かたばみ座が起用した「学士俳優」
神山 かたばみ座の俳優は、昔からやっていた人以外に、新しく入ってきた俳優もいましたか?
守 新しいのもいましたけど。来ると、お化粧なんかを覚えるでしょう。すると、みんな大歌舞伎に引き抜かれちゃう。
だから、大歌舞伎にいっぱいいますよ、下回りになっているの。それは、竹若がよく言っていますよね。ようやく目鼻がつくようになって、そうすると向こうが訪ねてきて引き抜かれちゃう。だから、かたばみ座にいて大歌舞伎へ行ったという人は五~六人いますよ。今もいるでしょう。
神山 歌右衛門のところにいた、加賀屋玉之介というのがそうなんですってね。
守 ずいぶんいてね。かたばみ座にいて、とんぼを習ったり顔の描き方を覚えていると、向こうは仕込む必要がないので楽ですからね。それで、大歌舞伎も下回りが足りなくなって人手不足でしょう。だから、ずいぶん向こうへ行きましたよ。馬をかぶって、馬になっているのもいますし。
神山 脇役では素人も出ていたんですか、あるいは地芝居の人とか。
守 脇役では、日大の学生を出したことがありますよ。日大の歌舞伎研究会の学生ね。一人はかなりうまくなったんですよ。鶴光といって鶴蔵の弟子になって十年ぐらいいましたので。立役中心ですが女方もできる人でした。
ほかに女形のいい人が一人いて、その人は今は勤め人になって、どこかの会社のかなりのポストについているらしい。児島君と言いましたが。
神山 松竹の方で学士俳優が出たでしょう、大谷ひと江(後の嵐徳三郎)とか。あれと同時期ですか?
守 あれより前ですね。
神山 素人というと沢村寿という人がお金を出して、自分で出ていたという話を聞きましたが。素人さんで、ある程度切符を引き取るとかお金を出すとかして、芝居に出るという人がいた?
守 そういうのはあるんですよ。昔、音羽屋のところにいた役者で、今は役者をやめて大きな料理屋の主人になっているような人が出たいというのでね。その人なんかは切符を二百枚持つからとか言って、それで出ました。
神山 そういう人は腕はありましたか?あるいは、全然だめだったか。
守 いや、全然だめじゃない人がいてね。年配になってるけど、何か趣があるね。だから、本当の脇役にするといい場合があるんです、効果が上がる。芝居をよく知っていますし。
神山 地方の地芝居とか村芝居の人が、出たということはあるんですか。
守 それはないですけど、指導に行くことはありましたよ。地芝居では『太功記』なんかをやりましたでしょう。ことに、小田急線の相模、厚木のあたりは、むかしから地芝居が盛んでしたから。
神山 中車のところへ行った、中之助(後の松本幸右衛門)なんていうのはあの辺です。
舘野 升之丞さんもあそこに婿入りされましたよね。
守 厚木のほうですね。升之丞さんの嫁さんの実家は(二代目)柿之助といって地の役者(地方の職業劇団の役者)で、そこへ養子みたいに入りました(初代柿之助は五代目新蔵の弟子。二代目柿之助は初代の弟子で婿養子神奈川県内の祭礼芝居で太夫元兼役者として活動するほか、地芝居の振付も行った)。かなりいい家だったと聞いています。升之丞のことは、寿座のときから知っているんです。寿座で新之助の弟子として、かなりいい役をやっていたんですよ、まだ若くてね。戦後も大歌舞伎に移って、新之助に付いて。思い出したけど、僕は戦後に新之助と顔を合わせたら、守さんに会うのは恥ずかしいや、こんなところでばあさん役ばっかりやっているんだからと言っていました。
ばあさん役をやったことないのと言ったら、やったことないと言うんだ。だから、前に主役をやって出ているから知っちゃいるけど、やっちゃないんですよと言って。三升と同じ部屋にいましてね。
あの連中は団十郎の家で、家柄がいいでしょう。みんなおおらかなんです。三升はとても人がよくてね。
神山 もともと銀行員ですよね。
