本物と偽物の間を揺れ動く:平田オリザのアンドロイド演劇

2012年1月西洋比較演劇研究会例会で英語で発表した際の英文要旨を日本語に訳し、さらに若干手を加えました。

元の英文要旨は西洋比較演劇研究会ブログにあります。また、この日本語要旨の原型は電子ジャーナル『西洋比較演劇研究』11:2の「活動記録」に掲載しました。

一人の女優と女性の「アンドロイド」が出演する15分の短編、平田オリザの「さようなら」を見て否定的な感想を抱いた観客に共通するのは「裏切られた」という思いだろう。だが彼らは自らの期待に裏切られたのだ。正統な芸術作品を期待していったら、テクノロジーを使ったハッタリで、胡散臭い感傷的なドラマを糊塗するだけのものを見せられたのだから。彼らの困惑は、この「アンドロイド」なる代物が、自力で動くことはもとより、プログラムをもとにして反応するわけでもない、ということを知ってさらにいや増す。たしかに発声のタイミングは正確だが、これは予め計算されていたからではなく、人間の女優が舞台裏で「口パク」しているだけのことである。この女優によって遠隔操作される「アンドロイド」とは、見世物小屋で見かける機械仕掛けの人形とさして変わらない。

この作品がサーカスの安手の余興に近いという印象は舞台装置によって強められる。薄暗い照明はたしかにこの世ならぬ雰囲気を醸し出すのに一役買っているが、同時にそのせいで女優やアンドロイドの顔の表情をはじめとして舞台上のすべてのものはぼんやりとはっきりしない。死の床にいる病人を演じる女優は動き回ることをしないが、それはアンドロイドを動さないためのうまい口実になっている。身振りをするために動けば、アンドロイドがそれほど人間に似ていないことがわかってしまうからだ。アメリカ人の女優が話すたどたどしい日本語は、アンドロイドの合成された音声とよい対照をなしているが、それはいわば双方の不自然さが中和するということでもある。こうした「カモフラージュ」効果に気づいてしまうと、観客は自分が騙されていると思わずにはいられない。とりわけ、科学の万能性という現代の神話によって、「通常の」演劇では表象不可能な、真性で権威のあるものを探し求めることを動機づけられているゆえに。

だがこの「偽物臭さ」を観客に伝えるのは平田の戦略の一部だ。そもそも、アンディ・ウォーホールの『キャンベルのスープ缶』同様、「さようなら」は平凡なものの下劣な模倣であると同時に、その「フレーミング」効果によってその平凡なものを特別でかけがえのないものに見せてしまうリアリズム芸術に対する批判である。といっても、ウォーホールが「フェイクの」表象から批評的距離をとることを見る者にうながすのに対し、平田は観客が「フェイクの」表象に感情移入することを望んでいるように見える。批評的距離がないゆえに、安っぽいシュミラークラに何ら意味を見いだせずに平田の作品を否定的に裁断する観客が出てくるのだ。だが平田の意図は別にある。自らが正統性を与えることができないものにたいして観客が感情移入することを促すことで、平田は疎外感と虚無感を観客と共有しようとする。見てくれだけのレプリカに囲まれて、平田も観客も「本物」を手に入れることができないのだ。

平田と観客が手に入れられない「本物」のうちで、もっとも真正なものは死である。「さようなら」にはロマン主義が大好きな死の欲望のモティーフが組み入れられているものの、「いま・ここ」で死ぬことが不可能な舞台では、このモティーフはパロディとして働く。女優の演じる「主人」は死の床についていることになっているが、観客はそれが虚構の死であることを知っている。一方で、観客がこの作品を見ているということは、彼らもまた死から疎外されているのだ。「嘘」の死は舞台の到るところでほのめかされるものの、本物はどこにも見いだせない。

この内なるロジックに従えば、平田がアンドロイドを用いたのは、人間を取り巻き、そのせいで「本物」に近づけない、無数の偽物のコピーの比喩としてであると結論づけることはそれほど難しいことではない。本発表では、たとえばランボーおよびカール・ブッセの翻訳された詩の引用と平田の真正性の探究とを関連づけることで、この結論に到るまでの手順を明らかにしたい。本物と偽物の間を揺れ動く「さようなら」は、両者の間で美的なバランスをとっている。

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伊藤松雄:曾我廼家五郎を語る

楽屋の五郎

 五郎と語るではない。五郎を語るのだ。

 私は芝居見物の序でに楽屋を訪れるなどは外道も甚しいと思つている。

 料亭で膳にむかひ、一酌してのち料理場を覗きにゆくのと同然だらうではないか!?

 国賓を歌舞伎に招く度毎、幕間に楽屋案内をする事が礼儀だと思つているらしい。そんな冩眞を見て苦笑を洩すのは私だけだらう!?

