全体としては及第点だけど、大和田美帆はたしかに問題。難しい歌の音程をとろうと努力はしているのはすごくよくわかるのだが、自分の音がちょこちょこと外れている箇所を自分で聞けてない。耳の悪さは歌手としては致命的なので、今後はコメディエンヌとしての修行を積まれたい。キャラ的には向いていそうだ。ただ、今回の舞台での立ち居振る舞いを見ていると、運動神経が悪そうで、これが歌なしでもそうだとすると、コメディエンヌとしてやっていくのにも黄信号がともる。もちろんコメディアン・コメディエンヌはみな運動神経がよくなきゃいけない、ということはなく、古くは古川緑波のような例外もいるわけだが。
二幕の演出の処理もクレバーな亜門にしてはめずらしく訳わからないままほったらかしにしているのが気になったが、オリジナルがそうだからしかたないのか?
宮本亜門演出『ファンタスティックス』
『映画時代』第八巻第四号(昭和四年五月)
『映画時代』第八巻第四号(昭和四年五月)は喜劇特集で曽我廼家五郎も扱っている。演劇博物館は所蔵しているようだ。オヨヨ書林にも在庫あり(22591)。
ピーター・B・ハーイ『帝国の銀幕』:「座談会」政治の一形態
なぜ革新官僚は、批評の禁止というナチスの先例に従わなかったのか。その理由はおそらく、協力を確保するのに、はるかに確実な手段があったということであろう。その手段とはもちろん、不敗の「懇談会」戦法である。この手法は、他の分野の作家や芸術家には非常に有効だと、すでに判明していた。中心的批評家に対する御機嫌とりは、特効警察の手荒な戦術よりも、はるかに多くを成し遂げていたのである。批評家らは、内務省の丸テーブル、あるいは「料亭」に招かれ、たやすく協力的雰囲気に包まれていった。実際、誰がこのような「求愛」のもてなしに抗することができたであろう。
太平洋戦争終結まで、映画雑誌は頻繁に、数人の批評家と政府、軍の官僚が出席する「座談会」を大きく取り上げた。そこで討議されたのは、批評家(ないし映画製作者)はいかにして国策への最良の貢献をなし得るか、についてであった。ピーター・B・ハーイ『帝国の銀幕』五〇頁
今でもまったく同じ。日本の劇評家が舌鋒鋭く批判することができなくなるのは、この座談会政治の仕組みに取り込まれるから。
庭劇団ペニノ『黒いOL』
庭劇団ペニノの野外劇『黒いOL』は、主宰タニノクロウがこれまで追求してきた演劇の理想を一気に具現化した観があった。いや、これを演劇とはいってはいけないかもしれない。演劇とは舞台の上で存在の変容を、演者の「変身」を観客に提示する芸術であるとしたら、タニノの目指すものは、観客の側の五感および時間感覚の変容をうながすことにあるからだ。私たちは能を観るときにもまた、いま・ここで変容を遂げているのは舞台の上に立つ演者ではなくて見ている自分自身なのだ、気が遠くなるほど引き延ばされた時間感覚のうちに自らが投企されているというよりもむしろ、自らの時間感覚がひたすらに引き延ばされて行った結果、能曲が持つ時間感覚の間尺に合うようになるのだ、という印象を抱くことがある。『黒いOL』を見ることは、能を見ることとよく似ている。とはいえ、『黒いOL』の場合、時間感覚は引き延ばされるというより、畳み込まれたものが一気に広がっていくのであり、視覚や聴覚は歪められる、という違いはあるのだが。
ここに至ってようやくその全貌がわかってきたタニノの演劇を、私は「箱庭演劇」と名づけたい。それはただ、西新宿の再開発予定土地に文字通りウナギの寝床のような細長いテントを建て、十メートル以上奥行をとった舞台の、ある場所には小さな川を拵えてコケを植栽し、ある場所にはスチール製の武骨な事務机や椅子を置き、ある場所には電子ピアノとミキサーを置く、という造作が、箱に土を盛り、草木や石、あるいは模型の家などを置く箱庭を思わせたからだけではない。ユング派の精神分析からはじまった箱庭療法では、砂を盛った箱に人形やおもちゃを配置させることで患者の精神状態を知るとともに、自己表現として患者自身が自分のことを知ることに使われる。配置された物体同士の位置関係や距離から、私たちは物語が立ち上がってくるのを見てとることができる。その意味で、箱庭療法の箱庭は静止した時間に佇む美術のインスタレーションとは異なる。インスタレーションは時間を超越しているが、箱庭療法の箱庭では時間は畳み込まれており、それを凝視する者の眼前で広がっていくのだ。
