共同体の共通感覚をもとにしている

演劇研究:共同体の感覚が喪われた時代にあって、文献学的な研究になっていく

実体としての演劇とどう接点を持っていくか

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『東京日日新聞』第一六四五三号(一九二二年七月十七日朝刊第十一面)

冩眞説明

(上)はページエントの第一「黒本尊と家康公」(下)は憲政擁護民衆大會から檢束されて行く壯漢……何れもきのふ芝公園で

物凄い演説會の

おとなりで

藪入り連中の

お樂しみ

きのふ芝公園の野外劇

市社會局の主催で

◇…パナマ帽の坪内博士と麥稈帽の後藤市長とがニコ〳〵とおじぎを交す姿が遠くから見えると間もなく會は開かれて近衞軍楽隊の楽の音が響く同じ芝公園でもお隣では猛者たちが憲政擁護を絶叫してゐるのにこゝは緑に包まれた涼しい庭を舞臺にして十六日午後三時から東京市社會局で商工子弟の慰安會を催したのである

◇…中僧小僧さん達は嬉しさうに定刻もう筵の上にぎつしり詰りお相伴の一般觀衆も一杯で場に溢れた市長さんの簡單な挨拶に次いで前田助役『ある婦人が親の遺言を重んじて三十年間苦心し貯めたお金を貸主に返さうとしたら貸主もその金をとらなかつた、その尊いお金が今日の慰安會の資金となつたのだ』と寄附者のうつくしい心掛と奉公はすなはち社會奉仕の心である旨の巧みなお話がある

◇…從つて呼び物のページエント劇第一『黒本尊と家康公』二場が演ぜられた役者は早大文化事業研究會の劇術會員と増上寺の本物の坊さんで着付も本物で大喝采、幕合には奏楽やら蓄音機やら手品もあり最後に大日如來がおさんどんのお竹になつてほんたうの社會奉仕をした傳説を作した『御竹大日如來』一場があり美しいほんものゝ稚兒迄出て大賑ひで中小僧さんは元より野外劇監督の坪内博士もニコ〳〵であつた

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『時事新報』第一四〇一一号(一九二二年七月十七日夕刊第十一面)

『時事新報』第一四〇一一号(一九二二年七月十七日夕刊第十一面)

写真:「家康と黒本尊」昨日芝増上寺の野外劇

緑蔭で聖劇

美しき千圓が喜ばせた

市社會局主催の商工從業員慰勞

高橋きよ女が親の遺言を重んじ三十年間苦心して貯めた千圓のお金で義務を果たした美しい心の結晶が基となつて昨十六日午後三時から芝増上寺境内で、東京市社會局主催の商工從業員慰安會が催された、お店の小僧さんや若衆、お女中さんなど數千五百名の外に、一般見物人や來賓には市會議員なども打ち混じつて總數三千餘名、山内の青葉隱れに_^時蝉雨【しぐぜみれ】^_の音も涼しい緑蔭で、三時間ばかりページエントや太神樂、近衞單樂隊、さては高聲蓄音機などに興を寄せて樂い集ひに暮れる日を惜んだ、會は先づ正三時に社會局本間保護課長の辭に初まつて、一同陸軍々樂隊の伴奏で君が代を伴奏し、終つて後藤市長は「皆さんは平常刻苦して主人の爲めに精出して居られるが偉人は困難の中に育つ諸君の前途は輝かしい」と挨拶を述べて一同を喜ばせた、前田助役も講話をした、近衞單樂隊は絶えず合間々々に奏樂したが、其日の呼物は早大藝術會同人のページエント劇「黒本尊と家康公」二場と舞踊劇「お竹大日如來」一場とであつた。これが爲め坪内博士は朝から詰かけて出演の世話を見てゐたが役者には増上寺の眞の坊さんが混つたり舞踊劇には市吏員や増上寺關係者ら小女四十名ばかり集めて稚子に仕立てゝ舞はせたのなど美しく大喝采であつた、劇は何れも盆に因んで佛の有難い事を説いた劇ではあつたが、坪内博士の指導だけに面白く一同大滿足のやうに見えた、舞踊劇には近衞音樂隊の伴奏で増上寺の僧侶が和讃を唱へ舞臺では見られぬ大仕掛であつた、斯くて午後六時半後藤市長の發聲で萬歳を三唱して散會した

なお、『時事新報』第一四〇一〇号附録(一九二二年七月十六日第二面 日曜実報?第七十三号)には、特集「藪入りには見遁せぬ淺草研究」として、権田保之助「民衆を惹つける淺草の魅力 この不思議な力の正體はそこの全體の空氣である」および仲木貞一「淺草を中心に渦卷く觀客と藝人の解剖」という二つの寄稿記事を掲載している。