 こんな風に考へている私だから■(川に一)年近くも五郎劇を見ていながら、楽屋の五郎をさう屢々知つてはいない。

 五郎が前欧州対戦の時欧中で、たしかワルシヤワあたりで密偵の疑ひを蒙り、かつぽれ(・・・・)を踊つて日本の喜劇俳優だと云ふことを証明し、辛くも危機をまぬがれた―—と云ふ博説がある。さうした苦難の度から歸朝して間もなく、彼は和田久一の本名に戻つて、平民劇団を組織しようとした。その頃が私にとつての初対面であつた。当時私は舊有楽座のお伽芝居に関係していて廿才位ひだつたらう。犬や猿の芝居を書くよりましだと思つて逢つたのではない。私の幼稚な『平民演劇論』が多少問題にされていたからである。私の古日記によると、五郎は再三こんな事をくり返した。

 『私には喜劇と云ふ意味がよく解らないんです。モリエール以後の翻訳物もいろいろ讀んでは見ましたが、そこで欧羅巴へ出かけたのですが、結局は国民性によるもので・・・』

 と云つた。いまでも尚かれはさう考へているらしい。和田久一になり得ず、平民劇団の組織も成立たなかつたが、その後彼は『五郎劇』の旗幟の下に、世間で云ふ喜劇の王者として、未だに若々しくふるまつている。

 廿余年の歳月を距てて、去年の暮、十二月卅日だつたらうか、私は『子寶』の舞台藝後を見せてもらつた。新橋演舞場の見物席には誰もいない、唯だ私ひとりが第一列に腰かけていた。そして幕は静かに開いた。

 整ひきつた舞台、不備な小道具ひとつなく稽古を返すこともなく、実に滑らかに信仰してゆく、私は近頃、こんなきちんとした舞台稽古を見たことがない。俳優としてより、作者としてより、演出者としての五郎を今更ながら驚嘆して戻つた。

 その後一度だけ楽屋を訪れている。勿論観劇の序ではない。

 開幕十五分前、彼は颯爽として部屋へ入つて来た。挨拶もそこそこに服を脱ぐ、顔をこしらへる、衣装をつける、しかもこの間彼は国民娯楽の問題を喋舌りつづけだつた。

 私が大正十五年来、商業主義の演劇に反逆して『町の劇場、村の劇場』運動に挺身して来たことをも理解しての上らしかつたが、彼の説く国民娯楽にこそ為政者は耳を傾けるが必要があると思つた。

 『日本人は笑はなすぎます、大国民はもつと素直な気持にならなくては―—不自由だとか不足だとか云つた義理でせうか、明朗な芝居笑へる芝居でなくては明日の厚生にはならない勿論その通りです、併し泣いたあとに出てくる笑ひこそ真実のものぢやないでせうか、白衣の勇士方が一番笑つて下さる、と云ふのは戦場で一命を的に艱難を克服して来られた。しかも純なお気持で芝居を見て下さる、そこに虚飾のない爆笑が起るのでせう。私たちの芝居に対して真っ向から理論的な批判はどうでせうか!?』

 全くかれの書いた脚本は劇文學ではない。いはば素稿(したがき)に過ぎない。こんな枚数でよくも一時間近くの芝居がと思はれる。処がその台本には演出覚え書が書足されてゆく、それが五郎劇のギヤグとなり、爆笑となるのだ。

 むかし、僕は『五郎劇脚本全集』を再三よみ返した時代がある。しかも舞台での感銘の半ばも受けられなかつた。この点いまも同様だと思ふ。

 楽屋でも五郎は身をもつて話す人だ。彼の言葉は切々として私に迫る。舞台でも彼は身をもつて芝居をする人だ。少なくともかれの脚本は、曾我廼家五郎が時と処と人を得て、ある一つの筋を芝居にして見た、という処が観てくれた人たちは大変面白い―—と云つてくれた。そこでこれを明日の再演用として記録する事にした。さう云つた本なのである。従つて五郎には五郎劇の脚本を活字にする必要はないのだ。

手紙の五郎

 老齢——と云へば腹をたてるかもしれないが、我々から考へると老齢だ、しかも羨ましい頑健さで、年中無休、自らたのしみながら五郎劇に一命をうちこんでいる彼の筆まめなのには驚く。私たちの寸感などを新聞や雑誌で讀むとすぐに手紙をくれる。勿論彼の主張なり感想を添へてである。地方興行のゆくさきざきからも到れりつくせりのたよりがもたらされる。大阪から帰京の月が決まると、新橋演舞場での舞台稽古日時までしらせてくれる。

 これは単なる筆まめのみではないと思ふ。

 五郎を評して十年一日の如き五郎劇と訳もなく云ふ人々がある。併しそれは本当の五郎劇を知る人々ではない。

 彼は常に黙々として歩んでいるのだ。むかし澤田正二郎は一歩前進半歩後退——と云ふやうなことを理論らしくふりかざした事がある。即ち半歩主義だ。五郎は半歩主義も唱えたことはあるまい。彼は廿年一日の如く『御来笑下さい』とか『仕立て直しの身丈もあはぬ借衣装』とか云つた風な挨拶をくりかへしている。だが、彼の内心は仕立て直しで満足してはいない。『子寶』を書きうる喜劇作者は今の処見当たらない。『子寶』をああして見せられる演出者はいまの処見当たらない。俳優としてはともかく『子寶』がすぐれている所以は作演出にあつたと思ふ。

 五郎が単なる筆まめでない―—と云ふことあ、彼はもう平民劇団と云つたやうな看板ぬりかへや、和田久一に戻ると云ふような小手先細工は、どうでもよくなつた代りに『五郎劇』をしていまこそ国民娯楽の頂点に持つてゆかうと努力している。農山漁村への娯楽提供なども百の理論より一の実践をと願つているのだ。そこに彼が私のやうな若輩に対しても同志愛を示してくれる所以があらう。かう考へることは私の自惚れだらうか!?