タニノの箱庭演劇には、時間の経過とともに展開される、通常の意味での物語は存在しない。時間とともに物語は畳み込まれ、観客が「読み取る」に任せて自在に形を変える。「黒いOL」とは誰のことなのか、何の象徴なのか、タニノがその意味を明かすことは決してない。ある観客は現実社会に生息するOLの日常がデフォルメされて描かれているのだととるかもしれないし、別の観客は、『死の教室』のカントールよろしく終始舞台に張りついているタニノがマイクに向かって何か囁くとOLたちが動いていくのを見て、支配?被支配の関係、正体のわからない何者かにその運命を操られている人間たちの姿を映し出しているのだととるかもしれない。だが結局、そんなことはどうでもよいのだ。眼の前で起きている一つ一つの小さな「事件」を見つめていると、私たちの感覚は異状をきたしはじめる。観客一人一人に与えられた双眼鏡で見ても判然としない、舞台の奥で起きている「何か」の正体をどうにかして見極めようと目が痛くなるまで凝視しているうちに、私たちの視覚は双眼鏡と一体になってどこまでも延びていく。BGMとして流れるセロニアス・モンクの調子外れのピアノや、舞台で発せられるノイズは、私たちの聴覚に作用して、突然世界が広がってそれらの音がどこか遠くから聞こえてくるような印象を与える。
一時間足らずの上演中、語るべき出来事は実際にはほとんど何も起きていないにもかかわらず、上演終了後、観客は誘導されて舞台にあがり、奥まで連れていかれ、見ていたつもりで見ていなかったもの、何かの残骸のように見えるさまざまな物体、を目の当たりにしてテントから出ると、まるで向精神薬を投与されたあとのように自分の感覚が変貌を遂げ、何もかもが一新された、という感じを抱くようになる。暗闇のなか「OL」たちが手に持ったロウソクを次々とともし、また消していく幕切れは一種夢のようであったし、またそれを言えば全体が夢のようであったのだが、夢から醒めたあとの、あの「何も変わっていない」という感覚ではなく、知らない間に自分の脳細胞がすっかり入れ替わってしまったかのような感覚がいつまでもつきまとって離れない。タニノクロウの世界は遂にそこまで行ってしまったのである。
ミュージックシアター『浄土』
三島由紀夫『志賀寺上人の恋』を題材にしたミュージックシアター『浄土』。宮城聡演出だということで見に行ったのだが、実際には出演したパーカッショニストの加藤訓子がプロデューサーを兼ねていて、彼女のための舞台のようなものだった。パーカッションを叩いて演技するところまではよいが、素人の口跡で三島のテキストまで読み上げるのが大変興ざめ。作曲家のジェームズ・ウッドは知らなかったが、ダルムシュタッドで教えたあと IRCAMに招聘されたという。ミュージックコンクレートな人としてはエリート街道。だけど作り出すノイズは凡庸だよ。というわけで、風邪気味の体をおして行くまでもなかった。つまらなそうなものは事前に避けるという習慣がついている私だが、数年に一度、自分の勘に自信がなくなって「感受性が鈍って面白いものを見逃しているかもしれない」という疑いが芽生えると、こうやって出かけてしまう。でも結局、自分の勘の正しさを再認識するのだ。上演前の立ち話で「(私がほめていたので)庭劇団ペニノを見に行ったら面白かった」と宮城さんが言ってくれたのが唯一の成果であった。
庭劇団ペニノ『ミセス・P・P・オーフレイム』『ダークマスター』:「記憶の芸術」としてのタニノ作品