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『少國民文化』第二巻第七号(一九四二年十二月):特輯:少國民演劇の新展開

『少國民文化』第二巻第七号(一九四二年十二月):特輯:少國民演劇の新展開

新關良三「文化と演劇」

釘本久春「せりふと話言葉」

齋田喬「少國民演劇今日の進路」

宮津博「少國民劇團小史」

落合聰三郎「學校劇小史」

小池愼太郎「演出覺え書」

鈴木舜一「勤勞少國民と工場演劇」

日本移動演劇聯盟事務局「移動演劇と少國民演劇」

關忠夫「公園と兒童演劇」

宮崎靖「劇的な學習」

岡田鐳藏「學校劇は何う指導するか」

飯塚友一郞・伊藤熹朔 ・佐藤徳三郎・千賀彰・上村哲彌・關野嘉雄・齋田喬・田郷虎雄・宮津博・落合聰三郎「座談會 演劇人に訊く 少國民演劇の現在と將來」

座談会出席者の肩書は

飯塚友一郞・伊藤熹朔(日本大学教授)

佐藤徳三郎(松竹演劇部長)

千賀彰(情報部五部二課)

上村哲彌(社団法人日本少國民文化協會常務理事)

關野嘉雄(同企画課長)

齋田喬(同演劇部会幹事長)

田郷虎雄・宮津博・落合聰三郎(同幹事)

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「お笑い」という言葉の用例

落語家が「お笑いを一席……」というのはあれは客に対する敬語だからのぞくということであっても、すでに現代の「お笑い」という意味で、一九七〇年に石川淳が使っている。

 ヒメはくすりと笑って、

 「さち子。おいらんはおいらんでも、おまのは歌舞伎じゃなく落語のほうらしいね。手古鶴はんのおいらんのくちだよ。」

 「あ、落語。やっぱりお笑いと縁がきれなかったのね。よかった。本物の喜劇に傷がつかなったわ。おまけに、ほんものの傷で、一度は斬られてみたいという望もかなったし。わたくし最高にいいきもち。」

石川淳『狂風記(下)』(集英社文庫、一九八五年)一六〇ー一六一頁

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五郎劇国技館公演(一九四〇年三月十二日初日)

最近ヤフーオークションで入手した五郎劇絵葉書のなかに表に「五郎劇国技館へ」という題字が書かれているものがある。裏には「東西イ……/此たびは河岸をかへて/両國の天下御免の本場/所へ晴れの出演致します/來る十二日の初日から相/變らずご聲援をと土に手/をつき御願申候 東京兩國 國技館出演 曾我廼家五郎」とあり、「昭和十五年三月」とある。一九四〇年三月十二日初日ということは、それまでの国技館公演はことごとく頓挫していたことになる。ただし、相撲博物館には興行の記録は残っていないそうで、今後の調査は難航しそうだ。

送信者 曽我廼家絵葉書他
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春琴

サイモン・マクバーニーの日本文化への無理解が露呈した作品だった。

谷崎の書いていることなんかを本気にとってはいけない。谷崎はシャレに生き、シャレに死んだ人だった。「刺青」「春琴抄」『痴人の愛』なんてのは一から十までシャレで書いているのである。シャレで書いているから、底が浅い。シャレで書いているから、虚仮威しが虚仮威しにしか見えない。

こうした谷崎の「悪魔主義」の不徹底さについては芥川龍之介(「あの頃の自分の事」)をはじめ多くの人が指摘してきたところである。ただ、それを彼の欠陥であるかのように言い立てるのは正確ではない。谷崎は軽佻浮薄をよしとしており、ものを突き詰めて考えるのは野暮だと考えていたふしがある。その意味では、後年関西に移住しようが、日本橋蛎殻町で生まれ育った谷崎は終世江戸っ子であり、本所で育ち、なにごとも深く突き詰めて考えようとした芥川は本当の意味での江戸っ子ではなかったのだろう(そもそも自殺するなんてのは野暮の骨頂だ)。『細雪』のスカトロジズムも、なにも深読みする必要はない。あれは最後まで割と真面目に書いてきた谷崎が最後にああ疲れた、こんなのは自分の柄ではないな、と思ってペロっと舌を出しているだけだ。

