Idiot’s Delight

Robert Sherwood の Idiot’s Delight (1936) は昔読んだが、クラーク・ゲーブルが唯一唄って踊った作品とされている同名の映画 (1939) はDVD化されていないこともあって『ザッツ・エンターテインメント』に紹介された抜粋をのぞけば見ていない。第一次世界大戦中のヨーロッパが舞台なのだが、Wikipediaには登場するヨーロッパ人がみなエスペラント語を話していると書かれている。

『ザッツ・エンターテインメント』つながりで思い出したが、冒頭でちらりと出てくる Hollywood Revue of 1929 (『雨に唄えば』のタイトル曲はもともとこの作品のためにナシオ・ハーブ・ブラウンが書いた。演奏はクリフォード「ウクレレ・アイク」エドワーズ)はアメリカですらVHSにもDVDにもなっていないのだが、じつは最近YouTubeに大量にアップロードされている。

http://jp.youtube.com/view_play_list?p=B814F19F3B41AC38

にまとめてみた。

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『ハイハイ三人娘』

ミュージカルゼミの夏期合宿に使おうと思っていた『ハイハイ三人娘』を見る。 やっぱりこれは歌謡ショーであってミュージカルじゃないんだよなあ。公開時に田辺靖雄はデビュー前だとか、スリー・ファンキーズもまだ人気がそれほど出ていないときだとかをはじめて知って、この作品が一種の冒険であったことがわかり興味深かったが、当時の歌謡曲業界に関心がなければどうでもいいことだ。 あと、伊東ゆかりがおてもやんのようなメイクで、かつ大食漢ということになっているのはよいとしても、バナナを食べていて口から皮の筋がつうっとたれるというショットには唖然とした。

原作の川上宗薫『先生・先輩・後輩』(秋元書房、一九六二年)はちょっと読んでみたいかな。「水原弘の声色を使って愛の告白をする」という、ほとんど意味のない設定は原作にあったのだろうか。水原弘のカメオ出演を導くこと以外には何も役に立っていない。「物真似」つながりでライオンとかゾウの鳴き声の物真似ができる、というストーリー展開も荒唐無稽で、さらなる分析が可能だろう。国会図書館にあることを確認。夏休みにでも読んでおくか。

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19世紀イギリス・アメリカ演劇コレクション

北海道大学のコレクションとして購入されたようだ。来年ぐらい行って見せてもらいたいなあ。

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Upton Sinclair の戯曲

世界戯曲全集 第十巻 亜米利加篇』(一九二八年、世界戯曲全集刊行会)にはアップトン・シンクレアのほとんど上演されることのなくなった戯曲三本が収録されている。いずれも北村喜八訳。

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水川隆夫『増補 漱石と落語』

水川隆夫『増補 漱石と落語』(平凡社ライブラリー、二〇〇〇年)読了。旧版は彩流社で、このところお世話になっている茂山和也さんが担当していたようだ。

影響関係を指摘するのは難しい。漱石が落語に親しんでいたことを数々の文献から証拠づけることができても、落語の文体や発想が漱石の作品に影響を与えているとするのは漱石が自分で認めていない以上推測の域を出ない。ましてや、ある特定の作品や作家ではなく、落語というジャンル全体の影響力を考えるときには、当時の人々が一種の素養として落語の文体や発想を持っていたのではないか、という疑問がつきまとう。

だがもちろん、この手の研究は意味がないわけではない。読み手がなるほどと納得すれば、それでよいのだ。『我が輩は猫である』と「やかん」「金明竹」との類縁関係を論じる箇所については正直疑問を感じたが、「琴のそら音」が圓朝の「怪談牡丹灯籠」を下敷きにしているとの指摘には膝を打った。この作品がはじめてわかったような気がした。「趣味の遺伝」にも「怪談牡丹灯籠」をはじめとする怪談話の因縁が反映しているという点にも納得した。

漱石が三代目小さんを天才だといったのはよく知られているが、「円遊ハ天才ナリ」と書いていたのははじめて知った。水川が指摘するとおり、漱石が江戸の町人文学や芸能に文学的価値を見ていたことはたしかなようだ。