 私はこの五月、未だに楽屋を訪れていない

 彼の手紙の一節に、

『すこし気が強くなつて二の替りは出しません』

とあつた。私はこれを讀んで些か意外な気持がした。

 と云ふのは、五郎劇が従来一興行を二の替りさせていたのは、ああしなければ客が来ないから―—とでも想つていたのだらうか? そんな風な錯覚をこの手紙に感じたからである。

 私は五郎劇がいつも二の替り狂言を出してくれたのは五郎劇愛好者への二の膳か、乃至は別献立で更にもう一席もうけてくれたものであると信じていた。五郎のもてなしだ―—とさへ思ひこんでいた。

 然るに一立ての狂言で廿五日間満員だからもう別献立はやめやう―—では些か淋しい。ましてや五月の新橋演舞場などは・・・・

 一両日中に、あまり好まない楽屋訪問だが料理場に彼を訪ねて訊いて見るつもりだ。

 名料理人たる彼は、

『物資不足ですからね』

と出し惜しみの弁をきかせるかも知れない。

人間五郎

 彼はいつかこんな事を話した。

『朝起きるとまづ新聞を讀む、それからあとは書物、雑誌の乱読、でなかつたら必ず何か書いている、芝居の始る時刻がくると楽屋入りであとは芝居、家へ帰つて入浴、食事のあとはまた読書か執筆、云つて見れば何の趣味もない人間で―—』

 彼をオヤジとよんで、子供のやうに二人、左右からよりそふロツパ、エノケンの三人の會がある。この席でもロツパはウイスキイを飲んでひとり大いに弁じ、エノケンは酒、ビイルをあほつてトラになりかけ、五郎はソーダ水位いでにこついているらしい。酒にも趣味はないらしい。

 併し私は云つた。

『書物や雑誌が乱読出来て、ものが書けて、芝居が出来るんだつたら退屈はしますまいよ、したくても出来ない人を考へてごらんなさい、あなたほど徳な人はない・・・』

 五郎は日米危機説が伝へられていた時かうも云つた。

『もし芝居をしてはいけない―—と云ふ時が来たら、私は街頭に出てチンドン屋になりますよ、何の街頭宣伝をするか、そこ迄は考へていませんが、必ずお役に立つと思つていますね』

 私は五郎をして退屈させてはいけないと思ふ。五郎は忙しければ忙しいほどよい仕事を見せてくれる男だからである。

 (次号は『古川ロツパを語る』)

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安部豊:曾我廼家五郎と語る 

 曾我廼家五郎の家は牛込南榎町十九番地所在で、三四度も念入りに聞かねば、判りそうもない横町の、ひどく奥まつた路次の中央三尺巾位がズーツとになつているので、入口から眺めると芝居の花道の感じがするその七三辺に純日本式の門があつて、柱には墨痕鮮やかな『和田久一』の表札が掛かつている。それを入つて左側に洋館の応接室を見て玄関口に立つと、正面の楣間にの書『笑中諷刺』の扁額が第一に目につく。艶々と拭込んだ階段を上ると、十畳と八畳の明るい座敷があつて、十畳の真中に長さ一間位な机があり、浴衣着の主人公彼氏が何か書いている。次の間には、若い洋服の青年二人と、顔馴染の文藝部員角松一理君とがいて書類の整理をやつていた。

『これはこれはようこそ、次狂言を書いているところで、えらう失礼しました。』

 彼氏はしながら煙管の筒入のやうな極めて膨大な万年筆を前に置いた横には一合も入りそうな硝子製のインキスタンドがあつて、赤とブリユーとが陽を透して綺麗に見える。

 机上には全国名所案内の本が二冊と大會社の原簿の如き厚さ二寸位の総クロース仕立ての大冊が三部重ねてある。背の金文字を見ると『復案帳』とあり下の方には彼氏のペンネーム『一堺漁人』の四字も目に入つた。

『これは妙な大冊ですね・・・・』

 こう切出すと、彼氏はニタニタと笑つて、舞台で女を見るやうな空目をつかひながら其本を出してサラサラと頁を繰つた。

『私の米櫃だす、ネタを書込んだ備忘録だす。折にふれ、時に応じて見聞した社会の出来事、森羅万象を記した元帳だす。失礼ながら御覧下さい。随分怪體なもんだすに属するものもたんとおますが横線を引いた所は既に脚本に採用したものだす。次から次にニユースが出来るので復案帳が三冊になりました。この本だすか之は贔屓のお方が気を利かして、同じものを七冊拵へてくれました。五郎の芝居は、凡て此本の中から生れて来るといふ訳だす。』

 彼氏が大阪弁と東京言葉とを混同して本を見せるので、試みに中の一説に目を移すと、

 『長野県東筑摩郡某村の何々は村の模範青年で、召集前に五百円の貯金ありしが、上海に勇名を馳せて凱旋して見ると虎の子の五百円は全部費消されてある事を知り、憤激のあまり過つて罪を犯し、遂に囹圄の人とならんとした。青年の愛人は自ら犠牲となつて青年を救はんとした。・・・・このところ愛人の活躍必要なり・・・・。

 こんな端的な記事がその復案帳に充ちみちている。中にはペンで絵まで書込んである。

『私は寝てる時も、湯に入つている時も絶えず芝居の事を考へていますさかい、フイと良い考へが浮かびますと、直ぐにそれを記すため、手帳を離したことはありません。』

 彼氏は古い手帳の話を持出して周到なる用意のほどを語つた。

『今日まで書いた脚本はどの位いありますか。』

『そうだすな、全体で七百程ありますが、実際の脚本は三百七十位で、他は筋書だす。』

『こんなに豊富な材料があれば訳なく書けるでせうね。』

『書けます。この復案帳の事件をうまく引伸ばすのですから仕事は早く進みます。今度出した四つの新作は八月四日から取掛つて十八日に書上げましたから、一つの脚本に三日半を要したことになります。』

