NHK落語名人選15三代目桂三木助には「たがや」が収録されているが、解説の飯島友治は以下のように書いている。
昔は、侍にきられた【傍点開始】たが【傍点終了】屋の首が宙に飛んで、涙声に「たがやァ」とサゲていた。それが安政の大地震によって、それまでその日暮らしの職人たちに、復興のための仕事が降ってわき、手間賃が上がって金回りがよくなった職人たちは、仕事を終えると遊郭や寄席に押し寄せた。彼らを迎えて、そこは、頭の回転が人一倍速い噺家、職人たちの溜飲が下がる話に作り変えたというわけだ。
一方、小谷野敦はそのブログで以下のように書いている。
CDボックス「談志百席」で「たが屋」を聴いた。最後は、侍にたが屋が首を斬られて中天高く舞い上がる。これが本来の型である。明治になって、侍が斬られるように変わった。確かにそうである。供侍二人をやっつけるのはまぐれとして、一介のたが屋がその上主人の侍まで斬るなどありえない。落語はそういう「勧善懲悪」の絵空事をやらないはずの世界だが、明治「たが屋」だけはそれをやってきた。しかしこの型なら、その後たが屋は重罪に問われる。いずれにせよ打ち首であろう。そして、たが屋の首が飛ぶからこそ「たが屋ー」というサゲがあるわけだ。さすが談志師匠である。
どちらが正しいのか、今の私には判断できる材料はないが、落語が「勧善懲悪」の絵空事をやらない、というのは首肯しかねる。勧善懲悪という言葉をどう捉えるかにもよるが、たとえば「一文惜しみ」などは勧善懲悪といえるのではないだろうか。
新派の社会劇
新派の社会劇については、以下の記述を参照のこと。
小山内の考えを簡単にいえば、かつて身を置き、今本郷座時代を現出している新派の動向をも見定めて—このころから新派の「社会劇」をめぐる論議が一方で盛んになりつつあり、たとえば高田実、喜多村緑郎、藤澤浅二郎、水野好美たちによって、イプセンの『ブラン』や『社会の敵』の影響を受けた佐野天聲の『大農』が、明治四十年九月の本郷座で上演され、新派の現代劇としての新展開がまだまだ可能だと思われていた—、歌舞伎・新派・文芸協会等諸々の既成勢力が、決して手をつけないだろうような作品を取り上げるべきだというもので、そのために、新派が手を出しかねないイプセンの社会劇を回避すると、晩年の象徴主義的な『ボルクマン』を選んだのだと思われる。『日本現代演劇史 明治・大正篇』九五頁
天声は明治四十年三月末日締切の『都新聞』の懸賞戯曲に「大農」をもって応募し、二等に当選、賞金五百円を獲得した。審査員は上田万年、上田敏、三木竹二、島村抱月、森鷗外。同年六月、「大農」は金尾文淵堂から上梓。同九月、本郷座において高田実、喜多村緑郎、藤澤浅二郎らの新派大一座によって脚光を浴びた。日露戦争で捕虜になり、大陸で大農システムを研究して帰国した非戦論者でクリスチャンの加納努という青年が、郷里において大農法を目指して意志的な奮闘をつづける話である。その原型はイプセンの「ブランド」及び「人民の敵」であると批評家たちは批評している。舞台の評判は余り芳しくなかった。『日本社会主義演劇史 明治大正篇』九一頁。
松本克平は佐野の戯曲『銅山王』を紹介する中で彼の「大農」に触れているのだが、この『銅山王』の筋書きはすごい。「『銅山王』は、明らかに明治十二傑の一人と云われた古川市兵衛の一家をモデルにした大胆な脚本である。人物の性格、心理の描写は未だ古い手法を脱しきれず生硬未熟で、商業演劇の舞台には全く不向きな脚本に終わっている」というが、いやいや、同時代の欧米のメロドラマもかくのごとしというきわめて「大胆」なもので、むしろ大舞台でなければできないだろう。
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