小林信彦の『小説世界のロビンソン』にも『我が輩は猫である』と落語との関係が書かれているようだ。興津要『日本文学と落語』「漱石と江戸」(『講座夏目漱石 第五巻 漱石の知的空間』所収)と一緒に読まなければならない。

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三代目金馬の下手さについて

三代目金馬が下手だ、という評は圓生をはじめとしてたくさんあるが、納得しがたかった。「わかりやすい、初心者向きだ」という評もあって、こちらならわかる。だがそれを下手だというのは玄人ぶった気取りでしかないだろうとずうっと思っていた。

金馬という人間の向こう気の強さや貫禄、悪くいえば図々しさとかアクドさを嫌う人もいたということもわかる。だが人間性をいうなら志ん生や圓生はどうなる。あるいは内弟子にとっての文楽はどうなる。

『NHK DVD 落語名作選集』に収録されている「薮入り」を上手いけれどクサいよ、とけなすことはたしかにできる。けれどもそんなこといったら圓生の「妾馬」も上手いけれどクサいわけだ。志ん生の「妾馬」とどちらが好きか、と言われると困ってしまうのは、志ん生の巧まざる人情味と、圓生の計算され尽くした人情味とどちらも捨てがたいからだ。『NHK DVD 落語名作選集』の「薮入り」も、あるいは『NHK落語名人選』収録の「孝行糖」や「二十四孝」「唐茄子屋政談」も、計算が透けて見えるという点では「粋」ではないと思うが、しかし圓生のように「どうだ、泣いてみろ、俺はうまいんだ」と得意がっている顔が浮かぶということはなく、人生の浮き沈みを経験した大人が淡々と語るその実直さが伝わってきて、泣かされても圓生のときのようにそれを不快に感じるということはない。

だがずっと買ってあってほうっておいた『三代目三遊亭金馬全集』をある程度聞き込んでようやく、圓生の言っていることもまんざらでたらめというわけでもない、ということがわかった。一九五六年から二年半に渉って文化放送で放送された「金馬独演会」の録音だが、いずれも放送時間の関係からか十五分程度で噺が短く切り詰められていることもあって、薄味のものになってしまっている。後年の録音にある計算された滋味というものがない。

同梱の堀俊彦編著『三代目三遊亭金馬一代記』の解説によれば、「若い頃の高座は、わざとらしくてあざとく感じとられるムキもあったが、[昭和]二十年代後半、男盛りの五十代からの芸は歳月の重みと精進の成果を実らせ」(一一八頁)ていることになっているが、これはそのあざとさだけがなくなっているだけのように思われる。これが下手だ、というのならたしかに納得する。

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『ジャックとその主人』

吉祥寺シアター、2月28日観劇。G列18番。ミラン・クンデラ作、近藤真理訳。串田和美演出、白井晃、内田有紀、串田和美出演。

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圓生の性格の悪さについて

今更ながら圓生の性格の悪さについて。

わたしゃ、きちょう面な性格で、志ん生はズボラ、だから、まあ合わないように見えますが、芸に対する考え方は共通してましたよ。「文七元結」 など前と後に分け、あたしとよく共演しました。名前をあげちゃ悪いけど金馬(先代)と一緒にやって、志ん生「ああ、ひでえめにあった。こりごりしちゃった」とこぼしていましたが、あたしも金馬とやって、一回で降参しました。そんなもんでして、あたしゃ、これでも志ん生とウマが合ったんですな。

三遊亭円生「志ん生八方破れ一代記 五十歳すぎて開花した”傷だらけの芸”」『週刊朝日』一九七三年十月十二日号、『文藝別冊 [総特集]古今亭志ん生』六二頁。

志ん生との相性を強調するために金馬の下手さを引き合いに出す必要はないだろう。しかも「名前をあげちゃ悪いけど」と言っているところがたちが悪い。次の引用でも同じだが、圓生は自分の言葉が角が立つことをわかっていて確信犯でものを言っているのだ。

それはともかく、金馬がなぜ志ん生や圓生に嫌われたかはもう少し考えないとわからない。玄人には嫌われたその芸になにが問題があったのかいまの私にはまだよくわからない。

円生 でも、あれだけの噺家になった人だから、当人が円喬の弟子だというものを、違うじゃないかというのも恥をかかせるみたいで悪いですからね(笑)