『一番書ける時は昼間ですか夜ですか。』

『いつでも同じだす。書掛けたら断じて動かぬ習慣で、握飯としびんを横に置いて、このまま用を足します。今日から又始めますので片つぱしからさす為文藝部の者が二人来ていますが、私の方が早いので、あの先生方弱つてます。』

 こう話している内に次の間にいた二人が来て彼氏の横に座つた。彼氏は、彼氏の記事の載つているジヤパンタイムスと、それを翻訳した原稿とを出し、エヘンと一咳して、批評を始めた。

『お前の方は大体の事が判るやうに訳してあるが、こちらは文章通りに訳してあるから一寸廻りくどいね。学校の答案なら此方が良えか知らぬが、実際としては感心出来へん。』

 二人の大学出の青年は彼氏から種々と話を聞かされたり注文を出されたりして、その手足の如く忠実に働いていた。

『愉快でせうね、こうして自分で書いたものを自分で演ずるということは・・・。』

『実に無上の愉快で御座ります。このプアな五郎の頭から割出したものを、ああして自由に演らして貰うことは全く何とも云へぬよろこびです。私は常も思ひます、凡そ日本の劇界で、私程幸福な者は他になからうといふことだす。先づ考へても御覧じませ、松竹は初日の出るまで狂言全体は私に任せきりで、初日が出るまでは、如何な内容の狂言であるか少しも知らないのです。大谷さんが初日に見られて、辛いとか、甘いとか一寸云はるる位いの事で、何の干渉もありません。徹頭徹尾五郎独自の見解で、誰にも相談せずに自分一人で決めて、それを自由自儘に演ずのだす。渾身の熱意を以て自分の思ふ事を無遠慮に舞台から大衆に呼かける時の心理は、とても言葉や筆には現はされません。私は之あるが為に脚本が書け、グングンと押切ても行けるのです。議政壇上から叫ぶところの名士の演説には、常に反対的の意思表示があつて、中には妨害されて立役生の浮目に遭ふ者もありますが、私の呼びかけるそれには誰一人として『五郎間違つている』と反対の言葉で差止めた者は嘗つてありません。一日平均千人位の人々に自分勝手な事を云つて、思ふ存分に振舞ふ事の出来るのは、実際幸福と思ひますね、先づ芝居道始つて以来、此幸福を独占しているのは私一人ぢやないかと思ひます。ほんまにありがたいことで御座います。』

 彼氏は額の汗を拭きながら、こうした幸福に浸り得るのは、平素信仰する天神様のあかげである・・・・と云つて心から神に感謝の意を捧げていた。

『現在座員の数はどの位いありますか。』

『俳優は四十六人で、文藝部が六人、衣装、床山、舞台係等計■五人だす。』

『あなたの弟子は全体どの位いありますか。』

『直門は三百人を一寸出ていますが、傍系を加へますと千人以上と思ひます。』

『弟子の筆頭は誰ですか。』

『故人中島楽翁で、それから故人箱王、蝶六といふ順序だす。』

『あなたの一座はよく統制が保たれていますね。』

『エエ割合にうまくいつてます。全然独裁主義だすよつて、一人でも反対の行動に出る者は、忽ち馘首にします。併し末輩の意見でもよく聞いて、正邪を判断し、是と信ずれば直に翌日から其説を納れて改める事にしています。

 何分私の自作自演には、私の手足の如く働いてくれる座員でないとよう芝居が出来まへん。その代りどんな不景気な時でも生活は保証してあります。私の芝居は毎年夏一ヶ月しか休みません。昨年などは東京で七ヶ月、大阪と京都、名古屋で四ヶ月でした。座員は皆よく働いてくれますので、之が第一の強みだす。』

『あなたの芝居は最初から何度位い其方針が変つていますか。』

『左様、明治三十六年十二月と共に第一歩を踏出して、二輪加式の他愛ないものを始めましたが四十一年頃に形で現はすやうになり、四十三年頃になつて、筋を主とし、白粉をつける事にしましたところ、十郎はそれに大反対で、「そんな事は新派がやつてをる、曾我廼家は元通り形で見せるもの・・・・」と云つて断固として説を曲げません。そして約一年間十郎だけは例のボテ鬘で通したものだすこんな意見の相違からして遂に四十五年に十郎と分れて、私は二年程洋行したわけなんです。』

『で、今後はどういふ主義方針で進みますか。』

『私は営業者ではないが然し、一座を有つている以上、営業者の意思を充分忖度して、自然大衆に適合するものを演ずることを第一義と心得て居ります。無論、忠孝、博愛、信義等に関するあらゆる世の諸相を写して社会の改善に意を注ぎたいと思ひます。』

『技藝者として、自分の思ふ通りの、より高踏的な芝居を演りたいとは思ひませんか。』

『そりや、おつしやるまでもありません。実際ウヅウヅしてをるのですが、現在の境遇ではそれは許されません。もし私に五百万円程の金があつたら、百万円で劇場を建て、百万円を流動資金にし、三百万円を貯金にしてその利子を以て座員の生活を保証し、客が来ても来なくてもそんな事には頓着なしに、自分自身の欲するままの芝居を演つて見たい・・・・といふのが私の唯一の念願だす。』

『それなら金を拵らへることにしたらいいぢやありませんか。』

『ところが私には金が貯りません又貯めようとも思ひません。先年五九郎が浅草好景気時代に私の処に来て『先生の體を私に任せて下さらんか、今の世は金で萬事が解決されるさかい、今のうちに金をつくつて置きなはれ・・・』と盛にモーシヨンをかけられた事がおます。その頃の五九郎は何でも花道を一足歩けば三十円になるとか云ふ位でしたから、一晩に三千円位の収入があつたのでせう。私には五九郎の様な真似は出来まへん。』

