5月20・21日は中京大学名古屋キャンパスで行われる英文学会のついでに御園座に立ち寄り、御園座演劇図書館(名古屋市中区栄1-6-14御園座地下2階)で松山二郎『喜劇と喜歌劇アンポンタン』(実業之日本社、大正十二年)および番附を閲覧させてもらうことにする。 宿泊は名古屋栄東急イン(愛知県名古屋市中区栄3-1-8)かな。
Category Archives: 日本近代演劇
掬水庵渓風の本名
…ここにその頃の大阪の庶民生活の雰囲気を伝える格好な資料がある。 それは、当時大阪の財界に蟠居された肥田弥兵衛氏(虎屋銀行の創立者)の三男の肥田弥一郎氏の「掬水庵日誌」と題した日記である。 弥一郎氏は読書力旺盛、文 […]
『大谷竹次郎 百人が語る巨人像 』08
チケット前売制度を日本ではじめたのは松竹だというのはその通りだと思うが、それが大谷自らの発案によるものだというのが側近佐藤による以下の発言。これは裏をとる必要がある。 佐藤徳三郎「九十年間前向きだった人」 私が京都市御幸 […]
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『大谷竹次郎 百人が語る巨人像 』07
曽我廼家十吾の以下の発言は楽天軍が楽天会に変わった経緯を説明していて興味深い。これが曾我廼家五郎研究との唯一に近い接点だな。 曽我廼家十吾「大谷さんが巡査に頼んで」 …… 大阪・二輪加の人気が落ちはじめたのを見て、演劇 […]
『大谷竹次郎 百人が語る巨人像 』06
以下の渋沢秀雄の発言と、先ほどの肥後博の発言をあわせて考えると、神山さんいうところの「松竹のダブルスタンダード」が、結局は大谷竹次郎の性格の二面性、筋を通すところと子供っぽく非合理的なところの二面性に起因するのではないか […]
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『大谷竹次郎 百人が語る巨人像 』05
で、やはり白眉といえるのが肥後博の以下の発言。元側近ともあろう人が「外に向かってはきわめてよい人で通し、内づらのわるさはきわめてひどく、仏のおもてをかぶっている鬼のような性格」「やっと情報局参与という職名をもらうと、大い […]
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『大谷竹次郎 百人が語る巨人像 』04
池田弥三郎による小林一三との比較。2005年度日本演劇学会全国大会で寺田詩麻さんが「明治30年代後半の松竹合名会社−その経営の性質」という発表をされたときに質問にたった神山彰さんが「松竹は何でもダブルスタンダードだったん […]
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『大谷竹次郎 百人が語る巨人像 』03
真山青果との「共作」は有名な話だが、それを真山はどう思っていたのか、弟子筋からの証言。 巖谷槇一「偲ぶ草三つ四つ」 ……大谷会長の偉さは、その会社経営にあったことは今更此処に喋々するまでもないが、、私が最も驚いたことは、 […]
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『大谷竹次郎 百人が語る巨人像 』02
最初はちょっと長いが、日活存続のために大谷がしたことについて。 堀久作「日活の恩人」 昭和十六年八月、日米間の空気が険悪になってきたので、政府は、所謂映画新体制なるものを唱え出した。その狙いとするところは、映画製作機構 […]
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「喜劇」と冠した最初の戯曲
なお国立国会図書館編「明治・大正・昭和翻訳文学目録」によると、このあと明治三十三年一月雑誌“この花"に渡辺霞亭の「花風病」というモリエール作品が発表されたということであるが、この稿を書くにあたって再度その所在を索ねたが複々不明のままで時間切れになってしまったのは残念である。... 明治三十年(一八九七)八月 山田其廼園「喜劇 瓢簞鯰」『喜樂』『現代日本文学大年表』九九頁(『明治・大正・昭和前期 雑誌記事索引集成 人文科学編(第46巻)文学四』一〇九頁) 明治三十一年(一八九八年)二月 幸堂得知「喜劇 人か影か」『太陽』『現代日本文学大年表』一〇四頁(『明治・大正・昭和前期 雑誌記事索引集成 人文科学編(第46巻)文学四』一一四頁) 明治三十一年(一八九八年)八月 梶田薄氷「喜劇 二階の客」『文藝倶楽部』(4卷8編?