かたばみ座をとりまく人々
神山 かたばみ座初期の、池之端の都民文化会館のときは葛原工業という会社の須田さんという人が関係をされていたと聞いています。
守 葛原工業というのは、かなり大きな会社でね。初期にかたばみ座のスポンサーだったの。
日比野 調べたら、同じ名前の会社で、日本ではじめてシャンプーを製造した会社がありました。同じ会社だったかどうかまではわかりませんでしたが。
守 須田さんというのは、葛原工業のお使いみたいな感じでやっているうちに、本人が興行に関係するようになっちゃったんですね。イッちゃん、イッちゃんと呼ばれていました。
神山 お客さんは浅草界隈、下町のおかみさんが多かった?
守 多いね。戦前の寿座のときもすごかったんですよね。亭主の半纏を引っかけて、はちまきをして、貧乏徳利って、こんな昔のかたちでお酒を一杯飲みながら、「よっ、成田屋」なんて掛け声をかけるおかみさんが、寿座なんかにもいましたよ。
寿座というのは本当に庶民的で、舞台と一緒になっていたような感じで、ちょっと「そそり」なんてやりますと、お客さんの舞台に役者が飛び込んでいったりね。
神山 下町のおかみさん連中は、御祝儀をあげたり?
守 うん。かたばみ座がやってこられたのは、僕らが安い給料をやっていても、主役の連中たちは御祝儀が入るんですよ。芝居をやっていれば。だから幕を開けてさえいれば我々が給料をやらなくても、彼らは食っていかれるの。ただ下の役者には入りませんよ、御祝儀は。だけど上の役者には入る。
だいたい楽屋に行くということは、まず大歌舞伎だったら下足番に御祝儀をやって、迎えに来た出方にやって、そして役者にやってというのが礼儀なんですよね。最近の女の子たちは、ケーキか何か持ってくる。そうじゃなくて楽屋へ行くには、昔はそういう決まりがあったわけです。
かたばみ座の楽屋へ来る奥さんたちは、ちゃんと御祝儀を、中身は安くてもみんな渡して入ってくる。
神山 雑誌の記事ですが、守さんのお話で、高麗之助という人は「役納め」がうるさかったとかありますね。
守 高麗之助は、古い格式を持った役者でしてね。
例えば写真を撮りますよというでしょう。そうすると、はっといって居住まいを直して、それでぱっとたもとを持って、ふっと手を隠すんです。明治の人の写真を見ると、女の人なんかよく手を隠しているでしょう。
昔は、手を出すものじゃなかったらしいですね。それで、たもとに隠すようにした。高麗之助は依然としてそういう風格だった。
それから旅に行くでしょう。そうすると部屋なんかでも、自分は古い名題である、その誇りが強かったから、だから鶴蔵なんかと一緒じゃ嫌なの。
神山 部屋割りは難しいや。僕も苦労しましたよ。
守 かたばみ座の役者なんかは、みんな給料は安いし食うに困っているんですよ。けれども、旅に行くときは二等車じゃなくちゃ嫌だというのが、たくさんいるんです。それはやっぱり昔の格式を重んじているから。大歌舞伎だと昔は名題になると二等に乗せたんです。つまりお相撲の幕内、幕下の区別みたいなもので、そうことをとてもやかましく言う人でしたよ。
神山 かたばみ座の役者にはプロマイドはありましたか。
守 プロマイドとしては、あんまり撮っていないですね。むしろ戦前の寿座にはありましたが、かたばみ座にはまず無い。
ほんの何枚か、誰かが『鶯塚』か何かの写真を撮って、それをぼくは池之端の下町資料館に寄付しました。最後に残った小道具の鐘なんかと一緒にね。
神山 そうですか。失礼ですけど、そのころの資料というのは、守さん自身は
お持ちではない?
守 僕のところにはないですね。・・・というのは、僕の家は本当言うと、かたばみ座の話は鬼門なんですよ。最後はやっぱり五百万円ぐらいの借金を負いましたからね。しょうがないから杉並の家を売って、それで西武線の東大和に家を建てたんです。そうすると、五百万円が出るんですよ、差額で。そういう芸当をやってのけまして(笑)。
だから、あんまりうちでは出せない話題なんだ。