『この頃は女共と遊びたくはありませんか。』

『遊びごとは大好で、実に遊びたうでたまりません。時間がない為に遊べないのです。三十分でも都合がつけば、十分間は客に逢ひ、十分間は飯を喰べ、十分間は藝者を招んで貰う・・・といふ考へですが之も思ふやうになりまへん。人間は遊ぶ事を忘れるやうになつたらお仕舞ひだす。外に何の道楽もありませんから、私は大に盛に遊ばうと思ひます。それは私は連中をつくる心配がないから、従つて客先や花柳界方面に義理廻はりの必要もありません。偶に仲の良い友達二三人を訪問するのが関の山です。』

『あなたは先日来京したチヤプリン問題ではつむじを曲げていた様ですが、あれはどうなんです?』

『別につむじを曲げたと云ふのぢやありませんが、喜劇では私の方が先輩ですから、横浜に迎ひに行く事も、ホテルに訪問といふ事も差控へたのだす。併し外国で国賓待遇された人ですから、我国の人も大に歓迎してやるがよいと私は云つたのだす。其後チヤプリン君が演劇場に来ましたから誠意を以て迎えました。富士ヤマの合作などをして愉快に談じました。只私は日本の喜劇役者の軽々しからぬ態度を示したに過ぎないのです。』

『チヤプリンは近来余り振はぬやうぢやありませんか。』

『あの人の長編『街の灯』は、かなり有名なもので私も見ましたがあれは喜劇でなくて一種の悲劇です。喜劇役者が悲劇を演ずるやうになつてはもうお仕舞です。あの作はチヤプリンの行詰つた事を証拠だてるやうなものです。私はチヤツプリンの顔に一抹の暗い影を見出して悲しく思ひました。あの人は矢張り破れ靴を履いてよちよち歩くべき人だすな。』(つづく)

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曾我廼家五郎(喜劇俳優)

△ 曾我廼家五郎(喜劇俳優)

喜劇の神髄を得た物とは言へないが、確かに時代に向いた新らしい呼吸(いき)だけは備へて居る、謂はば健気なものである、藝の妙所は兄の十郎に任せて、此優(このひと)

は唯世に踏張つて強い気勢を見せて居る、藝として言へば重い動き汚ない音調、時に女形などを買つて出て気味の甚だよろしくない処を見せ、遠慮無く悩ませるが、然し其れが即ら此優の健気な呼吸で、世に猛進する処なのだ、拙(まず)くとも決して兄の旨い藝に負ない呼吸、何でも彼んでも大きな俳優(やくしゃ)である。

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曾我廼家五郎:喜劇作者としての私(喜劇の過去現在未来)

 大したもんで、私も人から喜劇の作を頼まれました。エヽ、御承知でせう、猿之助(きのし)君にも約束したのです。ナニ、松前鐵之助を書いたらどうだらうと思ひましてね。講談でゆくと鐵之助は、一生涯笑ふことを断つてしまひ、その為に死にますね。あの鐵之助が、無論忠義一方で、一生懸命に若殿のお守り役としての役目を果たすんですが、若殿の方では、どうしても鐵之助が好きになれないというふ所を書いたら面白からうと思つて、引受はしたのですが、今だに忙がしいので、果たせないやうな始末です。

 私の書いた喜劇ですか。モウやがて千の聲を聞くでせう。書いたものです。尤もその中には、いろいろの方から、材料を教へて戴いた物は相当ありますが、どうしても今の所では、一度私しが書き直さないと、私しの一座の舞台には上(の)らないのです。上つてもキツと面白くないのです。なんと云つても、役者に当嵌めて狂言をこしらへないと、舞台が生きて来ません。女形にしても、大磯に向く役と、秀蝶なら生きる役と、桃蝶なら嵌る役とありますからね。尤も書いているうちには、それが解らないことがあつて、舞台に上つてから気がつき、早速取替えてしまふこともあります。そんな事は遠慮なくやるのです。

 材料ですか。これには、まだ脚本になつていない種が全部書いてあります、脚本になつたものはこうして赤で消してゆきます。三面記事、毎日の見聞、小説、黄表紙、なんでもかんでも、見当つたら書いて置きます。セリフなぞも思ひついたら、直ぐに書いて置くのですが、さて時と場合、これだけでは間に合はないことがあるので、苦労をしますよ。隙(ひま)といつたら殆んどありませんな、昼間は、次興行の脚本を書くか、稽古か、どつちかにつぶれてしまひます。第一だの第五だのゝ脚本なら、一日で欠けますが、第三や第四だと、どうしたつて一週間はかゝります。何しろ、むづかしいもので、年中変つてゆく世相を見つめながら、それに合ふやうに書いてゆくんですから。

 私の脚本に、よく上流の過程が出ないと仰しやる方がありますが、私はわざと書かないのです。御見物には、随分上流の方が入らしつて下さるのですが、その方々は、自分たちの日常生活を御覧になつても面白くはありません。下層の生活の描写に興味をお持ちになるのです。それと、一つは、何しろ座長が私で、蝶六小次郎ぢやア、上流の人間にやアなれつこありません。一度さうした脚本で失敗をしたのです。熊さん八さんなら、別に苦労もせずになれますがね、華族さんなんぞになつたつて、さう見える訳がありません。だから、私の芝居には、華族様は一切出しません。笑はれますからね。軍人だつて左官級までです。財産家は精々十萬圓程度にきめています。いくら書いたつて、その人間になれなけりやア役に立ちません。