ある種の芸術作品には、見る者のうちに眠っていた感覚、自分ではとうに忘れていたと思っていた感覚をまざまざと思い起こさせる力がある。記憶の片隅に封じ込められていたそうした感覚は、それだけ取り出してみるとじつに他愛のないものであるけれど、意識によみがえってくると、大きな驚きをもたらす。記憶の玄妙なる作用ゆえというより、直接の刺激となった当の作品と、意識の底に沈み込んでいた記憶がかくも不思議なかたちで結合し、新たなものへと変貌することに驚くのだ。
庭劇団ペニノの主宰者タニノクロウが作り出す舞台は、そうした記憶の芸術の一つである。最新作『庭劇団ペニノの ミセス・P・P・オーフレイム』(二〇〇三)を見てみよう。何よりも印象的なのは舞台美術の奇怪さである。青い光に満たされた円形の舞台は、レンガ造りの倉庫を思わせる高い壁で囲まれている。白い細かな砂が一面に敷き詰められてた床の中央はうずたかく盛り上がり、大小さまざまなサイズの石によってぐるりと縁取りされている。苔でびっしり覆われた小山の地表には、まるで化石か何かのように、バネや歯車のような錆びて赤茶けた機械の部品が放置されている。暗転中から聞こえてくる、一種の通奏低音のように舞台を支配する機械の動作音は、巨大な歯車が回転するたびごとに何かを生産している様子、あるいは旧式の貨物用大型エレベーターが上下に動いている様子を想像させる。脚本の指定によれば、ここは「石庭」なのだという。もちろんそれはたとえば龍安寺の石庭とは似ても似つかない代物なのだが、この「石庭」に表現された、有機物と無機物が融合し間然する所のないさまは、伝統的な石庭の美が示す、自然と人工の調和からそれほど遠く隔たっているわけではない。
あるいはそこには、生物も機械も同じ「もの」でしかないというタニノの透徹した認識が表されているのかもしれない。舞台が明るくなると女が砂の上に横たわっているが、「それが女であるかどうか、生きていても、死んでいてもいい」のはそのためだ。女は「ミセス」なるものに監禁されているらしい。とはいえ、「ミセス」の意思は舞台上方の電光掲示板に点滅する文字で表示されるだけであり、その正体は最後までわからない。最初はおずおずと女に「話し」かけていた「ミセス」だが、次第に饒舌になり、女をいたぶるようになる。食事としてパンと水は出てくるが、コップの中にはどじょうが入っている。あるいはトイレをぎりぎりまで我慢させ、用を足して帰ってきたあとには「汚い手を洗って下さい。その汚い手を洗って下さい」「砂で」と馬鹿にしきった口調で命令する。尺八の演奏方法を覚えさせ、「じゃあ、次の私の誕生日までに、練習しておいてね」などと馴れ馴れしい口を利く。女は「ミセス」のこうした干渉に対してかすかな感情を示すが、言葉は発しない。ただ呻いたり呟いたりするだけである。そして一時間あまりの上演時間の間に、この女の一生分の時間が過ぎる。女は老いて、ふてぶてしい態度をとるようになり、やがて死んでいく。
私たちは、実験用のマウスが自分と自分を「いたぶる」人間が織りなす奇妙な関係について夜見る夢でも見せられているのだろうか? この作品の即物的で突き放した描写や舞台に登場する奇妙な形態の機械生物は、安部公房の小説を思わせるが、類似点はそれだけではない。タニノと同様医学部を卒業した安部は、事物や人間が象徴的な意味を担う、普通の意味での寓話ではなく、「関係の寓話」を描いた。超現実的な状況下において、登場人物同士が取り結ぶ奇妙にも人間くさい関係が浮き彫りにされるのが、安部の小説の特徴である。『ミセス・P・P・オーフレイム』とよく似たイメージをもとにした『砂の女』(一九六二)を思い出してみよう。砂丘に昆虫採集にやってきた男が、砂の底で暮らす女の家から脱出できなくなる、という物語そのものに、何か象徴的な意味を見出そうとすることは徒労に終るだろう。むしろ閉じ込められた男が、そういう状況を作り出した女と情交を通じて次第に抜き差しならぬ関係になっていくことに作家の目は向けられている。