守 そうです。それで、慶應出だからですね。とても人がよかったから。戦後に海老蔵が団十郎(十一代目)になりましたけど、何か僕は正統でないような気がする、何か雰囲気がね。
細かく言えば、幸四郎家というのは、団十郎の弟子家なんですよね。
神山 そう、弟子筋ですね。
守 かたばみ座がみんな彦十郎さんの弟子系でしょう、竹若なんかもね。そうすると大歌舞伎の連中は、彦十郎という人は彦三郎の弟子筋ですよね。だから、みんな弟子の弟子だというんですよ。
それで、ことあるごとに弟子だ、弟子だというわけですよね。
和田 そうしますと、かたばみ座に継承された、珍しい出し物なんかもその彦三郎系の役者さんの体に入っていたということですか。
守 そうですよ。彦三郎の弟子の彦十郎という人は、腕のいい役者で非常に田舎をよく回っていたんです、関西なんかを中心に。同じ土地で芝居をするには、狂言を変えていかなきゃならない、行くたびにね。昔の小芝居は、二回芝居といって一日二回芝居をやるでしょう。二回やるとかなりの人が見る。だから、次には狂言を変えなければならないんです。寿座なんかも十五日くらいで変えていましたから。
神山 いわゆる「二の替わり」「三の替わり」ですね。
守 ええ。だから、かなりの芝居を持っていないと出来ない。鶴蔵は初めて小芝居に、踊りというものを持ち込んだんです。小芝居で昔は松羽目ものとか踊りは、ほとんどやらなかったんです。それはなぜかというと、お金が掛かる。
というのは地方(じかた)にお金が掛かるから。私も最後にやりたかったのは、『紅葉狩』なんですよ。だけど、これは長唄、清元、義太夫の三方掛け合いで、たいへんにお金が掛かるからできない。
私が実際にやったのは『勧進帳』を安くする方法。これも地方でお金が掛かる、長唄にね。よし、それだったら若い人の方が声はいいから、早稲田の長唄研究会を出した。それを九州へ持っていったんですよ。そうしたら受けたんですよ。じいさんが語るよりも、顔がいいし声がいいしね。
神山 山台に乗るから顔が見えますしね。
守 あれも若い人たちの方が、本当は声だっていい。だけど格があるから、そのいい役を長唄界じゃあ長老がいて譲りません。ああいうところを大歌舞伎は改革しないとね。
学生を起用するときは、三味線弾きだけ、玄人のいいのを雇っておくんですよ。三味線弾きもシンだけね。そうしたらもうできますよ。あとは、学生がついて弾けばいいんですがね。
神山 かたばみ座の普段の興行は、下座は二人か三人くらいですか。
守 本当は五人ぐらい欲しいけど、お金の関係で雇えないから、たいがい二人か三人でしたね。中で器用な人がいて、名前をカネさんと言いましたが、その人は三味線も弾ければ笛も吹く。笛も吹きながら太鼓もこうやって打つ。小芝居にはそういう人が向いているんですね。
神山 そう言う人がいたそうですね。女剣劇などにも。
守 一回、困ったことがあるんです。九州へ旅に行くときに、お囃子方の女の三味線弾きが東京駅まで来るには来たんですが、給料が安いから行かないと言うんですよ。それで同道しなかった。私は困りましてね。
ところが、かたばみ座の役者は、ほとんどみんな簡単に三味線を弾けるんです。役者連中が「心配しなさんな」と、「俺たちがやるから」と言うのね。私は博多に着いてすぐ三味線屋へ行って、三味線を一挺買ってきた。それ一人が三味線を弾いて、女の役者はたいがい長唄を歌えるんですよ、それでごまかしちゃった。
興行師が困るのはたいていそういうことなんですよね、頼んだ人が、お金の関係で旅の途中で逃げ出す。そういうことがあるんです。
菊地 そのころの役者は。
守 竹若、門三郎(後の市川白蔵)それから後期のころに入ってきた女猿さん(後の沢村可川)というね。女猿が猿之助の弟子で、これは達者な人だったですよ。女猿さんは面白いんですよね。