 本当はモウ千以上になつているのです。ですが昔は、筋書だけでよかつたもので、セリフは全く口立てでやつていたのです。それが癖になつていますから、私と蝶六と差向ひなら、いくら長い時間でも、しやべるだけで持切れるつもりで居ります。脚本を書くやうになつてからでも、蝶六と二人だけだと、ツイ余計な事をしやべつてしまつて、警察から叱られるのです。併し、御見物は、そんな時の方が面白いと仰しやるんです。

 何しろ書き手が私ですから、全くいゝ加減なもので、脚本なぞと申すのは烏滸がましい次第です。さうして、本当を云ふと、御見物を笑はせるやうに書くのは、実に容易(やさ)しいことなのです。

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タニノクロウ 人と作品(2)タニノクロウのエロティシズム[没バージョン]

タニノクロウと書いてあると、知る人ぞ知る変態漫画家、サガノヘルマーと間違えそうになる(どんなにエログロな絵柄かはググってください)。どちらもカタカナの名前だから、というだけではない。

タニノクロウのエロティシズムの本質は透視である。服を着ている女子の裸を想像したり、ちらりと見えた下着から隠れた部位を思い浮かべたりすることは思春期のヘテロな男子なら誰でも経験があるはずだが、タニノの想像力はそこにとどまらない。主宰する庭劇団ペニノが世に出るきっかけとなったのはガーディアン・ガーデン演劇フェスティバルだったけれど、そのとき同じく出場していた女性だけのとある演劇集団について、タニノが語ったことが忘れられない。作品のよしあしについて意見をたずねると、それには答えず、「すごいですよね、あれだけの人数いると、絶対一人は生理中でしょうからね」。

タニノは性的関心を抱いたから生理中の女性を想像しようとしていたのではない。ただ経血を排出している女性が見えてしまうのだ。私たちの大半は、普段世界を性的な意味に満ちているものとして見ていない。何らかの理由で性的衝動に駆られ、世界が性的な意味を帯びることはもちろんある。だがそんなときでも、私たちは自分の見たいものしか見ない。とくに男性は性的に興奮するために都合の悪いものを想像力の埒外に追いやろうとする傾向がある。ところがタニノは、いついかなる時も、自分が見たくないものでも、透視できてしまう。その点でタニノは正しく「性的人間」なのだ。

そしてタニノのエロティシズムは、いつでも発動しているがゆえに、射精=オーガズムへ向かうことはまれである。皮膚の下で何かが蠢く感じ、前オーガズム状態のムズムズして落ち着かない気持ちが、『アンダーグラウンド』や『笑顔の砦』といった作品には充満している。またそれは、主人と奴隷の関係を確認するSMプレイとして表象されることもある。や『星影のJr.』のように、支配ー服従にかかわる言語ゲームであるSMプレイに、性的な意味づけが与えられていることの滑稽さと哀しさをあぶり出す。

サガノヘルマーの下手な絵が読者を萎えさせるように、タニノ作品の過剰なエロスが空転するさまは観客を脱力感へと誘う。そのとき私たちは、見えてしまうけれど興奮できない、というタニノのエロティシズムを代理的に味わうことになるのだ。

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タニノクロウ 人と作品(2)タニノクロウのエロティシズム

タニノクロウはえらい、もとい、エロい。その風貌、佇まい、存在そのものからエロさがにじみ出ている。発情期の中学生男子のようにいつもエロいことばかり考えている。たまに会ってメシを食う。真面目に演劇の話をしているはずが、いつの間にかエロ話になっている。奇妙な性風俗産業に行ってきたとか、AV女優の最近のお気に入りとか。

三十半ばを過ぎて中学生男子と変わらない量の性欲を持ち続けているだけでも大したものだと思うが、もっと感心するのは、タニノが中学生男子と同じぐらいその性欲を持て余していることだ。タニノクロウの作品はもとよりエロティックなのだが、そこにあるのは性についてある程度知り尽くした大人の男が生み出すエロティシズムではない。性欲ギンギンだけれど、それをどう処理してよいかわからない中学生男子の滑稽さと哀しみである。タニノの過剰なエロスが空転するさまを見て、観客は性的興奮をかき立てられるというより深い脱力感を覚える。

だがそれはタニノが本当のエロティシズムを知らないということではない。むしろタニノのほうがエロティシズムの何たるかをよく知っているのだ。『太陽と下着の見える町』では、パンチラというまさしく中学生男子の定番ズリネタをフィーチャーし、窃視というエロスの根幹にかかわる主題を明らかにした。一部を見て、全体を妄想し、抱いた性的衝動を適切なかたちで発散することができずに悶々と苦しむこと。それが私たちのエロスの本質であり、それをタニノ作品は具現化してきた。

『アンダーグラウンド』や『笑顔の砦』といった、エロティックな要素が一見ないように思われる作品も含め、タニノ作品には皮膚の下で何かが蠢く感じ、ムズムズして落ち着かない気持ちが充溢している。それはオーガズムに至ることができずに、延々その前で足踏み状態をしているときの焦燥感であり煩悶である。行き場のない性欲、肥え太らせた妄想。タニノクロウの作品を見ることは、大人になってしまった私たちの心の底に放置されているそうしたエロスと再び出会うことなのだ。