もちろん、軽佻浮薄で不真面目が許されるのは谷崎に圧倒的な才能があるからだ。駅のホームで電車が入ってきた途端、毒蝮三太夫を突き飛ばし、「シャレだよシャレ」と立川談志がしらっと言う。「死んだらどうするつもりだ!」と毒蝮がくってかかると、談志は「シャレでしたって言ってやる」。一般人にはこんなことは許されない。落語が圧倒的に面白いから、談志のシャレはシャレで通る。谷崎がどんなに浅墓な小説を書こうと、面白いからその浅墓さは看過される。辰野隆の言をうけて人形浄瑠璃を「痴呆の芸術」と言ったとき、谷崎は人形浄瑠璃の通俗性と自分の小説の通俗性を重ね合わせてみていたのだ。くだらないけど面白い。内容がないけれど惹きつけられる。なにもそれは文楽だけではない。谷崎の小説だって同じことだ。

では谷崎の圧倒的な才能とはなにか。

「春琴抄」は典型的なのだが、この作品だけでなく、ほとんどの谷崎の小説は焦点が二重になっている。深度の浅いところにフォーカスがあたっているだけでなく、同時に深いところにもフォーカスがある。春琴と佐吉の関係はSMの主従関係である、と説明するとき、それは下世話な想像力を刺激するのに十分であるが、しかし同時に、春琴の盲目であるがゆえに歪められた生を、佐吉の封建制度にとらわれた愚かな愛を、想像することは可能である。

そして奥行きの深い登場人物を造形しておきながら、谷崎は意図的にこの奥行きを描写することを拒絶する。それはタブロイド紙や週刊誌の記事が、本来ならさまざまな事情があって複雑に絡み合っている人間関係を、ことさらスキャンダラスに、単純に面白おかしく書き立てるのとよく似ている。かけがいのない個人の生をないがしろにして、踏みにじる楽しさ。言葉には尽くしがたい悲惨な経験をした人間の転落ぶりを「あいつバカだよな」と片付ける楽しさ。それが谷崎文学の魅力である。

だがこの魅力は、作者と読者のあいだの罪悪感の共有がなければ半減してしまう。複雑な生を単純化し、さまざまなものを切り捨てることへの罪悪感。「あいつバカだよな」といったあとに、ちらっと胸に走る良心の呵責。私たちはそうやって他人を踏みにじりながら生きており、しかも度し難いことに、そのことを正当化すらしている。盲人であるゆえに春琴がさまざまなかたちで屈辱を味わい、誇りを奪われ、それでも自分は愛されるに足る人間であるという信念を失うことはできずに、その歪められた思いを佐吉にすべてはき出していること。恐れ崇拝することと愛することとの区別を知らず、主人と奉公人という関係にとらわれ、主人の命ずるままにひたすら奉仕することしかできない佐吉。谷崎が詳しくは書かないが、それでもフォーカスをあてているものを読者はちらりと眺め、それから目を伏せて見なかったことにし、表層のくだらない、通俗的な物語にうつつを抜かす。

『卍』『痴人の愛』などを映画化した増村保造にはわかっていたこうしたことを、サイモン・マクバーニーはまるでわかっていない。ヨーロッパの美学の言葉であれば、アイロニーと定義できるだろう谷崎の対象にたいする距離感をまるでつかめていない。本質的な理解が欠如しているにもかかわらず谷崎を持ち上げるその様子は、「陰影礼賛」を素晴らしいといい、これで論文を書くのだと喧伝して回っている日本文化専攻のアメリカ人大学院生と同じぐらいイタい。

まず語りに立石涼子を配したのが失敗だ。彼女の分別くさい、落ち着いた声は朗読向きかもしれないが、「春琴抄」における谷崎の語りの根底にある、ねっとりと対象をねぶるような視線を具現化するにはほど遠い。立石の、学級委員長がそのまま年をとりましたというような、生真面目さ、融通のきかなさ、そしてある種の知的愚鈍さが、谷崎の底の浅さ、単純さといかにもミスマッチである。ましてや、彼女の演じるミニドラマをや。不倫して、自分たちの愛を春琴と佐吉のそれになぞらえる。谷崎文学の浅墓さを、浅墓にとらえて平気でいるその鈍感さには唖然とするしかない。

深津絵里もだめ。春琴を舞台に登場させるのなら、それは谷崎があえて踏み込んで書かなかった春琴の奥行きを示すものでなければいけない。谷崎がわざと春琴を浅墓に描いていることを批評的に示すものでなければいけない。ところが深津の春琴は、ただの浅薄な女だった。谷崎が人形のように描いた春琴を人形のまま舞台に載せてしまっている。

演出も全体的に古くさい。気の利いた新劇劇団なら考えつきそうな舞台効果、中途半端な人形遣い、佐吉が目を突き刺したときに能鼓をポンと打つようなオリエンタリズム。

なんだかなあ、という舞台だった。

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