タニノもまた、関係とその変化にこだわり、それを寓意的に描いてみせる。前作『ダークマスター』(二〇〇三)においてそうだった。ひょんなことからマスターから洋食店の切り盛りを任されることになった男。マスターは店の二階に引きこもって彼をカメラで監視し、FMラジオとイヤホンを通じて指示を下す。男は指示通りに料理を作り、客あしらいをし、マスターの二日酔いを直すために薬を飲み、彼の性欲を満たすために店に呼んだホテトルの女とセックスをする。
タニノはこうした自分の作品のモチーフはSMに対する関心から生まれると説明する。別の言いかたをすると、タニノの作品の基底にあるのは、言語によって身体が蹂躙されることへの興味だ、ということになる。言うまでもないが、SMプレイの本質は、暴力による身体の変形ではなく、言葉による支配/被支配関係の構築—確認である。しかしそれでも暴力による身体の変形が必要なのは、それが構築—確認作業がたしかに行われている/行われたことを示す目に見える証拠になるからだ。SMプレイにおいて身体は、暴力という媒介を通じた言語によって変形させられる。
そしてここが、安部とタニノを分ける分岐点である。いかに奇妙に見えようと、安部公房のエロティシズムは、言語レヴェルで取り結ばれる関係と身体レヴェルで取り結ばれる関係とのズレを認識することで生まれる、究極的にはふつうのエロティシズムである(「口ではイヤだと言っていても、カラダはそう言っていないぜ」)。他方、タニノのエロティシズムは、この二者のズレの認識を前提に、言語レヴェルで取り結ばれる関係と、身体レヴェルで取り結ばれる関係とを強引に一致させようとするところから生まれる。それはSMプレイの場においても生じることだが、タニノの作品は、きわめて多くの約束事から成り立つSMプレイがその儀礼性ゆえに失いがちな「無根拠な暴力」を持った言葉を用いて、言葉による身体の蹂躙をより本質的なかたちで示そうとしている。
したがってその言語はできるだけ抽象的で、「感情」や「身体性」を持たないものでなければならない。言葉と身体が乖離していればしているほど、言葉による身体の蹂躙(そしてその結果としての身体と言葉の合致)はよりエロティックになるからだ。ラジオを通じて聞こえるマスターの声や、電光掲示板に映し出される「ミセス」の指示は純粋な言葉—意味や価値を持たない言葉、感情を示さない言葉、発話者の身体を感じさせない言葉—をタニノが指向していることを示している。
それではタニノの作品はこうしたSM的な嗜好を持った一部の人々のためのものなのだろうか? そうではない。言葉による身体の蹂躙は、「身体の記憶」を再編成する。身体レヴェルに刻印されているはるか昔の記憶が活性化され、意識の裡に蘇る。もちろん、それは演じる者だけに生じるわけではない。身体は他の身体と共振するからだ。観客は言葉によって蹂躙される身体を目のあたりにして、自らの身体もまた蹂躙されているように感じ、同時に自らの身体の記憶に息吹が吹き込まれていくのに気づく。『ミセス・P・P・オーフレイム』において仕切りで区切られた「半個室」が一人一人の観客に与えられ、『ダークマスター』においてFMラジオとイヤホンが渡されて、観客はマスターの指示を自分たちの耳で間近に聞くようになっていることは、観客における身体の記憶の再編成を一層促進する。
意識の薄明のうちに幽かに存在する、音、光、もの、感触といった古い記憶。タニノの舞台は、こうした古い記憶を蘇らせる「記憶の芸術」なのだ。
山の手事情社『狭夜衣鴛鴦剣翅』:構築と脱構築の永久往還運動
一九六六年十月二十八日から三十日、戸山ハイツ灰かぐら劇場で三日間だけ上演され、たった四十人しか観客が来なかったという状況劇場の野外劇『腰巻お仙・忘却編』、あるいは一九七六年十月VAN99ホールで上演された夢の遊眠社の実質上の旗上げ公演で五ステージしか行われなかった『走れメルス』と同様、二〇〇三年一月下北沢ザ・スズナリ、山の手事情社の『狭夜衣鴛鴦剣翅』上演は、七ステージというその短さにもかかわらず、いやそれゆえにかえって、日本の現代演劇史に残る伝説となった。