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タニノクロウ 人と作品(1)タニノ作品とヨーロッパ映画

タニノクロウの作品を見ると、いつもヨーロッパ映画を思い出す。とくにアンゲロプロス、タルコフスキー、パゾリーニ、フェリーニ、それにメキシコのホゾロスキあたり。彼らは撮影現場に漲る空気感としかいえないものを切り取ることに命を賭ける。物語を語ることにもそれなりに熱心になるけれど、完璧な構図の渾身のショットを見せるためにはテンポを平気で犠牲にする。子供の残酷さと純粋さの入り交じった視線で、ものを、世界を、凝視し、人間は風景の一部に過ぎないことを示す。

同じく、タニノクロウも、物語の展開よりも舞台に出現する世界のありさまとその変容に関心を示す。『ダークマスター』がそうだった。ものにたいする偏執的なこだわりを見せる。『Mrs.P.P.Overeem』がそうだった。人間から霊性を、神聖さを、自明なこととして奪い取り、かわりに醜い、死すべき身体を露わにする。『苛々する大人の絵本』をはじめとして、タニノ作品は笑いに事欠かないが、それはゆえなき悪意にみちた嘲笑だとも、絶望の果ての哄笑だともとれる。

ヨーロッパ映画の巨匠たちの作品は観客に凝視を要求する。映画館の固い座席で息を詰めて見入り、五感を総動員して表現されているものを掴もうとしなければ、全身が至福に包まれるあの体験は味わえない。それはインターネットやテレビのようなザッピングが容易なメディアに日々囲まれ、こらえ性をなくしてしまった私たちが半ば忘れかけている感覚であり、映画館で見るより家庭の大画面テレビで何かをしながら映画を見るほうが普通になってしまった現代にあっては、むしろ劇場が提供する愉しみになった。

劇場で二時間近く拘束されて、作品に向き合うしかないと覚悟を決めれば、最初は無意味だと思えた対話が豊かな隠喩に満ちていることに気づく。自分が日々生きている現実とはあまりにもかけ離れていて入り込めそうもないと思っていた世界に新鮮な驚きを感じる。演劇は演者が、ついで観客が、存在の変容を経験する芸術である。タニノクロウの作品を見ることは、日常生活ですっかり鈍重になってしまった自分の感覚がリセットされ、鋭敏になっていることを発見することなのだ。

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『チェーホフ?!』=チェーホフ!!

タニノクロウ作・演出『チェーホフ?!』を見終えた瞬間、アルキメデスがアルキメデスの原理を発見した際に「ユーレカ!!」と叫んで浴場から走り出て行ったように、私は「チェーホフ!!」と叫んで東京芸術劇場から走り出て行きたくなった。「チェーホフ!!」と思わず叫んでしまうような、これまで見たことのないチェーホフがそこに「いた」からだ。ドラマツゥルク・鴻英良が持ち前のパラノイア的熱意で翻訳した、チェーホフや世紀末ロシアについての浩瀚な資料をもとに、タニノクロウは妄想の力によって、この新たなチェーホフを幻視し、観客のまえに召喚してみせてくれた。

チェーホフの作品に登場する人物は、みな自意識過剰であり、永遠の中二病にかかっている。『桜の園』に出てくる執事エピホードフは、誰も気にもとめていないのに、いきなり「僕は進歩した人間で、いろんな立派な本を読んでいるが、それでいてどうしても会得できんのは、結局ぼくが何を欲するか、つまりその傾向なんですよ——生くべきか、それとも自殺すべきか、つまり結局それなんだが、にもかかわらず僕は、ピストルは常に携帯していますよ」と言い出したあげく、周囲にやさしく黙殺される、たいへんイタい人物であるが、ほかの人々も似たりよったりのイタさを抱えている。

それは、チェーホフ自身が、自意識の牢獄——サルトルが『出口なし』で描いたまなざしの地獄——に縛された囚人だったからだ。自らの思考内容を反芻し、自己憐憫にひたるかと思えば相対化し、宇宙の永遠に比べて自らの卑小さを嘆き、しかし自意識の引力圏から逃れることができずに、「吾」(コギト)の周りをぐるぐる回り続ける。それがチェーホフの世界であり、私たちがこの世界に立ち入ることを許されるのは、ただチェーホフの登場人物たちが抱く苦悩を理解し、共苦の感情を持つことによってのみだと思われていた。

『チェーホフ?!』は私たちのそのような思い込みを粉砕した。チェーホフを自意識の牢獄から解放することによって。チェーホフの想像力が、スラブ民話をはじめとするロシアの大地に根ざした民間伝承と地続きであることを示すことによって。『チェーホフ?!』に出てくる魔女(篠井英介)は、ムソルグスキー『展覧会の絵』で知られた妖婆バーバヤガーと同類である。巨人バガトゥイリが登場するのは、チェーホフが見えないものを見て、聞こえないものを聞く、同時代の民衆の前近代的心性に親近感を持っていたからだ。

たしかにチェーホフの小説や戯曲から、こうした「不思議さの感覚」(センス・オブ・ワンダー)を感じ取ることは難しい。だが、近代人の気取りとしての自意識が衝立のように隠していた、チェーホフの心の奥底にあるこうしたイメジャリを、タニノは私たちに示してくれる。

『チェーホフ?!』の登場人物は誰一人として自意識を持たない。主役は少年であるが、マメ山田が演じることからわかるように、幼いと同時に年老いている。つまり、「大人」のわずらわしい自意識を持たない存在なのだ。魔女もそうだが、巨大な乳房を持った女(毬谷友子)や太鼓腹の男(手塚とおる)、そして岸田劉生の描く麗子が額縁から出てきてそのまま年をとるとこうなる、といった姿の老婆(蘭妖子)たちは、この世ならぬ存在であり、少年を導くとともに惑わす役割を担っている。