三遊亭円生・宇野信夫・坊野寿三「志ん生のヒラメキ人生」『落語界』一九七四年十一月晩秋号、『文藝別冊 [総特集]古今亭志ん生』一八五頁。

人の悪さということでいえば、人の悪いこの三人を集めた当時の『落語界』編集部がいちばんだと思う。その中でも圓生の発言がもっとも人でなしである。「恥をかかせるみたいで悪い(笑)」ってすでに志ん生に恥をかかせているではないか! 坊野は自分がものをただでくれてやったことを盛んに言う。だがもっとも痛快なのはやはり宇野信夫で、

円生 円生のここがいいといったって、それは志ん生には遠く及ばないという志ん生のいいところもあるし、また文楽も円生に及ばないというところがあたしにもある(笑)。そのくらい自惚れてもいいでしょ(笑)。

という円生のいやみな自慢に対してしらっと

宇野 そう。よく文楽と円生の芸風が同じだからと比較する人がいるけれど、創作の方とか新しい物を掘り出してやるというのは文楽にはなかった。また人によっては文楽のほうが秀れているという人もいるしーー。

と返す。宇野信夫あっぱれ。ここまで人が悪いと「天然」の域にまで達しているといえるだろう。

三遊亭円生・宇野信夫・坊野寿三「志ん生のヒラメキ人生」『落語界』一九七四年十一月晩秋号、『文藝別冊 [総特集]古今亭志ん生』一九一頁。

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小さんの晩年の芸について

小沢昭一・矢野誠一「志ん生礼賛」『文藝別冊 [総特集]古今亭志ん生』九二ー九三頁。

矢野 このあいだ亡くなった小さんさんも、晩年は全然芸をやらなかったでしょう。ただ昔におぼえた噺をするだけで、あの人の芸を支えた呼吸(いき)だとか間だとかとぼけた味やおもしろさは全然なくなっちゃったわけじゃないですか。それでもうただ喋っているだけで。

小沢 でもあれもいいでしょう。

矢野 そう、もう本当に楽しいんですよ。究極で全部捨てちゃうというのはここなのかなっていうふうな感じで、本当に芸に遊ぶっていうか。たとえばそれを単なる老耄っていうものさしではかった場合には、彦六で死んだ正藏だとか、志ん生さんの晩年なんかとまったく同じ尺度になっちゃうわけです。でも、あのころの志ん生さんでもおもしろく聴かせたいという最低の姿勢はあったわけでしょう。晩年の小さんからはそれも消えちゃったわけで、僕はそれがとてもおもしろかった。それで追悼文を書いたときに、僕は自分なりに小さんを五十年間聴き続けてきて、少なくとも小さんと同じ五十年の時間を体験していたから、はじめてそういうものをおもしろいと思えるのかなと、ちょっとおこがましいけどそう思ったんです。いきなりポンとあれを聴かされても、「何でこれが名人なんだ」って思う方がむしろ普通の感覚であって。

矢野誠一の「一発芸」的特質はここにも現れている。志ん生について語り合う対談において、これほど鋭い小さん論をぶちあげるのはなぜか。この人は正面きって小さん論も志ん生論も書くことができずに、こういうところでお茶を濁しているのは本当に惜しい。まあそう言うのも天に向かって唾することになるかもしれないのだが。来年度「トピック・セミナーA:映像で見る・昭和の名人たち」でどれだけ自分の考えを深化できるかだなあ。

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二月大歌舞伎:昼の部

二月三日観劇。一階2列15番。

「小野道風青柳硯」。今年中に戦後の三越劇場の活動について英語論文を書くことになっているのだが、三越劇場のこけら落としで上演されたこの作品がどんなものだったのかずっと気になっていたのでちょうどよかった。

かつて大工であった小野道風が元同僚の独鈷の駄六と相撲を取る、という突拍子もない物語なのだが、なぜ相撲を取るのに梅玉と三津五郎が出るのかわからなかった。三越劇場のときの、初代吉右衛門と当時の染五郎だった白鷗というのもよくわからなかった。だが見てようやく合点がいった。ようするに舞踊劇に限りなく近いものなのだ。三津五郎は赤っ面で力士の着ぐるみをきていたが、梅玉はいつもの白塗りに公家のいでたちで、そのまま相撲をとらせると滑稽になりかねないのだが、当代きっての踊りの名手の二人、軽くリズミカルに組み合っていた。佳品。