もちろん、歌舞伎も文楽もたえて取り上げなかった並木宗輔による浄瑠璃台本を初演以来二百六十余年ぶりに再演した、ということも賞賛に値するだろう。しかし何よりも、日本人の身体性(というフィクション)はどのように構築されるべきか、というアングラが提起した課題にこたえて、鈴木忠志以降の世代ではじめて一つの説得力のある答えを出しただけでなく、それを身体のレベルから物語のレベルに昇華させて示してみせたことにこの公演の意義がある。
一九六〇年代後半、唐十郎が「特権的肉体」を、寺山修司が「見世物小屋の復権」を唱え、そして鈴木忠志がのちに鈴木メソッドと呼ばれるようになる俳優の訓練方法を編み出したとき、三人の演劇人の意図するところはそれぞれ違っていたにせよ、目的は同じだった。暗黒舞踏の創始者の一人、土方巽は一九六八年に『土方巽と日本人:肉体の叛乱』というタイトルの作品を発表し三年間の沈黙に入るが、その土方の暗黒舞踏の中に、日本文化の中で育まれてきた身体の技法が西洋のモダンダンスに接ぎ木されていることを見てとった郡司正勝は正しかった。鈴木や唐や寺山もまた、「日本人の身体」を西洋的なドラマの中にどのように表象するかを探り、その結実がそれぞれのスローガンやメソッドになったのだった。
土方らの暗黒舞踏は、その土俗的な装いとは裏腹に、西洋のモダンダンスがつねに問題としていた「表現の強度」を獲得しようという志向において二十世紀の芸術思潮としてのモダニズムの潮流に位置づけられるものだった。西洋の美学の基準から大きく逸脱した「醜い」日本人の身体をどのように見せるか、という問いが、白塗りの裸体、体を痙攣させ舞台を這いずり回る仕草、といった舞踏の独特の語法を生み出した。その異様さに衝撃を受けた観客は美醜の判断基準を忘れ、価値転倒的なものを好むカウンターカルチャーの独特の空気の中でその「表現」に拍手を送った。抑圧されていた内なる欲望が突然、外に表出してくる(ように見える)という意味で暗黒舞踏とはまさに「表現」に他ならず、再現的な舞台芸術が到達できないような「強度」をもって観客に迫ってくるものであった。
麿赤児、四谷シモン、大久保鷹といった「怪優」たちの「特権的肉体」を、内なる劇的想像力を肉体を通して舞台に現前させるものと定義づけた唐十郎や、小人、太った女といった「異常な」身体を持った素人を舞台にあげた寺山修司、能役者のように腰を落として摺り足で歩く訓練を通して下半身に重心を置く日本の伝統的な身体技法を現代演劇に取り入れようとした鈴木忠志のいずれもが、戯曲に書かれた言葉ではなく、言葉では説明不可能な過剰さを抱え込んだ俳優の身体を通して舞台芸術における表現の強度を探求した。
その際に合い言葉のように用いられたのが「日本人の身体」という概念だった。文化や社会によって身体は「構築される」、すなわち文化や社会は身体の外部にあるものとして、身体が持つさまざまな特性の発現を促進したり阻害したりする(中国の古い慣習である纏足や西洋の女性が着用したコルセットを見よ)だけでなく、身体についての自己認識の根拠となる思考の枠組みを提供することで身体をいわば内側から変えていくと考える構築主義的身体観からすれば、暗黒舞踏やアングラ演劇のように文化や社会の制約を超えて普遍的/無時間的に存在する「日本人の身体」の存在を想定することは単純な誤謬である。だがその一方で、「日本人の身体」が一つの仮構されたフィクションとして成り立ち、その限りにおいて一定の影響力を行使したこと、そして表現の強度を追求する際にその到達目標として失われた日本人の身体を回復することが唱えられたことは、たんなる歴史的事実として正しいばかりでなく、まさに身体なるものが自然なものとしてあらかじめ存在するのではなく、言説によって構築されていくものに他ならないことを示している。