『苛々する大人の絵本』『ダークマスター』『Mrs. P.P Overeem』など、タニノクロウがこれまで作り上げてきた作品では、膨れあがった自意識そのものが舞台に出現する、という印象を与えるものが多かった。タニノもまた、永遠の中二病患者なのだ。だからこそ、タニノがチェーホフに取り組むにあたって、自意識を敢えて描かない、という選択をしたことは興味深い。優秀な精神分析医は、患者の重大な抑圧をあえて放置して、もっと些細な抑圧から取り除くことによって治療することがあるという。精神科医であるタニノがチェーホフを、あるいはチェーホフと同様中二病に取り憑かれた私たち観客を、「治療」するにあたってとった手法もそういうものなのだろう。

しかし、この少年は本当に少年期のチェーホフなのだろうか。少年はつねに本を携えている。魔女たちは本を取り上げようとする。書物から知識を得ようと懸命になっている少年に、もっと自分の周りの現実を見ろと唆す。だが少年は「人間とは何か?」という自意識がもっとも美しく結晶した問いに、本を読み上げることで答える。人類の英知の宝庫としての書物を全幅に信頼することと、それがたんなる現実逃避でしかないのではないかという疑い。これこそがチェーホフが抱え、生涯解決し得なかった矛盾であった。前近代性を色濃く残すロシアの片田舎にあって、日々の暮らしのわずらわしさに目をつぶって書物を読み続けることはよいことなのか。貧困と無知という忌まわしい現実を厭悪して文化のある生活を夢見ることが正しいことなのか。チェーホフの登場人物たちはつねに自問自答するが、タニノは少年に与えられた一種の運命としてこの矛盾を表現する。最後に少年と書物の関係がどうなるかは、舞台を見てのお楽しみとしたい。タニノの「答え」に納得するかどうかは観客一人一人に任されている。

俳優の才能とはまず何よりも美しい身体の、手の、足の動きなのだということをあらためて教えてくれた篠井、毬谷、手塚らにはただ見とれるばかりだった。少年が次々と目の当たりにする、妖しい美しさに満ちた幻想的な世界については多くの評者が論じるだろうが、タニノの描いた絵コンテをビビッドに再現した美術の田中敏恵の力量にはうならされた。「煙草の害について」の一場を演じかける蘭妖子は縄で縛られて登場し、オールドアングラ演劇ファンに天井桟敷の舞台のときの記憶をまざまざと思い起こさせるが、これには衣装の太田雅公の才能が大いにあずかっている。舞台で起きていることを、ときには描写し、ときにはからかう、そんな音楽を生みだし、良質のオペラ体験に近いものをもたらした作曲の阿部篤志の実力も褒め称えなくてはいけない。そして小劇場の限界を明らかに超えた、緻密かつ大がかりな照明デザインの山口暁には、最大限の賛辞を捧げたい。演劇をみて幸福になるという単純な喜びを味わいたければ、さあ、『チェーホフ?!』に足を運ぼう。

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『エクスターズ』@舞台芸術公園野外劇場「有度」

『エクスターズ』、クリストフ・マルターラーが日本人でタモリ倶楽部のファンだったらこういう作品を作るだろう。Low Key/ Low-Fiの演劇の傑作。

『巨大なるブッツバッハ村―ある永続のコロニー』でマルターラーはヨーロッパ文明の黄昏を描いたが、タニノクロウは人生の黄昏を描いた。共通するのは、絶望ではなく脱力感が訪れること、一気に何かが終わるのではなく少しずつ零れ落ちていくこと、そして何よりも、そこに音楽があることだ。

タニノはこの数年子供の視点を通して世界を提示することに熱中していたが、今後暫くは老人の視点になるのだろうか。いずれにせよ、共同体を構成する人間のなかでも「弱者」に分類される人々が見る世界が提示されるのは興味深い。

弱者に寄り添う優しさもさることながら、弱者も共同体の構成員なんだから、(私たちから見れば)奇妙なその世界像を共有しなければならない、という有無を言わさぬ強引さこそタニノの持ち味なのだと思う。

『エクスターズ』の高くそびえる壁は、ロバート・ウィルソンが東京グローブ座で上演したチェーホフ『白鳥の歌』の舞台を思い出させる。それを目前にして、屋台崩しをするのかな、しないとつまらないが、してもありきたりだな、と思った。最後の場面はそのどちらでもなく、よい意味で期待を裏切られた。

タニノクロウが『エクスターズ』で演出家として苦労したのは、いかに半ば素人の女優たちに「演技」させないかということだったのではないか。素人ほど舞台に立つと「芝居」をしたがる。芝居をしたくてうずうずしている女優たちに、ただ素をさらけ出せ、とずっと言い続けることは大変なことだったろう。

そのおかげで観客は「芝居」したくてうずうずする気持ちを抑えつつ、舞台で淡々とキッカケをこなす女優たちという奇妙な見物を目にすることになる。彼女たちの女優としての「断念」は老いを迎える人間の断念と重なり、エクスターズならぬ「恍惚の人」として生きることの深刻さと滑稽さが一遍に伝わる。

『エクスターズ』の公演が二日きりなのは残念だが、このまま長く続けていけば女優たちは自分たちがそれでも演技をしているのだ、と気づいてしまうだろう。舞台全体から「断念」のかわりに演技する喜びが伝わってくるようになるかもしれない。それもまた一つの見物であるが現在の舞台とは異質なものだ。

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