『菅原伝授手習鑑』より「車引」。松王丸の橋之助は言うことなし。梅王丸の松緑はいつもながらうっとおしい。声を張り上げ、元気いっぱいに演じれば褒めてもらえる、という年齢でもなくなってきているのだが…。押すだけではなく引く演技も覚えてほしい。それと比べると、錦之助の桜丸が意外によい。ニンがあっているということもあるが、落ち着いたたたずまいの中にも一定の存在感を出している。歌六の藤原時平は迫力はあったが今ひとつ。どうしてもこの人は表現の幅が狭い。

「積恋雪関扉」。染五郎の宗貞はだめ。この人は自分に台詞がないときのたたずまいに問題がある。まず肩で息をつくのをやめてほしい。お父さんや叔父さんは荒事の立ち回りのあとでもそんな様子を微塵もみせないぞ。それからこれは生理現象だからある程度しかたがないのだが、人一倍大きい目で長いまつげの染五郎がまばたきをしていると目立つのだ。舞台で腰がすわれば多少まばたきはへるのではないか。

とはいえ、かわいそうな気もする。松本白鴎二十七回追善興行ということで父親の幸四郎と同じく昼夜出ずっぱり、しかも夜の部には「春興鏡獅子」もあって、30分以上一人で踊らなくてはならない。「七段目」の寺岡平右衛門も含め、これら全てをこなすには、いまの染五郎には荷が重すぎる(というか、どんな歌舞伎役者でも大変である)。しかし幸四郎は息子かわいさ、そして(秀山祭を続けている)吉右衛門への変わらぬ対抗心、さらには自分が果たせなかった舞踊の名手に息子を仕立てたいという思いゆえに染五郎に過大な荷を負わせてしまっているのだ。

で、大伴黒主の吉右衛門はすばらしい。踊りでは幸四郎に譲るものの、悪役としての位の大きさや存在感という点では勝ったのではないか。ポスターは最後の見得をきっている黒主だが、ほしくなってしまった。さらに墨染の福助がよい。私はこの人をはじめてよいと思った。

『仮名手本忠臣蔵』より「祗園一力茶屋の場」。ちょうど一年前に歌舞伎座で通し上演をやって、そのときの記憶がまだ鮮やかなうちにまったく異なった座組でやるというのは向こう見ずというか、大胆というか。とくにかわいそうだったのが染五郎の寺岡平右衛門と芝雀のおかるのコンビ。一年前観客はこの二人を仁左衛門と玉三郎という現在考えられるベストのコンビで見ているわけで、どうしても比べてしまう。染五郎は仁左衛門をよく研究しているが、仁左衛門が見事に表現していた小兵ゆえの悲しみと、苦みを突き抜けた先に生まれてくる軽みがまったく出ていない。人生経験の差といってはそれまでだが、べつに仁左衛門だってそれほど苦労してきたわけではないのだから、感受性の差なのかもしれない。枝雀は健闘していたが、玉三郎の持って生まれた「私を見て!」というオーラはないのだ。唯一、おかるを欄干からはしご伝いにおろすときにもとの詞章にあった「船玉さまが見える」という由良之助の卑猥な台詞を幸四郎が復活させていたことは評価したい。お上品にしたい玉三郎相手に吉右衛門は言えなかった台詞だが、由良之助のおどけぶりは性的なことがらにまでいたって一本筋が通るのだから。

で、高麗蔵の大星力弥はいくらなんでも役不足だろうとか、ケチは他にもつけられるのだが、なんといっても幸四郎の存在感の大きさに圧倒される。とくに斧九太夫をさんざんに打擲するところで恨み辛みを大音声で語って見せるところは、ただただ引き込まれる(ただし客席の一部では「逮夜に章魚を食べさせて…」云々のところで失笑も聞こえた。そんな細かいことにこだわっている由良之助がおかしいということなのだろうが、しかしそれはいまどきの日本人の宗教心の薄さを示しているだけであって気にしなくてよろしい)。

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