ところが表現の強度に対するドグマティックな信奉は、二十世紀の三・四半世紀をすぎた頃、ポストモダニズムといわれる芸術理念の中で問い直されることになる。芸術表現にとって「衝撃を与えること」「真に迫ること」は本当に必要なのか。あるいはそれはたとえば、十九世紀半ばリヒャルト・ワーグナーが唱えた「総合芸術」概念がナチスによって利用されることで、美学的強度と政治的強度が等価のものとして結びつけられる危険性をすでに露呈してしまったのではないか。コミュニケーションの相手の「懐に飛び込む」こととは、その勢いによって相手を判断停止の状態に追い込み、芸術鑑賞を一種の洗脳とすることになってしまわない
その一つの解答が「脱力系」とよばれる一連の(ポスト)モダンダンスの登場であり、日本では一九九〇年に結成された珍しいキノコ舞踊団をその代表格として、最近の若手のカンパニーの多くがこの傾向を多かれ少なかれ帯びるようになった。「美しい」「格好いい」身体とその動きを見せるのではなくて「みっともない」「だらしない」身体とその動きを提示すること。規律や速度、力強さとは対極にある、「お気楽さ」や「まったり感」、肩の力が抜けた雰囲気を醸し出すこと。自分の裡にあってやむにやまれぬものを「表現」「表出」しようと意気込まずに、ただ舞台に佇むことで世界に対する距離や違和感を示してみせること。それが「脱力系」ポストモダンダンスのモダニズム美学に対する批評的戦略であり、往々にしてそれはパロディというかたちをとることになる。
しかし当然のことながら、本当に訓練されていない日常的な身体が舞台に登場しても観客は退屈するだけだし、そうかといってダンサーたちがわざと下手くそに踊れば興ざめである。ことさらに装うことをしない、表現しないという「脱力系」ポストモダンダンスの戦略はしたがって、何よりも心構えの問題として理解しなければならないだろう。「脱力系」ポストモダンダンスの舞台において、ダンサーたちの身体があまり「脱力」しているように見えないのはそのためである。技法的に高度なものを持ちつつも、それをこれ見よがしにひけらかすこともせず、わざと隠すようなこともせず、「さり気なく」披露する。それが「脱力系」モダンダンスの踊り手たちに与えられた(心理的)課題である。とはいえ、そうやって提示された「さり気なさ」もまた装われたものにすぎないことを考えると、「表現しない表現」の成立する余地はきわめて限られたものであることは理解できるだろう。
一方演劇において日常生活の延長に位置するような身体を舞台に持ち込むことは、九〇年代における「静かな演劇」の流行とともに定着した。その代表格の一人である岩松了は、もともと劇団・東京乾電池の座付き作家であり、すでに八〇年代から東京乾電池は俳優の弛緩した身体を意識的に用いて独自のリアリズムを目指していたが、それ以外の劇団では、意図的にというよりもむしろ俳優が訓練されていないゆえにやむをえずそうした戦略をとったところがほとんどであった。
その中にあって山の手事情社は、「四畳半」という型を通してアングラが問題にした「日本人の身体」というフィクションを構築しようとしてきた。「四畳半」の型そのものが鈴木メソッドの一種のパロディであることは指摘するまでもあるまい。腰を落として重心を低く安定させることが鈴木メソッドの要諦であるとしたら、重心をずらして立ち、奇妙に身体をくねらせることを俳優に要求する「四畳半」は、最初から「脱力」している。しかし「四畳半」は同時に規則に従って身体を動かすことを要求する厳格さを俳優に求め、そのことによって表現の強度を得ようとしている点で、鈴木メソッドと同様、モダニズム美学に立脚している。
この二つの相反する方向性を抱え込んだ「四畳半」という型は、珍しいキノコ舞踊団のダンスがそうであるように、見ている者のうちに一種の乖離、ずれの感覚を生じさせる。構築と脱構築が同時に行われることに対する混乱とひそかなおかしみ。私はかつて「四畳半」の型をウィーン楽派の十二音音楽やキュビズムにたとえたことがあるが、ここでその見解を多少修正しなければなるまい。すなわち、日常的な感覚に基づいて組み立てられた「自然の」規則(調性や遠近法、「自然な」身体)を否定し、人工的な規則に基づいて構築するという点で「四畳半」は十二音音楽やキュビズムと共通点を持っているが、それらと決定的に異なる点は、真面目にやられていながらどこかおかしさを感じずにはいられない、ということだろう。「日本人の身体」なるものがフィクションであることを知りつつもそのフィクションを信じ込もうとする、しかしやはり心のどこかでその有効性を疑わざるを得ない観客と俳優の共犯関係において、「四畳半」という型は成立する。