「酒屋」のお園をやるんだがね、普通大芝居では、「今ごろは半七さん……」というところ、お園は火鉢の前で静かに黙ってじっと動かないで、そのさわりを聞いているような感じなんだね。女猿がやると別の型で、あのさわりのところを一生懸命針箱を持ってきて縫い物をしていたんですよね。それがおそらく女猿が田舎を回っているときに、関西の役者でそういうしぐさを見ていて、それをやったと思うんですがね。それで竹若がそれを見ていて、「あんな型があるんですね」と言っていた。おそらく義太夫ものなんかは、関西なんかじゃいろいろなふうに演出をしていたと思うんですよね。
今はみんな統一されちゃってひとつでしょう。だからそういう点だけでもね、小芝居がなくなったのが惜しいんですよ。歌舞伎にはいろいろな演出法があったということを残しておかないと。
舘野 旅ではどんな演目をかけていったんですか。
守 いろいろ試したけど、田舎は「でんでん物」――義太夫もの時代物を喜ぶんですよ。
舘野 やっぱり「安達三」であったり「太十」であったり、「(熊谷)陣屋」とか。
守 そうそう。そういうものを入れないと、何か軽く受け取られてしまう。つまり、世話物は江戸っ子のものなんですね。さらさらとして気持ちよくてね。
舘野 書き換え狂言とか、ややひねったもの『老後の政岡』、『本蔵下屋敷』などは、旅でやりましたか。
守 『老後の政岡』なんかは旅ではやらない。旅はやっぱり正式なもの、たとえば『先代萩』の「御殿」なんかをやらないと、やっぱりうけないですね。
菊地 一座は何人ぐらい?
守 三十人あれば何とかいくんですよ。お囃子を三人ぐらい入れて、役者がだいたい十二、十三人かな。それからかつらの人と小道具の人と、それで大道具はだいたい現地ですから。旅に行くのが総勢で三十人くらい。
歌舞伎芝居は五~六人でできるものが多いんです。そういうものを入れていくとですね、旅の場合は楽なんですよ。もっと少なく、たとえば『壺坂』なんて二人で出来ますし、三人でできる出し物もありますし。
神山 旅ではお金の面でだまされたりしたことも?
守 しょっちゅうありましたね。ただ僕はその前に竹本素女さんという女義太夫の方に、旅の苦労をよく聞いていたんですよ。田舎に行くと興行師がいるでしょう。お客がいっぱい入っているでしょう。芝居しているでしょう。ところが興行師が入場料を持って逃げちゃうのよ。そういう興行師がいるんですよ。そういう話をいっぱい聞かされていったからね、もう本当に注意してやりましたけど、やっぱり九州に行ったときにだまされましてね。あるやつが、そう悪いやつじゃないんだけど、自分で儲けようと思ったのね。ところが思うようにお客が来ない。お金を払わなきゃならない、だからどろんしちゃうんですよ。
こっちは宿屋で身動きができなくなって。
神山 やっぱり土地の、その筋のやくざの親分のところにあいさつに行くんですか。
守 旅ではなかったけど、池袋でやろうと思ったときは、極東組というのがいましてね、それで関口という親分がいたから、そこへ行って芝居をやるからよろしくお願いしますと挨拶しに行ったことがありましたね。だけど今は警察が強くなってきたから、もうほとんどそれはやらないで済むんですね。
菊地 旅の小屋では大道具がすごく強いですね。
守 そうね。
菊地 私もちょっと旅役者のまねごとをしたことがあるんですけど、行って幕へ触ると、幕を触るなっていきなり怒られた。それでこっちもどきどきしちゃってね、しょうがないから煙草屋に行って煙草を買って、すみません、これって。それから、うん、なんて言っておさまったけど。
神山 大歌舞伎でも裏方ではやっぱり大道具が一番怖いですよ。
守 関西と東京は、浜松を境にして変わるんですよ。浜松から向こうは、衣裳でも何でも関西風なんですよ。派手なの。それでだいたい浜松までは東京で、東京の方の舞台装置でも衣裳でも、ほとんど東京風に作るんだけど、向こうへ行くと、がらっと変わるんですよ。派手になりますね、関西の方は。
菊地 下座はどっち、上手、下手?下座の位置が違うでしょう。
守 上手側に下座(御簾)のある芝居小屋がありましたよ。九州か何かに。