かつて森鴎外は『かのように』において、「意識した嘘」、神や世界における絶対的な存在を「あるかのように」信じなくてはいけないかどうかを登場人物たちに議論させた。評論家柄谷行人は西洋における「建築への意志」を指摘し、日本の文化におけるその欠如について論じた。構築へのためらいを日本近代の文化がつねに示してきたとすれば、山の手事情社の演技スタイルもまた同じ潮流に属する。
『狭夜衣鴛鴦剣翅』の舞台は紗幕によって観客席と隔てられていた。そのせいで靄がかかったように見える舞台の奥の暗がりで、俳優たちは重力に逆らって奇妙な動きをする。だからといってそれは重力に対する反抗というほどには力強くはなく、重力としなやかに戯れているように見える。彼らはもつれ合い、互いに顔を見合わせるとすぐにあらぬ方向をぷいと向き、また観客のほうを向いて睥睨し、そのまま後ずさりし、太平記にもとづくお家騒動をときには滑稽にときには悲劇的に演ずる。そこで俳優の身体を通して構築されつつ解体されていくものは、ドラマというよりむしろ歴史だった。まとまりのある、構築物としてのドラマではなく、何かを構築しようとする意志を持つ者同士が戦い、ともに敗れて退場し、廃墟だけがあとに残る場としての歴史が、スズナリのきわめて狭い舞台空間に出現していた。
原作者並木宗輔がそのことを意識していたかは定かではない。もちろん、西洋的な意味でのドラマの構築性などははなからないはずだが、俳優たちの絡み合う身体が歴史そのものへと変貌を遂げていくことまで予想していたかどうかは疑わしい。しかし紛れもなく、私がそこに見たのは身体が物語となり、構築と脱構築を永久運動のように続けながら、歴史になっていくその過程であった。
珍しいキノコ舞踊団『家まで歩いてく。』
ここのところ影を潜めていたかつての80年代テイストがこの公演で再び全開になったように感じられたのは私だけだろうか。見ながら「不思議、大好き」((c)糸井重里)のコピーが脳裏を横切り、キノコと同様、80年代的な匂いを残しながらクオリティを落としていないいくつかのNHKの子供向け番組のことを考えてしまった。
ダンサーたちが語る思い出話に共通するのは、それが「反省のない反芻」行為である、ということだ。過去の記憶を一段高みにたって再構成しながら語る(=反省)のではなく、過去の事件をただ想起されるままに語る(=反芻)行為。そしてそれこそが私の考える80年代テイストのポイントである。戦後の日本を色濃く覆っていた「反省」の空気に対して、80年代(の若者たち)ははじめて「反省なんかしなくていいじゃない」「反芻していればいいじゃない」と異議申し立てを行った。当然それは当時の「良識ある」大人たちの猛反発を食ったわけで、それが「(とりわけアジアという)他者の存在を無視して」「ひたすら自閉的で、内向きで」「幼児的で」「ミーイズム」かつ「保守反動」だ、という80年代文化批判の言説を形作った。そうした批判はもちろん間違っていないのだが、しかし人間ときとして反省しないでただ反芻だけしていたい、というふうにも思うわけだよ。そうした「反芻モード」「ぼうっとしながら時がただ経過するモード」にきちんと表現としての形をあたえたのが80年代文化だったのだ。
たしかに、バブル時代の成金趣味は今となってはただ気恥ずかしいだけなのだが、同時に80年代とは日本がかつてない豊かさを享受するなかで文化(それがいくら「内向き」の文化であったにせよ)としての洗練を得たともいえるわけだ。1995年の阪神大震災および地下鉄サリン事件による「リアル」の回帰から10年を経て、ようやく日本も80年代リバイバルに耐えうるだけの「軽薄さ」を取り戻したということなのか。